人物裏話——水尾と今井の会話篇、4。
「おれの前から二度と居なくなるなよ」
「それは……」
「何も考えずに答えろ」
「判った、約束する」
「いいか、今度消えたらぶっ飛ばすからな」
「消えたらそんなこと出来ないんじゃねえの」
「挙げ足を取るな」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
「幽霊なんだから死ぬことはないだろうけど、ミナオは粗忽だからなあ」
「粗忽ってなんだよ」
「粗忽だろ。親父が殴らなくても痣だらけだったじゃねえか。今でもあるのか」
「服を脱がすな」
「ちょっと見るだけだから」
「脱ぐとなくなるかも知れないんだよ」
「そうなのか」
「最初に渡されたのは、今の服を着たら消えちまったんだよ」
「あの服なんだったんだ? 祭り半纏って、ないだろ。冬なのに」
「渡した幽霊がそういう奴だったんじゃないか?」
「お祭り野郎か」
「なんだ、それ」
「腕の疵はあるけど、他はないな」
「まあ、小さい痣ばっかだったし」
「殴られたような痣はなかったけど」
「そりゃあ、殴られてねえんだから」
「ぶつける程度だったな」
「そんなにぶつかってたかなあ」
「そこらじゅうにぶつかってたよ、ものにもひとにも」
「ひとにはぶつかってたな。よく謝ったから」
「道歩いてても、路駐の車やら電信柱にぶつかってただろ」
「そうだっけか」
「信号だって碌に見てなかったぞ」
「そうだったかなあ」
「何遍引き止めたと思ってるんだよ。おれが居なきゃ、ミナオは心臓発作起こす前に、車に跳ねられて死んでた筈だ」
「それはないだろ」
「あのなあ、赤信号で渡ろうとしたことが何度あったと思ってるんだよ。一度、女便所に入ろうとしたこともあっただろ」
「そんなことあったか?」
「あったんだよ。そこは女便所だって云ったのに入ろうとしただろ。何考えてるのかと思ったよ」
「漏れそうだったんじゃねえの」
「男便所なら隣にあるだろうが。おまえ、ひとりだったら何するか判らない奴だったよ」
「便所間違えただけじゃねえか」
「確認してるんだから間違えたとは云わない」
「もういいだろ、幽霊になったら便所になんか用はねえんだから」
「まあ、そうだけど」
「いつまでこうしていられるのか判んねえんだし」
「それを云うな」
「他の幽霊に訊いたら例外例外って云うばっかで、なんにも判んなかったんだよ」
「だったら判らないままにしておけ」
「判らない状態っていうのは心許ない」
「おまえはあんまり物事を気にしない性格してんだから、深く考えるなよ」
「ひとごとだと思って」
「そういう訳じゃないけど、あれこれ考えたってしょうがないだろ」
「うーん……。なんか参考になるものってないかな」
「小山ならなんか知ってるかもよ」
「あいつに訊いてまともな答えが返ってくるとは思えない」
「でも、ミナオのことが見えてたじゃないか」
「なんかの間違いじゃないのか」
「声だって聞いてただろ」
「空耳とか」
「おれたちよりはこういうことに詳しいだろうから、一応訊いとくよ」
「あんな奴に訊くより、自力で調べた方がいいんじゃねえの」
「どうやって調べるんだよ」
「インターネットで」
「なんて検索するんだ」
「幽霊で」
「ちょっと調べてみるか」
………………。
「浮世絵かあ」
「『幽霊とは、死んだ者が成仏出来ずに姿を現したもの』だってさ。ミナオは何かを報せたかったり要求したいことはあるのか?」
「ないね」
「恨みはありそうだな」
「ないよ」
「親父に祟ってやりたいとか」
「ない」
「お母さんをなんとかしてあげたいとか」
「それもない」
「……そうか」
「生きてた頃の執着が、きれいさっぱりなくなった」
「そういうもんなんだ。……なんか幽霊は女が多いなあ。おまえ、女だったんじゃないのか」
「な訳ねえだろ」
「女に近いように見えるから」
「髪が長いからだろ。それだってこんなに長くないよ」
「顔が女なんだよ」
「どこがだよ」
「この顔だよ。細い顎して、白い顔して、ハタチで髭が生えないって、異常だぞ」
「異常とか云うな」
「下の毛、生えてんのか」
「生えてるよ、見せてやろうか」
「それは見たくない」
「だろうな」
「ミナオはこれだ、浮遊霊だな」
「地縛霊ではないな」
「あっちこっちに行けるし」
「今のところは」
「ポルターガイストみたいなことは出来ないんだろ」
「たぶん。物に触れないんだから」
「普通、幽霊は夜に出るけど、葬式は午間だったしなあ」
「明るくて透けてるとかなかったか?」
「見え始めはぼんやりしてたけど、今はくっきり見えてる」
「おれに触れるんだよな」
「触れる」
「撫で廻すな」
「確認したんだよ」
「指先を触るくらいで済むだろ」
「広い範囲を触った方がいいと思って」
「たぶん着てる服とかは現実のものじゃないと思うんだよな。そこらにあるものはすり抜けちまうから」
「ってことは、今は実際のところ素っ裸なのか」
「棺から落ちた時はそうだったよ」
「服は見えてるんだけどな」
「おれも服も本当はないんだよ、きっと」
「触れるのに」
「撫で廻すな」
蛇足。
この会話は2015年7月21日に某ブログで公開したものである。で、↓これは翌日の報告に書いた記事の一部。
水尾と今井の会話も六つになった(注。それを順不同でこちらへ移している)。これは幽霊になった晩、と謂うか、明け方の会話。アパートにエミが泊まったので、帰るよう説得してくれと頼みに行った時のことである。
男を抱き締めて自分の前から居なくなるな、などと云っているのを事情を知らない人間が見たら、確実に性的嗜好がおかしいと思われるだろう。エミに云われた時は約束出来ないと答えているが、今井のように間髪入れず「何も考えずに答えろ」と云えば、本心ではないことを答える訳か。今井も考えたものだ。
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