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さよなら、バイバイ。

「あんたはもう、おれに会わない方がいい」
 真夏の公園のベンチに腰掛け、隣に座った菊代にそう云った。
 彼女は不思議そうにおれを見つめ、「どうして?」と訊ねてきた。どうしてと問われても、なんとなくそう思っただけで理由まで決めていなかったので、少し考えてしまった。よく考えてみれば、おれはアキの寄越す女たちの背景をまったく知らなかったのだ。
 断片的な情報としては、「若手サラリーマン相手のコンパ仲間」くらいしか把握していなかったのである。断片的も何もない。それしか記憶になかった。そのことだけで、おれは「ああ、なるほどな」と納得してしまったので、他の情報は右から左へと抜けていった。こういう繋がりは所謂「トモダチ」に括られるのだろうか。おれにはよく判らない。
 目的(どんな目的だ?)を同じくする者が集まれば、或る種の一体感が生まれるのだろうが、男を引っ掛ける為の「人員」の間に友情が芽生えるとも思えない。女のことだからよく判らないが。
 兎に角、菊代はそういった「グループ」にも属していないようだし(なにしろ「花見部」だ)、見る限りこれまでアキが寄越した女どもとは明らかに人種が違う。
 おれの横で、菊代はおれの言葉を反芻しているようだった。反芻と云っても牛のように鈍重な印象ではない。彼女は小柄で、おれは今日の今日まで(謂われなき)反感を抱いていたのだからまともに評価していなかった節があるものの、不細工ではない。デブデブに太ってもいなければ、ぎすぎすに痩せている訳でもない。顔だって険があるどころか、いつも好奇心旺盛の瞳をくりくりさせ、楽しそうに笑い声を上げ、つまらないことにも感心する。年上だが、実に幼児性を残した女だったのだ。
 黙っていたので、菊代はおれの云った「会わない方がいい」という言葉を噛み締め飲み込み、どうして? ともう一度同じことを訊いてきた。
「あんたのことを好きになったから」
 彼女は目を見開いて、本当に? と云った。本当に、とおれは思ってもいないことを繰り返した。
「アキちゃんよりも?」
 菊代は眉根を寄せてそう訊ねた。おれは再び、アキよりも、と繰り返すように答えた。彼女は困ったように俯いてしまい、「それは良くないね」と呟いた。
「じゃあ、今日が最後だね」
 そう云って菊代はおれの顔を覗き込んだ。最後だな、と先程と同じく繰り返すように云うと、彼女は判った、と頷いた。夏休みだというのに、小さな児童公園には誰も居なかった。子供たちは宿題に追われているのか、こんな処で遊ばずに、空調の利いた室内でゲームでもしているのか。
 蝉が啼いていた。
 駅までの道を彼女の歩調に合わせてゆっくり歩いた。アキは女にしてはすたすた歩くので、妙な感覚がする。そもそも、おれの生活自体が妙なのだ。難関と名を馳せている進学校に無遅刻無欠席で通っている十六才の男子生徒が女と同棲し、その女が男と遊びまくる間、見張らせるかのように友人を当てがっている。
 ——普通、考えつかない。
「水尾君はこれからどうするの?」
「どうって、おれは変わらねえよ。このままだ」
「ほんとは逃げ出したいと思ってるんでしょ」
「それは……」
 おれはアキから逃げ出したいと思っているのだろうか。慥かにこんな生活は耐えられない。だが、おれには帰る場所もなければ逃げる場所もない。それに、アキのような女を放り出してゆくのはあまりにも無責任な気がする。おれは既に、崩壊した家庭に自分をどうすることも出来ない無力な母親を棄ててきたのだ。
 アキのことが好きなのかどうか、自分でも判らない。あんなことをする女を好ましいと思っているとしたら、おれは変態ということになってしまう。好きこのんで不特定多数の女の相手をしている訳ではない。菊代が云う通り、本当に厭だったら路上で暮らす道を選んででも逃げ出せばいいのだ。では、何故アキの家を出ないのだろうか。
 親友の今井は最初からアキと暮らすのに反対していた。ショーコさんは彼女の友人であるにも拘わらず、おれがすべてを抱える必要はないと云った。それでも。
 ——アキを見捨てて逃げることは出来ない。
「アキちゃんのこと、ほんとに好きなんだね」
 好きなのか? おれは彼女を愛しているのだろうか。
「水尾君、自分の為のことあんまり考えないみたいだけど、どうして?」
「どうしてって、おれは別に……」
「自分のこと、大切じゃないの?」
 大切? なんでこの女はこうも根源的なことばかり訊いてくるのだ。ひとを好きになったり自分を大切に思ったことなどない。そんな感情を抱いていたら、とっくに自殺している。積極的な感情は命取りだ。
「水尾君はまだまだこれから色んなことを体験するんだよ。その為には自分を大切にして感受性を豊かにしないと、せっかくのものを見失っちゃうよ」
 感受性を豊かになど出来るものか。そんなことをしたら気が狂ってしまう。
「ほっといてくれよ」
「ほっとけないから云ってるんじゃない。わたしのこと好きなら少しは云うこと聞いて」
「好きじゃねえよ」
「先刻、好きって云ったじゃない」
「あんたが来なくなるように云っただけだよ」
「そんなにわたしが嫌いなの」
「嫌いじゃねえよ。嫌いじゃねえけど、あんたと居ると厭な気分になるんだよ。頼むから、もうおれに構わないでくれ」
「嫌いじゃないなら、わたし、また会いにくるよ」
「だからやめてくれよ、そういうの」
「なんでそんな泣きそうな顔してるの?」
「泣きそうな顔なんかしてねえよ。あんたが困らせることばっか云うから悪いんだろ」
「水尾君のこと、心配してるんだよ」
「心配なんかしてくれなくていい」
「どうして? なんでそんな風にひとの気持ちを振りほどくの? 恐いの?」
 恐いのだ。菊代の気持ちも、言葉も、眼差しも、すべてが恐かった。こんな風にひとから思いを掛けられるのは恐い。恐怖心が募ってその場から立ち去ろうとしたら、彼女はおれの腕を摑んで引き止めた。
「離せよ」
 その手を思い切り振りほどいたら、菊代はつんのめってしまった。
「ごめん」
 彼女は膝に手をつき、おれを見上げた。気不味くて、おれは目を逸らした。
「アキちゃんが好きなら好きでいいじゃない。あの子、変なことするかも知れないけど、水尾君のことほんとに好きなんだよ。その気持ちに応えてあげるのはなんにも悪いことじゃないでしょ」
「どうでもいいだろ。おれたちのことはほっといてくれよ」
「ほっとけない」
「なんでだよ、あんたに関係ねえだろ」
「関係ないかも知れないけど、水尾君のこと知っちゃったから、もうほっとけない」
 どうしてそんなことを云うんだ。なんでそんなことを云っておれを困らせるんだ。他の女はおれのことなどただの玩具としか思わないのに。今井がおれの身を案じるのが重荷になったことはない。だが、この女の気持ちは重過ぎる。耐えられない。

      +


 何故かアキのアパートにふたりで戻った。能天気なことばかり云っていた菊代の方がまだましだった。こんな風に拘わってこられるくらいなら、さっさと抱いておさらばすればよかった。
 今からでも遅くないのかも知れない。
 肉体的な関わりを持てば、こいつも他の女と同じようにおれを見るだろう。だが、そんなことが出来るほどおれは腐っていなかった。
 気不味い沈黙が重苦しい。斜め横に座って、黙って俯いている菊代の姿を眺め遣った。いつものような生き生きとした雰囲気は陰も形もない。彼女を引き寄せ抱きしめると、少し安心した。
「どうする?」
「どうするって、なに」
「おれがこのままあんたをやっちまったら」
「やっちまうって、なにを?」
 まだそれを云うか。
「判んねえふりすんな」
「判んないもん」
 このすっとぼけた面は、本意なのか演技なのか。
「……アキが他の女を、なんの為におれのとこに寄越してるのか知らねえのか」
「なんの為って、水尾君が淋しがらないように……」
「どうすんだよ」
「お話しするの」
「それで?」
「一緒にご飯食べる」
「それから?」
「帰る」
「その前に」
「何かするの?」
「そっちがメインだ」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
「わたしもそうした方がいいの?」
「その方がいいような気がしてきた」
「なんか恐いこと?」
「ひとに依っては」
「じゃあ、やめて」
 ……厭になる。
「もう帰るか?」
「別に用事はないんだけど」
「じゃあ、泊まってくか」
「それでもいいけど」
 いいのか。
 いや、それでいいのか? 意味判ってんのか?
 擦れていないにも程があるだろうが。男ひとりの部屋にのこのこと上がり込み、これまで相手が何もしなかったから安心しているとは謂え、一夜を共にしたら何があるかくらい判るだろうが。
 しかし彼女の屈託のない表情を見て悟った。世の中にはこうした阿呆にしか思えない純真無垢な奴も居るのだと謂うことが。アキやおれが汚れまくっているだけで、もしかしたら菊代のような馬鹿が、実は掃いて捨てるほど居るのかも知れない。
 そんな訳はなかろう、と思ったが、彼女の顔を見ていたら何かを考慮し、慮るのが馬鹿らしくなってきた。
「晩飯、何喰いたい?」
「んー、なんでもいいけど」
「冷蔵庫に何があったかな」
「どんなものが作れるの」
「どんなものって、有り合わせのもんで適当に作るだけだよ。……なんもねえな。買い物、行こうか」
「うん」

 …………。

「アキちゃんといつも此処に来るの?」
「此処にしか来ねえな」
「一緒に出掛けないって云ってたね。どうして」
「さあな。他の男と出歩くのに忙しいからだろ」
「アキちゃんがいろんなとこ一緒に行ってくれたら嬉しい?」
「別に」
「きっと愉しいよ」
「そうかなあ」
「好きなひととなら何処に行ったって愉しいもん」
「少なくともスーパーに来るのはそう愉しくねえな」
「アキちゃんはきっと楽しんでると思うよ」
「おまえは?」
「こうして水尾君と一緒に居ると楽しい」
「そりゃよかったな」
「うん」
「で、何が喰いてえんだ」
「この赤いピーマン」
「パプリカ」
「ピーマンじゃないの」
「……ピーマンだけど」
「これ食べたい」
「じゃあ、サラダか炒めもんになるか」
「あとは……」
「今、選んだもんと合うのにしろよ」
「判った」

    +

 どうも菊代は喰い物に関するセンスがないらしく、結局おれが殆ど選んだ。作ったのは、パプリカとアボカドと家にあった胡瓜を加えたサラダ、それに小蝦とレタスの炒飯である。実に簡単なもので済ませることが出来た。
「美味しいねー。こんなのわたし作れない」
「これくらい作れるようにしろよ。嫁にいったら旦那に笑われるぞ」
「水尾君、教えてくれる?」
「だから、もう此処には来ない方がいいっつっただろ」
「本気でそう思ってるの」
「本気だよ。こんな処に入り浸ってたら碌なことになんねえよ」
「どうして」
「どうしても」
「水尾君にもう会えないの」
「会わない方がいいんだよ」
「わたしの為?」
「お互いの為」
「それなら仕方ないか……」
 やっと納得してくれたようだ。

      +

 客用布団などないのでベッドで一緒に横になったものの、犬や猫と寝るのと同じだった。犬や猫と寝食を共にしたことはないが、文献から得た知識でその感覚は計り知ることは出来る。
 色気がなくとも女であればなんとかその気なるのではないかと思ったが、そんな気配は微塵も起こらない。不能になったのかと思ったほどである。否、犬猫に慾情しない感覚が備わっていることが判っただけでも勉強になったのかも知れない。取り敢えず、おれは変態ではない。
 そもそも、通常の人間はどれだけ愛情を注ごうとも、愛する犬猫と交接を求めたりはしない。おれもやはり、菊代とそうした状況になろうとは思わない。つまりおれにとって、菊代は犬や猫と同じ存在なのだろう。
「男のひとと寝るのはじめてー」
 馬鹿なのか、こいつは。寧ろ犬猫の方が賢い気がする。
「ああ、そう」
「アキちゃんと違う?」
「まったく違うな」
「どう違うの」
「ぜんぶ」
「そうなんだ。やっぱ、愛情の違いかな」
「さあな。愛情なんかなくてもやれるけど」
「何をやるの」
「おまえとはやらねえ」
「ふーん」
「世間一般の男はこんなんじゃねえから、ほいほいひとの家に泊まるなよ」
「どうして」
「好きな奴だったら構わねえけど」
「水尾君のこと、好きだよ」
「好かれてもやる気になんねえ」
「なにを?」
「深く考えるな」
「教えてよー」
 と云われても、こんな物判りの悪い女にどう説明していいのか見当もつかない。ので、キスだけしてみた。すると、まん丸な目をして此方を見るではないか。まあ、はじめてだったのだろうが、こんな反応を示されたことはない。
「吃驚した」
「……ごめん」
「謝らなくてもいいけど。わたしのこと、好きなの?」
「少しは」
「少しでキスするの」
「教えてって云うから」
「こういうことするんだ」
「前段階として」
「この後は?」
「無理」
「なんでー」
「なんでっつわれても、男の生理として出来ねえもんは出来ん」
「出来る出来ないがあるんだ」
「そういうこと」
「他の娘には出来るの?」
「何故か出来る」
「どうやって」
「こうやって」
 と、覆い被さってみた。
「こわーい」
「だろ。だから男の部屋に簡単に泊まったりすんな」
「でもなんか面白い」
「面白がるな」
「なんか話して」
「この状態で?」
「どいてくれた方がいいかな」
「……なに話せばいいんだよ」
「アキちゃんのこと」
「うーん。アキの何を」
「はじめて会った時、どう思った?」
「変な女だと思った」
「どうして一緒に暮らすことになったの」
「家を出たかったから」
「ああ、お父さんが暴力揮うんだったね」
「此処に来た頃にはもう殴ったりしなくなってたけどな」
「アキちゃんのことが好きになったんだね」
「無理矢理勃たせてやらせるような女、好きになるかよ」
「何を立たせたの」
「おれを」
「ずっと座ってたの?」
「あのなあ……」
「なに?」
「おまえいっぺん、生物学の番組かなんか見た方がいいぞ」
「なんでー」
「知識がなさ過ぎる」
「どんなこと勉強すればいいの」
「取り敢えず、子供がどうやって出来るか学んどいた方がいい」
「家で飼ってた犬が子供産んだことあるよ」
「どうやって産んだんだ」
「寝てる間に産んだから判らない」
「いや、その犬の相手は居たのか」
「飼ってたのは一匹だよ」
「それが間違いのもとか……」
「間違いって?」
「哺乳類が一匹で子供作る訳ねえだろ。単細胞生物じゃねえんだぞ」
「交尾しなきゃ妊娠しないのは知ってるよ」
「知ってんのか」
「あたりまえじゃん」
「知らねえのかと思った」
「なんでー」
「だったら、おれとアキや此処に来る女どもがこのベッドで何してるかくらい判るだろ」
「お喋りしてるって云ったじゃん」
「だから……。もー、なんなんだよ、おまえ」
「そんな困った顔しないでよー」
「実際困ってんだよ」
「どうして」
「もう質問しないでくれ、疲れた」
「じゃあ、わたしがお話ししたげる」
 と、菊代は創作昔話をはじめた。
「昔むかし」
「はいはい」
「ある処に、可愛い女の子がおりました」
「おまえか?」
「アキちゃんだよー」
「……アキな」
「女の子が森を歩いていると、とても不気味な湖にゆきあたりました。ミアズマが立ち籠め……」
「ミアズマってなんだよ」
「瘴気のこと。悪い空気って意味。ヒポクラテスが云ったんだよ」
「変なことだけ詳しいんだな。何処で覚えたんだ」
「ファンタジー小説読んだら書いてあった」
「へえ。あんたでも本読むんだ」
「読むよー。水尾君わたしのこと、凄く馬鹿にしてない?」
「ちょっと見直したよ。で?」
「ミアズマが立ち籠め、氷のように冷たい風が吹いていました。女の子は恐ろしくなって帰ろうとしたのですが、湖の水面がごぼごぼと煮え滾るように沸き立ちました。そして、白い泡の中から銀色の大きな蜘蛛が、ぶわーっ」
「何しやがんだよ」
「驚いた?」
「いきなり布団跳ね飛ばしたら驚くに決まってるだろ」
「ぶわーっと襲いかかってきました。女の子は悲鳴を上げて逃げ惑いましたが、大蜘蛛はすばやく追ってきます。ああ、もう駄目だ、わたしはこの大蜘蛛に食べられてしまうんだ、と女の子は思いました。そこへひとりの若者が通り掛かりました。その若者は、この森の妖魔に囚われた王子様でした」
「囚われてんのになんでうろうろしてんだよ」
「森の外には出られないの」
「ああ、そう」
「黒いマントに黒い服の彼は、暗黒の王子と呼ばれておりました」
「もしかしておれか」
「そうだよ。アキちゃんには水尾君って決まってるでしょ」
「決めるな」
「王子は剣を抜き放ち」
「アキをばっさり斬ったんだな」
「そんなことする訳ないじゃない。王子は剣を抜き放ち、鋼鉄のように硬い蜘蛛の糸を断ち切り、女の子を救い出しました。けれども大蜘蛛はまだ迫ってきます。王子は蜘蛛の目の間に剣を突き立てました。すると、青い血がぶわーっ」
「だから、それはもういいって。だいたい蜘蛛に血は流れてねえだろ」
「いいの」
「いいのか」
「蜘蛛はみるみるうちに縮んでゆき、銀の指輪になりました。王子はそれを取り上げ、女の子の指に嵌めました。蜘蛛の正体は森の妖魔でありました。王子は呪縛から解放され、城に戻ることが出来ました。けれども、森で助けた女の子が忘れられません」
「さっさと城に戻ったんだから、未練なんかねえだろ」
「蝙蝠がお城に報せて迎えが来たから帰っただけだよ。王子様は蝙蝠に頼んで女の子の居場所を探させました。けれども、女の子の行方は杳として知れません」
「なんだか、昔話らしからぬ表現だな」
「この間、読んだ本にあったの」
「使いたかったのか」
「そう。王子様は悲しみのあまり……」
「死んだんだな」
「死なないってば。もう、話の腰を折らないで。王子は悲しみのあまり床に臥せってしまいました。心配した友人が彼のもとにやって来て、事情を聞き出しました。王子の友人はそれならばわたしが探し出してこよう、と森へ出掛けてゆきました」
「そいつは殺すなよ」
「今井君だって判ったんだ」
「判らいでか」
「王子の友人は先づ湖にゆき、女の子の消息を調べました。釣りびとに訊ね、薬草摘みの女のひとに訊ね、森の動物たちにも訊ね……」
 
 このところ寝つきが悪くて毎日明け方頃にやっと睡りに就くのだが、彼女の支離滅裂な話を聞いているうちに、いつの間にやら眠っていた。
 翌日の午頃、菊代は名残惜しそうに帰っていったが、彼女に云ったように互いの為である。無邪気な人間とつき合うのは非常に疲れる。今後そういった人間に関わることはないだろうと思っていたら、出会ってしまった。
 本気で好きになって、大切にしてゆこう、と思っていたら死んで了った。死にたいと思った時には死ねずに、なんでこんな時に、と思ったが、そんなことは自分で選択出来ないので仕方がない。
 が、幽霊になってこの世に居残る羽目になった。なんなのだ、一体。神も仏も存在しないことは身に沁みて判ったが、幾らなんでもこれはないだろう。


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