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悲しくて。

「ミスター・ロンリー」
 冒頭で流れる有名な『ミスター・ロンリー』に、涙が出た。
 わたしは戦争に行く訳ではないが、電話は来ない、する相手も居ない。
 手紙も来ない。来るのは光熱費の請求書と不動産のチラシだけだ。
 親にも見捨てられた。と謂うより、「居ないもの」とされた。その挙句、すべての雑事が押し寄せてきている。ありえない。

 主人公の青年は、街中でマイケル・ジャクソンの扮装して大道芸を披露している。
 そうしている間だけ、彼は「たった独りの自分」から解放されて、少しだけ勇気が出る。
 マイケルになることだけが、彼の救いだったのだ。

 だが、当然そんなことだけでは喰ってゆけない。
 エージェントのようなものもついているようだが、彼はマイケルに「なる」ことに固執する。
 そして或る時、マリリン・モンローの姿をした女性と知り合う。彼女に誘われて、モノ真似芸人たちのコミューンのような処へ誘われる。だが、傍から見ると、彼らは悲しい存在にしか見えない。ひとりでは立っていられなくて、会ったこともない有名人に縋って、自分がその人物に成り代わることで漸く自分を保つことが出来るのだ。

 誰もが、その場その場に合った仮面を被る。が、それは意識を切り替えるだけのことであって、本当に化粧をして鬘を冠り、衣装を身に着けることではない。彼らは、そこ迄しないと息をすることすら出来ない。陸に揚げられた鯨のように、じわじわと死んでいってしまうのだ。

 マイケルの扮装を棄てた時、青年の目は気弱さを残してはいたが、地に足をつけてゆく決意も見られた。そこには大きな犠牲があったのだが。

 「恐るべき子供」といった印象だったハーモニー・コリンだったが、こんなに成熟した、そしてやはり疵つき易い子供のような作品を作り上げた。素晴らしい才能だ。

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