わたしは猫になりたい。
発達障害という言葉は、わたしが発病した頃にはなかった(と思う)。と思う、と括弧して書いたのは、当時、そんな言葉など見たことも聞いたこともなかったからだ。だから恐らく、なかったのだと思う。
中学二年の終わり頃、高校受験を控えた時期に、わたしとしては唐突に鬱状態になった。これが延々と続けば親もどうにかしようと思ったであろうが、数ヶ月すれば、嘗てなかったくらいに意気揚々と学校へ行くのである。級友は、さぞかし戸惑ったことであろう。
なにしろ三週間ほども欠席した、これまで無視をするか嫌がらせに近い行為しかしていない奴が、やたら元気よく教室に現れるのだ。しかも、テストで良い点を取る。授業に出てもいないのに。
これに関しては、わたしもよく判らない。試験の少し前から復帰して、教科書を頑張ってお復習いしただけなのだ。面倒くさがり屋で、集中力も記憶力もあまりない人間である。頑張ったところでたいしたことはない筈だ。
が、及第点を取ってしまう。
細かいことは端折るが、出席日数が足りないのに学年主任が捻じ込んで(担任は若すぎて無力だった)、某ミッション系の私立高校へ推薦入学出来るように手配した。わたしとしては、集団の裡に居るのは苦痛でしかないし、子供ながらも過ごしてきた人生からするに、他人と関わる世界に新しく飛び込んで巧くやって行けるとは、とても思えない。
しかもその宗教系高等学校は、最寄りの駅から公共交通機関の始発に乗り、終点の駅から更にスクールバスの送迎がある。
朝っぱらから、一時間半もの小旅行を強いられるのだ。
有り得ねえ。
しかもわたしは、親が拒絶するので通院も出来なかったが、素人考えでも躁鬱病。現在で云うところの、双極性障害であった。
躁鬱病と云った方が判りやすくはないか?
で、一学期の半分を欠席したにも関わらず、試験の成績はクラスのトップになってしまい(何故?)、夏休みの合宿にも駆り出され、北陸の海で雨の降るなか遠泳をし、それでも極度の日焼けに重いボストンバックの持ち手で擦れた肩の皮膚から流血し、他人が驚くほどの事態になった。
そして夏休みが明ける前に母子ともに呼び出され、一学期の出席日数が足りないので強制退学か自主退学を選んでくれと、スペイン人の校長の横に立つ教頭から云い渡された。
いや、そういうことは夏休みに入る前に云ってくれよ。合宿費用も夏期講習の費用も徴収しておいて、今更それはないんじゃないかい?
わたしは好きこのんで北陸の海で遠泳をした訳ではない。なにしろ小学校一年生の水泳を会得する肝心の時、中耳炎でドクターストップが掛かったのだ。おかげで、皆よりかなり遅れて泳ぎを習得する羽目に陥ったのである。次のプール解禁まで、かかなくてもいい恥を散々かいた。
それがいきなり雨天の遠泳である。砂浜というより砂利浜と云いたくなるほどの、行き慣れた海水浴場しか知らぬ者からすると賽の河原か、と思うようなところなのである。しかも遠泳。
教師は呑気にボートから拡声器を使い、「そら、頑張れ、もう少し。大丈夫、行けるぞ」などと云い、「ほれ」と、氷砂糖を口に放り込む。いつの時代の教練だ。わたしは戦中派ではない。
そんな苦難を経て、退学を強制か自主かと選ばされたのだ。もともと行きたくもなかった学校である。そんなところから追い出されたくはない。考えるまでもなく、自主退学を選んだ。
しかしこの愉快な学校は、追い出した生徒相手に寄付金を数度、要求してきた。
その後、紆余曲折あり(躁鬱病に苦しみ、何度かの自殺未遂を経て、あくまで放置する親に飽き兼ね、己れで見つけた病院へ通院、更に転院して入院、更に転院に次ぐ転院を重ね)、現在に至る。端折り過ぎだろうか。
しかし自分の来し方を振り返ってみて、大変だったと当時思っていたことを、ドラマチックに思い起こすだろうか。
ああ、あんなことがあったなあ。
くらいにしか思わないのではなかろうか。そりゃあ睡眠薬を多量に飲んで、気がついたら病院のベッドに拘束され、身動きも出来なければ、胃洗浄の所為で喉も胃も痛い。朦朧として記憶もはっきりせず、体も何処か他人のようになっている。
こんなことを阿呆のように四、五回も繰り返した。一番最後は、四十も過ぎてからである。馬鹿の極みもいいところだ。
精神的病いの恐ろしいところは、年齢制限がないことである。老若男女問わず、誰彼構わず襲ってくる。気を許せば、奴は背後に潜んでいるのだ。避ける手立てはない。対処法もない。恐ろしいことだが、治る手立てもないのだ。
わたしが長年苦しんでいるのが過食嘔吐である。こんなものは思春期の女の子が罹るもので、インターネットで検索してみても、子供に対する回答ばかりである。
しかし摂食障害は精神疾患の中でも、特に治り難い病なのだ。治り難いというよりは、治らない。本人の根本の姿勢、心持ちが変わらない限り、決して完治しない。そして、人間の根本というものは、滅多なことでは変わらない。
滅多なことというのは、死んだ時のことである。
つまり、摂食障害は不治の病なのだ。昔は拒食症、過食症と云われていたが、どちらも根本は同じだ。食事により己れを痛めつける行為である。
体型を気にして極端な摂食制限からくるものが思春期に多い。だから摂食障害は思春期病と云われ、中高年でもその障害に苦しむひとが居ることは、あまり知られていない。
治らないのだから思春期の子供たちが成長すれば、おばはん、ババアになるのは当たり前であろう。それが部外者には判らないのだ。
細々と年金で暮らしている老人にも、摂食障害者は存在するのである。食べて食べて食べ尽くし、ぶくぶくに太る者も居れば、太りたくないから何も食べずに、即身仏を目指すような者も居る。
一番多いのは、『食べたくない、でも食べることしかやることがない、でも食べると太ってしまう。太った自分は嫌いだ』そう思っていても、たくさんの食べものを胃袋の中へ入れ、パンパンになったところで放出する。
体の中から一気に、食道を圧迫するように体外へ噴出される吐瀉物。すべてが吐き出される。苦しくて涙が溢れ出ても、これはなんという快感なのであろう、と思える。
体の中から厭なものがすべて排出された感じがするのだ。負担になっていた訳の判らない重しも一緒に流れ出ていったようで、なんだか身も心も軽い。
と、この快感が癖になり、ごく普通の食物摂取量では吐き気を催さないので、菓子パンなら7、8個、カップラーメンなら汁があるので3個、ポテトチップスなら徳用のものを2袋、食べたくもないのに詰め込むように喰らう。
そこからの、清涼飲料水を(貧乏人の場合は水道水)リットル飲みである。そうして尋常ではない量の喰いものを胃袋に詰め込んで、喉に指を突っ込み限界まで吐き出す。
しかし、すべて吐き出すことは不可能である。不摂生で弱っていても、胃腸はなんとか機能しているおり、多少は消化吸収されているのだ。吐きだす吐瀉物に含まれる胃液で歯はボロボロになり、口の周りも荒れる。頻繁にやると胃と食道の境目が裂け、吐血することもある。
それを踏まえて尚且、健康は度外視してもきれいになりたい→痩せる。痩せるときれいになる→食べないでおく(わたしは偏食で痩せていたので、ストレスに依る摂食障害であったが)。吐くと妙な爽快感と充実感に満たされる。
こうなると痩せたいからではなく、嘔吐することで体の中の毒を放出したと思い込んでいるとしか思えない。思えないのではなく実践者として、そう感じていた。胃の内容物を吐き出すことにより身の裡のもやもやが物理的に、一気に放出されたような気がするのだ。
しかし、すっきりしても喰ったものを吐いてしまったという罪悪感は、慾望を満たすだけに食物を詰め込んだことにより、尚更強く感じる。
ただ、吐くことでの爽快感は強烈にあった。それがストレスに依る心理的負担を吐き出す行為なのか、喰ったことを単にリセットしたかったのかは、自分でも判らない。
念を押すが、これは十代の話ばかりをしているのではない。中年、それこそ思春期で悩んでいる者の親の世代でも、やらかしていることなのだ。そして云うなら、この年代の過食嘔吐に対応している医療機関は、かなり少ない。わたしが知る限りでは、希少である。
摂食障害など金に困った状態になれば治るだろう。
と、判らぬ輩は云う筈だ。
では、収入が乏しいのにパチンコ屋に通いつめるひとはどうなのだろうか。働きもせずに呑んだくれ、子供の小遣いにまで手をつける輩はどうなのだろうか。ソーシャルゲームに嵌ってしまい、払いきれないほどの課金をして、自己破産してしまうひとはどうなのか。
摂食障害者は、愉しみよりも己れを痛めつける方を選ぶ。それは食べないこと、或いは、胃袋が裂けるほど食べて食べて食べまくり、涙を流しながら吐くこと。それは持ち金がないのに、慾しいものには有り得ないほどの浪費をしてしまうことと行為である。ただし、本人とっては「浪費」ではない。謂わばそれは、自分に対する施しなのだ。
まあ、はっきり云って、こういうことをする人間は屑なのだけれど。
が、罪を犯した訳ではない。犯したとしても、それはすべて自分に返ってきているのだ。因果応報を身を以って実践している。趣味でこさえた借金など、本人の覚悟次第でどうにでもなる。死を選ぶくらいなら自己破産をすればいい。しかし、摂食障害は違う。
これは緩やかに死へ近づく、極めて自己満足的な自殺行為なのだ。謂わば、期間無制限に行われる、死に至る儀式である。王が執り行うセレモニーを止める術はない。采配する者は、己れの権限で極限へ向かうのだ。
わたしは現在、精神障害2級の手帳を持っている。国の機関が認める障碍者なのだ。大手を振っているつもりはないが、公共機関を無料で利用している。よく見る白十字の赤い札も鞄につけている。
率先してつけたい訳ではないが、パニックに陥りやすく、実際のところ、過呼吸になったり見当識を失い不安のあまり、他人から見て不審な行動をする(らしい)。こんな風に自我が崩壊している際には、冷静な第三者の助けが慾しい。
そうした羽目に陥ったことがあるけれども、「なにこのひと、きも悪っ」という視線を浴びただけで、誰も助けてくれなかった。
そもそもこの赤札を見て、明白地に顔を背けるひとの方が多いのに驚く。満員電車の中で優先席に座るひとが、この赤い札を見て厭な顔をするのを何度も見た。
相当足が草臥れており、立ち上がることも困難な状態にある為に、優先席(昔はシルバーシートといった)に座っている自分は後ろめたいけれど、そんな札をチラつかせて、わたしを罪悪感に駆らせるあんたを憎む。
そんな顔つきをするのだ。
別に席を譲って慾しい訳ではない。だが、そんな顔をしてこれ以上、人間に絶望させないで慾しい。自分でどうにか出来なくとも、他人にどうにかして慾しいとは思っていない。自分の始末は自分でつける。たとえ路傍の果てに仆れ臥し、塵屑となり果てようとも。
屑のこうした覚悟を、あなたたちは知っていましたか?
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