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いとこ同士

 影郎がまだ十七の頃、バイクに乗せてやったことがあった。が、住宅街を出る前に彼は落ちてしまった。何を考えたのか、ぼくの体に廻していた手を離してしまったのだ。もしかしたら、いつものように気を失ったのかも知れない。
 慌てて救急車を呼んだが、意識がなく、頭から血を流していた。ヘルメットの留め具を嵌めていなかったようで、舗道の縁石に打ちつけたらしい。病院に担ぎ込まれ、緊急手術となった。左腕は複雑骨折で、鎖骨は折れ、頭の疵は五針縫うほどだった。骨はくっつくだろうが、頭の疵が心配である。
 これ以上、阿呆になったら何うしたものか。
 別に頭は悪くないと思うのだが、中学校しか出ておらず、その後は働きもしないでふらふらしている。彼の両親は父親の仕事の都合でドイツへ行っており、留守宅はぼくに任されていた。親が居ない間にこんなことになってしまって、なんとお詫びをしたらいいのだろうか。
 影郎は二日間、意識が戻らなかった。医者はこんなに意識が回復しないとなれば、脳に損傷があるかも知れないと云った。これはもう、叔父夫婦に連絡して帰って来てもらった方がいいのかも知れない。
 などと思っていたら、三日目の午頃、影郎は目を覚ました。まだ朦朧としているらしく、焦点の合わない目で中空を見つめている。大丈夫か、と訊いても、聞こえていないのか返事をしない。ナースコールで意識が戻ったと伝えると、看護師がすぐにやって来た。
 体温と血圧を測ると、先生は今、手が離せないので後で来ます、と云い残し、看護師は出て行った。もう一度大丈夫かと訊いたら、影郎は漸くぼんやりとぼくの方を見遣った。
「……おれ、どうしたの」
「バイクから落ちたんじゃがな」
 ふうん、と云って、彼は目を瞑り、また眠ってしまった。
 担当医が来てもまだ眠ったままなので、ぼくが代わりに状態を説明した。
「一応、何か喋ったんですね」
「一応ですけど」
「血液検査の結果、貧血でね、血圧も凄く低い。何か持病はありますか」
「これといってないですけど、食は細いです」
「まあ、食欲旺盛には見えないねえ‥‥‥」起きたらまた報せて下さい、と云い残し、医師は去って行った。
 目を覚ましたのは、面会時間も過ぎ、ぼくが予備のベッドを設置している時だった。左人志、と呼ばれて振り返ったら、ベッドに半身を起こして疵が痛いのか、顔を顰めている。
「痛むんか?」
「頭が痛い」
「ほかは」
「とくに……」
 普段はくだらないことをよく喋るのに、それだけ云うとまた黙り込んでしまう。腹は減っていないか、と訊ねても首を振るだけだった。包帯だらけで腕にはギブスが嵌められ、手の甲には点滴の針が刺さっている。あちこち刺した結果、そこしかまともに刺せなかったのだ。
 実に痛々しい。
「なんぞ、慾しいもんないんか」
 影郎は枕の上で首を横に振った。こんなに温順しくて、どうしてしまったのだろう。
 翌日、脳の検査が行われたが、異常はないとのことだった。少し安心して、彼の親に連絡した。骨を折っただけでたいしたことはないと伝えたら、それならいいと根掘り葉掘り訊ねてこず、あっさり電話を切った。冷たい訳ではないが、かなり放任である。その所為で、あんな風に育ってしまったのだろうか。
 影郎が高校に進学しなかった理由はよく判らないが、普通の親なら行くように説得するだろう。今時、中卒では碌な仕事に就けないし、息子の将来を考えたなら進学させる筈だ。だが、彼の両親は子供の好きなようにさせていた。
 アルバイトもせず、ギターを弾いてバンドをやり、遊び廻ってばかりいる影郎に小言を云うのは、ぼくの役目だった。そんな小姑のようなことはしたくなかったが、あまりにも目に余る行動をしたので致し方ない。不良とつき合っている様子はなかったが、何日も帰って来ないこともあった。
 一度、半月近く戻ってこず、さすがに親も心配して、失踪届けを出したことがあった。ぼくは警察など当てに出来ないと思い、バイクで心当たりを探し廻ったが、なかなか見つからなかった。が、何事もなかったかのように、影郎はひょっこり帰って来た。地下鉄のホームで仆れたところを介抱してくれた男の家に居候していたという。
「連絡くれぇ、出来たじゃろうが」
「そんなに心配するとは思わなかった」
「心配するに決まっちょろう」
「だってそんな遠くなかったし……」
「遠なかったちゅうて、こっちに判るかい。なんの為に携帯電話持っとんのじゃ」
「ごめんなさい」
「ごめんじゃなかろう」
 よく仆れるので病院へ何度も連れて行ったこともあったが、貧血だから栄養価の高いものを食べれば治ると云われた。しかし、影郎は食が細いと謂うのでは追いつかないくらい、ものを食べなかったのだ。自分で料理を作るので、レバーや法蓮草を食べるようにと勧めたら、素直にそれらを使って調理をしていたが、一日に一回しか食べないから、あまり効果はなかった。
 体力がない所為か、疵の治りは遅く、長く入院することになった。誰にも知らせていなかったので、見舞いに来る者も居なかった。何うしているのかと訊ねてくる者も居ない。
 あれだけ遊び歩いていたのだから友人知人は多いだろうに、随分と水臭いものだ。しかし、影郎は淋しがってはいないようである。意識が戻った日とは違って、普通に喋るようになっていたが、やはり何処となく前とは違う感じがした。
 誰かに報せた方がいいかと訊ねても、彼は断った。社交的な人間なのに、と不思議に思って理由を訊いてみたら、不自由な姿を見られたくないと云う。彼にそんな神経が備わっているとは思わなかったので、少なからず驚いた。
 点滴はもうしておらず、不味そうな病院食を少しづつだが三食摂って、ギブスに落書きをしては、借りてきた主婦向けの雑誌を読んでいる。ふらふらし乍ら便所へも自分で行った。
 或る日、必要なものを家へ取りに戻ったら、甘利が訪ねてきた。海外旅行をしていたと云って、手に土産ものの袋を提げている。彼はぼくと同じ二十一才だが、影郎が小さい頃から一緒に遊んでいた幼なじみである。事故のことを云ったら驚いていた。
「大丈夫なのか」
「まあな。最初はどうなることか思うちょったけんど、今は落ち着いてきとるでのう。腕のギブスが取れたら、退院出来るんちゃうかの」
「ならいいけど。頭なんか打って、おかしくなってんじゃないかと思ってさ」
 ぼくと同じようなことを心配するので笑ってしまった。
「あれ以上、阿呆にならんじゃろう」
 翌日、甘利が病院に来たら、影郎はやけにはしゃいでいた。
「なんだ、心配して損したな。随分元気じゃないか」
「元気だよ。おしっこの管が取れたから」
「あんなもん、つけられてたのか」
「あれ、トイレに行かなくていいから便利だけど、抜く時すっごい気持ち悪くてさあ。看護婦さんにチンコ触られて恥ずかしかったし」
 それを聞いて、甘利は大笑いしていた。
 病院の外まで彼を送って行ったら、甘利は「あいつ、ちょっと様子がおかしくないか」と云う。
「やっぱ、そう思うか」
「何処って訳じゃないけど、なんかな」
「まあ、怪我して気ぃ弱おうなっちょる思うけんど、ちょっとのう」
「退院すれば元通りになるだろ」
「なら、ええんじゃけどの」

 影郎は三ヶ月で退院したが、暫くは左手を思うように動かせないようだった。いろいろ落書きしたギブスを記念に貰ってきたのに、翌日棄ててしまった。前と同じように料理をしていたが、やはり前と同じように一日一回しか食べなかった。
「先生が貧血治さなあかんゆっちょったじゃろうが。そんな喰わんでおると、いつまで経っても治れへんど」
「ちゃんと食べてるじゃない」
「三食喰ってから云えや」
 それからぼくと一緒に食事をするようになったが、朝は味噌汁だけ、午は自分で作った漬け物を齧るだけで、夜になってやっとまともなものを食べたが、量が少ない。酒を呑むとすぐ昏倒してしまうので、呑ませないようにしているが、外出先で何うしているかは判らない。
 秋になって学生生活最後の学園祭に連れて行ったら、同じサークルの女の子と意気投合して何処かへ行ってしまった。その日、帰って来なかったので電話をしたら、温泉に居るという。
「温泉って、何処の」
「有馬温泉」
「金はどげんしちゅうんじゃ」
「女の子が払ってくれた」
「女に払わせんなや」
「だって、財布に五百円くらいしかなかったんだもん」
 よくそんな状況で温泉など行く気になったものだ。結局、三日ほどで戻ってきたが、金がない癖に土産まで買ってきた。図々しいにもほどがある。

 ぼくは大学に通う為に、草場の家に厄介になった。その時、影郎は十四才で、学校の長期の休みには会っていたから、親しくつき合っていた。弟のように面倒を見ていたし、向こうは兄弟が居ないからか、よく懐いてきた。ぼくの実家は海が近かったので、遊びに来ると連れて行ったりしたが、泳いだり釣りをしたりすることはなかった。
 中学生の頃からぼくは写真を撮るのが好きで、カメラを持って近所を散歩した。影郎は金槌で、うちには釣り竿などなく、それでも彼は、ひとのやっていることを見るだけで満足しているようだった。
 遊覧船に乗ったり、離れ島に向かう連絡船でちょっとした小旅行をしたが、どんな時も影郎は愉しそうに笑っていた。この子は少し頭が足りないのではないかと思うこともあった。
「こら、そんな乗り出したら落ちるじゃろうが」
「落ちないよ」
「恐いで、手摺から離れ」
「左人志、心配性」
「こないだかて、ガードレールから転げ落ちよったじゃろうが」
「見てたの?」
「見ちょったわ」
 うちの方が本家に当たるので、彼が来ることばかりだったが、草場の家に行った最初の日、影郎はぼくの名を呼んで飛びついてきた。今でもそんなに大柄ではないが、その頃は一六〇センチもなくて、本当に子供子供していたのである。
 ぼくは玄関脇の部屋を宛てがわれたのだが、影郎は何故か、庭の物置のような離れに居住していた。電気は通っていたが、便所も冷暖房もない処だった。それは彼の父がホームセンターで見つけ、日曜大工の真似事で作ったものらしい。素人が作った割にはそこそこの出来映えだったが、断熱材が使ってある訳でもなく、白いペンキ塗りの木造の倉庫である。
 夏は糞暑く、冬は洒落にならないほど寒く、そう謂う季節は大抵ぼくの部屋に彼は居た。なんであんな処に居るのか訊ねてみたら、面白いからだと答えた。
「あれさあ、おれが気に入ったから、お父さんも作る気になったんだ」
「そうなんじゃ。でも、狭いし不便なんちゃうんか」
「んー、四畳くらいあるし、窓もあるし」
「窓くらいないと、家畜小屋じゃろうが」
「そうかなあ。でもひとり暮らししてるみたいで面白いよ」
「あそこで一体、何やっとんのじゃ」
「何って、悪いことはしてないよ。宿題したり、漫画読んだり」
 結局、両親が海外へ赴任するまで彼はそこに居た。今では本来の目的通り物置になっている。荷物を母屋へ運び入れる時、よくこんな処で寝起き出来たものだと感心したほどだ。ひとが住まうようには出来ておらず、隙間風すら吹き込んでくる。
 影郎は自転車にも乗れないくらい運動神経が鈍く、勿論免許も持っていない。こんな奴が車を運転したら、数十分で誰かを轢き殺すか電信柱かひとに家の塀にぶつかるだろう。そしてこの性格なら、知らん顔をしてそのまま去ってゆきそうである。
 病院へはぼくの運転する車で行った。中古で買った古い年式のスバル・レオーネの水色の車なのだが、影郎はこの車を殊の外気に入っていた。クラッチとブレーキとアクセルペダルの区別もつかず、ミッション車なのでシフトレバーを操作すると、「なんでそんなガチャガチャ動かすの?」と云っていた。
 一度、何もない広場のような処で運転させてみたが、発進させることも出来なかった。まあ、マニュアルの車だから、難しかったのかも知れないが。
 男にしては車にもバイクにもあまり興味がなかった。誰かに貰ったギターを飽きもせず弾いていたが、それ以外の趣味と謂ったら、料理を作ることくらいである。
 知人に頭脳テストのようなクイズを出されて、なかなか解けずにいたら、影郎はそれをなんの苦もなく解いてしまった。此方は二日も考えていたのに。
 それは九つの点が三列に並んでおり、そのすべてを四本の直線で通過させると謂うものだった。何うやってみても五本の線になってしまう。
「よう判ったの」
「だって簡単だよ」
「こんじゃげな風にはみ出させるとは思いもせんかったわ。おまえ、頭ええんじゃのう」
「頭は良くないけど、これ、クイズでしょ。クイズは得意」
「クイズが得意ちゅうことは、頭ええんじゃて」

 春になって、ぼくは銀行に就職し、影郎は何を思ったのか庭を耕しだした。何をするのか訊いてみたら、野菜を育てると云う。閑すぎるのだろうか。ホームセンターで種や苗を買ってきて、胡瓜や小松菜やハーブを植え、それらは順調に育ち、夏には収穫出来るようになった。食費が浮くのはいいが、野菜の料理ばかりになった。まあ、健康的でいいのだけれど、夏バテしそうではある。
 影郎は自分から何かをする、と謂うことはなかったが、友人につき合って色んなことをしていた。 愉しそうにしてはいたが、ひとりで居る方が好きなようだった。黙々と畑を耕し、台所に篭って料理を作り、ギターを弾いては唄っていた。
 不必要なまでにひと懐っこかったが、心から打ち解けている訳ではなさそうである。孤独の陰も見当たらないが、それは見た目の所為だろう。
 テレビも見なければ本も読まない。世間の情勢などまったく知らない。それでよくひとと会話が出来るものだと思っていたが、そんなことも気にしないのだ。
 まあ、つき合うのに疲れる奴だが、面白くはある。

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