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砂金のきらめき

 黄水晶とエメラルドと
 花粉くらひのふたつの星が
 童話のやうに婚姻する
 じつに今夜の、なんといふ空の明るさだらう
 空が精緻な宝石のやうだ
 金剛石の大トラストが
 取れないふりしてしまつておいた幾億を
 みんなぶちまけたとでもいふやうだ

 君の唇は紅玉のやうで
 思はず砕いてしまひたくなる

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 幼なじみの影郎は実に呑気な性格をしていたが、馬鹿と謂う訳ではない。馬鹿にしか思えないが、繊細な面も持ち合わせており、それを煙幕で隠すように、くだらないことばかり喋っている。
 そうは見えないが、恥ずかしがり屋なのだろう。
 子供の頃は泣いてばかりいた。優しい子で、死んだ蛙の墓を作って、毎日花を供えていた。しかも、何処で覚えたのか、般若心経を唱えてやっていたのである。
 自分より四つ下であったが、放って置けなくて可愛がっていた。

「ねえ、なんで此処、シェイクするカクテル出さないの」
「影郎はシェイカー使えねえんだよなあ」
「使えるよ。ちゃんと修行したんだから」
「えー、そうなんだ。なに、蝶ネクタイして?」
「そうだよ。きっちりバーテンダーの正装してた」
「うわー、見たかったなあ。……で、なんでシェイカー使わないの?」
「恰好悪いじゃん、あれ。馬鹿っぽくて、やりたくなかったんだよね」
「あ、影郎君。今、全国のバーテンダー敵にしたよ」
「おれもバーテンダーだからいいんだよ」
「カゲロー、変なとこで頑固だもんなあ」
「おれの結論としては、酒を振る必要はない」
「ははは、云えてる。寝かす必要はあるけどな」
「表の看板いいよね。影郎君が作ったの」
「ああ、あれは従兄弟が……」
「左人志か」
「甘利君、知ってるの?」
「知ってるよお。影郎はガキの頃からの親友なんだぞ」
「そうだったかなあ」
「あ、切り捨てたな。そんなこと云うと、ないことないことぶちまけるぞ」
「ないことばっかなら、痛くも痒くもないよ」
「うーん、慥かに」
「あることも混ぜなきゃ。この子、小さい頃からこんなんなの?」
「そーゆー詮索好きのご婦人から、カゲローを守らなきゃなんないからねえ」
「なんでよお」
「影郎はおれのもんなの」
「なにそれ」
「冗談だよ」
「まあね。それよりさあ、左人志、此処の共同経営者なんだろ。銀行の方はどうなってるんだ」
「んー、名義だけ貸してるってことにしてある」
「今日は来ないの」
「どうだろ、忙しいみたいだから」
「どんなひと?」
「おっとこまえ。カゲローの従兄弟なんだけど、こいつと違って背も高いし」
「へえ、見てみたいなあ」
「見せものじゃないよ」
「そういう意味じゃないわよ」
「左人志は年増好みじゃないから、期待しても無駄だよ」
「なによ。わたし、まだ三十五よ」
「トウが立ちまくって、煮ても焼いても喰えないじゃん」
「カゲロー君、可愛い顔してなんてこと云うの」

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 影郎は勉学に興味がなく、高校に進学せず遊び歩いて暮らしていた。いつからか音楽をやりだし、バンドを組んでライブハウスで演奏したりしていたが、それも二十五でやめてしまった。女にも男にも人気があり、誘われると誰にでもついて行った。
 あまりものを食べない所為か酷い貧血で、しょっちゅう仆れて、介抱してくれた相手に考えもなくついてゆき、失踪したと大騒ぎになったこともあった。品行方正とはとても云えなかったが、憎めない人間である。なんでも開けっぴろげに話すので、よくそんなことを受け入れられるものだ、と思うようなこともしていた。

「左人志君、どうしてる?」
「気にするねえ、湯葉さん」
「もー、湯葉って云うのやめてよ」
「なんで湯葉なの?」
「いやあ、このひと、精進料理が好きでねえ。胡麻豆腐とか雪花菜とか麩とかさ。でさ、特に湯葉が好きでね、無添加の豆乳買ってきて、ひとり暮らしの台所でそれを煮立てて、上澄みを掬っては美味しいおいしいって……。妖怪湯葉婆ァだな」
「ひっどい。婆ァはないでしょ」
「甘利、それ見てたの」
「見てる訳ないじゃん、そんなの。年増女と湯葉パーティなんかする趣味はない」
「酷い云われよう……。影郎君、何か云ってやってよ」
「難しいなあ」
「困らせんなよ、おばさん」
「呪ってやるわよ、わたしの方が先に死ぬんだから」
「湯葉とか食べてたら、二百年くらい生きるんじゃないの」
「そうそう、妖怪化してな」
「何云ってるのよ、もう。甘利君、部長に云って左遷させるよ」
「うっわー、恐いねえ。先輩立ててトモダチの店に連れてきてやってんのにさあ。三十半ばでそんなこと云ってると、マジ嫌われるよ」
「そんくらいにしろよ、甘利。本当に左遷されたら困るだろ」
「湯葉さんにそんな力ないよ。そもそも湯葉さんは、おれに惚れてんだから」
「勝手に云ってなさいよ。わたしはあんたみたいな軽薄な三十男、大嫌いなんだから」
「好きなんだってさ」
「あんたたちは、もう……」
「湯葉さんは置いといてさあ。左人志、もうすぐ誕生日だろ」
「うん、今度の火曜日で……」
「三十だろ、せっかくだから此処でお祝いしようよ。パアッとさ。いいかげん常連も増えてきてるんだし、左人志だっておまえの面、見飽きてるだろ」
「ああ、わたしも左人志君に会いたい。写真、見せて貰ったけど、すっごくカッコいいじゃない。……あ、だから連れて来ないのか」
「勝手に納得しないように」
「変な蟲がついたら不味いからな」

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 左人志の誕生日の祝いはお流れになった。そして、転勤を断ったので閑職に追いやられ、結局辞職し、影郎と一緒に店に出るようになった。酒やつまみを出すのは左人志の役目となり、影郎は店の隅でギターを爪弾き、時々唄っていた。
 たまに昔の女や男が現れたが、影郎はにこやかにその相手をしている。彼は同じライブハウスに出ていた木下と謂う男に凄く懐いていたが、向こうは変人ではあったがごく常識的な人間なので、彼を軽くいなしていた。

「木下君って時々関西弁使うけど、そっちの出身なの?」
「違いますよ、母親の実家は岐阜の山奥だけど」
「普通、腰をいわすとか、いらうなんて、こっちのひとは云わないよ」
「云わないかな……」
「よくなんぼって云うじゃない。あれ、こっちのひとが云うとイントネーション違うんだけど、合ってるし」
「遊木谷さんは関西方面なんですか」
「関西じゃなくて、中国地方だな。岡山だから」
「ああ、『八つ墓村』の」
「さすが図書センターの社員だね」
「横溝正史は子供の頃から読んでいましたよ。津山三十人殺しの本も読みましたし」
「もともと本が好きだったんだ。影郎はまったく読まないけど」
「あー。ああいう落ち着きのない奴は、読書に向かないでしょうね」
「なに、なんか云った?」
「云った」
「おれのこと?」
「そう」
「なんて」
「馬鹿だってな」
「酷いなあ。清世さん強姦しちゃうよ」
「殺すぞ」
「冗談だよ」
「冗談でも云うな」
「怒んないで」
「怒ってねえよ」
「リョウ君は優しいねえ」
「おまえの相手してると気が抜けるんだよ。そのとろくささ加減は清世に似てる」
「清世さんの代わりになれる?」
「宇宙が爆発しても無理だな」
「凄い規模だね」
「おまえがそれくらいの規模なんだよ」
「褒めてるの?」
「そう思っとけ」
「あ、そうだ。左人志、そこの棚にある瓶ちょうだい」
「これか?」
「そうそう。これ持ってってよ」
「なんだ、これ。金玉の漬けもんか」
「そんなもん漬ける訳ないじゃん。ポルチーニのオリーブオイル漬け」
「ポルチーニって、ナニ」
「茸。イタリアで穫れるやつ」
「高いんじゃねえの?」
「いいよ、うちにもまだあるし。薄切りにしてサラダとかスープに入れたりパスタのソースに使ってもいいよ。大蒜と唐辛子も一緒に漬けてあるから、そのままトーストとかに乗せて食べても美味しいし」
「おまえ、碌に喰いもしねえのに糞まめだな」
「糞は余計じゃない? リョウ君もご飯作ってるんでしょ」
「作りたくて作ってる訳じゃねえけどな」
「なんで清世さんが作らないの?」
「下手糞なんだよ。おまえ無意味に料理が上手いから、教えてやってくれ」
「リョウ君が教えればいいじゃない。おれに任せたら、何するか判んないよ」
「自己申告するな。こんな奴、野放しにしといていいんですか、遊木谷さん」
「鎖で繋いどく訳にはいかないからねえ」
「首輪したことあるよ」
「黙ってろ」
「本当にこいつと遊木谷さん、血の繋がりがあるんですか」
「あるんだよねえ、何故か」
「気の毒に……」
「なんでー」
「おれだったら、樽に詰めて絶海の孤島に放置する」
「放置プレイ」
「プレイじゃねえ。もう帰る」
「えー、もう帰っちゃうの」
「二時間も居ただろ。清世が待ってるから、もう帰るよ」
「待たせとけばいいじゃない」
「うるせえ。遊木谷さん、勘定なんぼ?」
「ほら、云った」
「あ、ほんとだ」

    ↓

 影郎は無邪気な子供みたいで、いつも愉しげにしている。けれど、何か自分に欠落しているものを探すように人肌を求めていた。それはたぶん、一生見つからないだろう。見つける気はないのかも知れない。彼はその欠落感と喪失感を、宝物のように抱え込んでいるように思えた。
 ずっと誰にも教えずに、そっと隠し込んでいるのだろう。
 それは、洞窟の中でひと知れず輝く宝石のようなものなのだ。

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