見出し画像

NON STYLEが好きだった私。

あの頃の私はNON STYLEが大好きでした。


私が小学3年生のとき

日本一の漫才師を決める大会「M-1グランプリ」でNON STYLEが優勝した。
そう、あれは2008年の12月21日。

一目ぼれだった。

優勝が決まった瞬間、綺麗な紙吹雪に包まれながら、綺麗な笑顔で綺麗な涙を流していた2人の漫才師に、完全に心を掴まれてしまった。

面白くてかっこいい人が好きだった。

コミカルでスピーディーな漫才をするかっこいい2人、しかも私と同じ大阪弁を喋っている彼らに、親近感を感じずにはいられなかったのだ。

それからというもの、私の愛読書はお笑いポポロマンスリーよしもとになり、地元の図書館の雑誌コーナーに毎月通うようになった(現在どちらも休刊中)。

時代は天下のジャニーズ嵐さまが大流行中。
しかし私は、お笑い雑誌を片手によしもとの芸人を熱心に追っかけていたのだ。学校で白い目で見られたことは言うまでもない。

小6で初めて劇場にNON STYLEの漫才を見に行ったときは、心臓がバクバクしすぎて死ぬかと思った。
あの日見たのはたしか野球部のネタ。一生忘れへん、と思う。

見た目は貧弱やのに漫才が始まった途端にめちゃくちゃアクティブに舞台上で動きまくる石田さんと、かっこつけながらも的確なツッコミを入れる井上さん。そのバランスはまさに黄金比。


私は特に井上さんが大好きだった

井上さんはナルシストキャラ。
女性から悲鳴があがるような言動を取ることも多く、よしもとブサイクランキングでは3年連続1位を獲得し殿堂入りするほどの容姿の持ち主だった。

私はよく友達に
「なんで井上なんか好きなん?気持ち悪いのに」
と散々言われた。数えきれないほど言われた。


だからこそ、私はそんな井上さんが大好きだった。
どんな誹謗中傷にもめげずに切り返す彼が、
どれだけひどいことを言われても傷つくことなく笑っている彼が、

本当に心の底から大好きだった。尊敬していた。

どれだけ学校で嫌なことがあっても、辛いことがあっても、
「井上さんだって乗り越えてるやん」と思ったら耐えることができた。


世間の見方は次第に変わっていった

NON STYLEを応援し始めてから数年。

井上さんは最初こそ言動ゆえに嫌われていたものの、ポジティブに考えてどんな誹謗中傷でもさらりとかわすそのキャラクターが、いつしか「スーパーポジティブシンキング」と称され次第に人気が出るようになってきた。


、プリクラ、日めくりカレンダー


様々なグッズが発売されては話題となり、井上さんとコラボしたプリクラには女子高生が行列を作っていた(もちろん私も並びましたが)。

あんなに嫌われていた井上さんの良さを、
ようやく世の中が分かってくれるときがきた。

私は素直に嬉しかった。

井上さんとコラボした限定プリクラがゲームセンターに出現した時、私はもう高校1年生になっていた。


その後、事態は急変

プリクラが話題になった約1年半後の、2016年12月11日。
(日付を覚えているのは、石田さんが“胃にいい日”と語呂合わせのようにして語っているから)

信じられないニュースが私の元に飛び込んできた。


井上さんは逃げた。
芸能人である自分の面目が保てなくなるのを恐れて、逃げた。

この解釈には事実と異なる部分があるかもしれない。
しかし私は、当時の報道を見たり石田さんや井上さんの言葉を聞いたうえでそう解釈した。

ショックだった。

私が大好きで尊敬していた井上さんは、車を当てた相手すら心配できないような人だった。

報道があってすぐに、石田さんは謝罪会見を開いた。
「井上の人生は僕の人生でもある」
石田さんはそう言ってくれた。
私はそれを聞いて死ぬほど泣いた。

もうNON STYLEの漫才が見られないかもしれないと思った。
二度とテレビに出してもらえないんじゃないかと思った。


時系列は曖昧だけど、たぶん年明けの3月頃。
井上さんは吉本の本社で記者会見を開いた。
大好きだった井上さんが、鼻を真っ赤にして泣いていた。



見ていられなかった。だって、そこにはポジティブの欠片もなかったから。


復帰

2017年の3月の終わりごろ。
ルミネで行われた石田さんと初恋タローのイベントで井上さんは復帰した。

私はテレビのワイドショーでその漫才を見た。石田さんは漫才の中で井上さんのことをいじり倒して、全て笑いにして昇華させていた。


最高やった。


その後、NON STYLEは「漫才行脚」というライブツアーを開催した。
チケットは当たらなかったけど、これからもNON STYLEは漫才を続けてくれることが分かって嬉しかった。

NON STYLEの状況が目まぐるしく変化していった2017年。
私は高校3年生になり、大学受験の年を迎えていた。

塾に通い勉強しまくり、お笑いを見る時間も減ってしまった。

時間があるときにはNON STYLEのネタをYoutubeで見て、

「あ~早く大学生になりたいな」

と漠然と思っていた。

ネタ中に事故の件を散々いじられる井上さんを見て私は素直に爆笑していた。それと同時に、私が尊敬していた井上さんのポジティブさは仮面だったのかもしれない、とも思った。

人は本当に傷ついたとき、ポジティブさだけでは乗り越えられない。
泣いて、謝って、反省して、自分を見つめなおさないと前には進めない。


ポジティブは武器にならない


私は大学生になった。

井上さんが好きで好きでしょうがなかった小学生のときと比べると、だいぶと物事を冷静に判断できるようになったと思う。


お笑いを見る余裕ができ、ときどき劇場へ赴き若手芸人のオーディションライブなども見るようになった。

若手芸人は泥臭くて、怖いもの知らずで、素直で、強いな、と思う。

みんな、自分のことが一番面白いと信じている。
それは決して周りが見えていないわけではない。
心の中に確固たる意志があるのだ。裸一貫で勝負をしている。

ポジティブの鎧など、そこには要らない。


ポジティブなだけじゃ生きられないことを知った。
自分の嫌な部分にもきちんと目を向けて、向き合って、
それを乗り越えて生きていかなくちゃならない。

上を見続けて生きられる人間なんていない。
地獄に落ちることだってある。
前進できずにズルズル落ちていくこともある。

自分の弱さを都合よく解釈することは、逃げてるのと同じだ。

偽りのポジティブは、いつか自分を苦しめる。
本当に辛くなった時に、苦しみの乗り越え方が分からなくなる。


NON STYLEを好きになって約12年。
私はやっと自分の中で大切なことに気づくことができた。


私は今年二十歳になった。
つまり、NON STYLEも20周年を迎えたことになる。

なんかこの文章全体的に重かったけど、今でもNON STYLEをめちゃくちゃ応援しています。石田さんの子育てブログめちゃくちゃ読んでます。


またいつか、劇場でお二人の漫才を見られる日が来ますように。


#NONSTYLE   #ノンスタイル #お笑い #漫才 #スーパーポジティブシンキング #井上裕介




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?