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2章 ツイキャスを始めてみた。しかし挫折と苦悩の日々が続く。

「やり方がわからない」
「何を話せばいいのかわからない」
「人が来ない」


一人喋りのツイキャスを始めてみた人間の多くがこのような問題に直面する。無論私もそうであった。なんせSNS上でオタクと関わることをNさん以外全くしていなかった為、最初はNさんが来ることだけを期待して枠を開いた(Nさんは後日来てくれた)


最初に始めた時の記憶は今も鮮明に覚えている。初めて人が来た時の第一声は「いや〜アンダラよかったですね〜」であった。


当時23rdシングル「Sing Out!」発売記念ライブが2019/5/24~26にかけて行われた直後であり、私は初日に行われたアンダーライブに足を運んでいたため、感想を述べることから始めたことを覚えている。ある程度話しきった後に視聴者を見た。「さっき1人来ていたけどもう誰もいないな..」脳内BGMは安全地帯の悲しみにさよならが流れたことをうっすらと記憶している。「気づいたら人いない」このような経験は何度もあった。


ツイキャスは現在視聴数と累計視聴数が配信側も視聴者も分かる仕組みになっている。コメントをしない事により、誰かは分からない。(どうも裏技があり、潜っていている人間を把握できる手段があるらしいが当方把握していない)


この視聴者数・累計視聴数はツイキャス開始当初は残酷な結果として、目に見える指標として数字という暴力が突きつけられる。現在自分の話を誰も聞いていないことへの虚しさ、また人が居着いてくれない事への寂しさなど複雑な感情を抱えたことを記憶している。


配信を開始して5日程経った時に、初めて人が居着いてくれた。その人はNさんではない全く知らない初見さんであった。ここではK君と呼ぶ。


僕は一人喋り、K君は文面で反応するという特殊なコミュニケーションを続けた結果、気づいたら7時間経っていた。当時は録画を消していたので完全に記憶から引っ張り出してるが、この経験が無ければ配信を辞めていたであろう。


K君は中元日芽香さんを推していた。沢山中元日芽香さんの情報を教えてくれた。「ひめたんってオタサーの姫っぽいなぁ..」と乃木坂を好きになった当初ぼんやり思っていたが、中元日芽香さんに対するイメージが180度変わったのも、K君が素晴らしさや乃木坂46活動内での苦悩や葛藤、そしてラストブログをコメントで教えてくれたからである。本当に感謝している。


K君は今は連絡が取れない状況にあるが、いつかまた連絡が来ることを待ち望んでいる。この場を借りて礼を言わせてもらいたい。あの時はありがとう。


こうしてツイキャス生活が始まった。楽しい時間・困惑した時間・悲しい時間など様々な感情であった。この時の心情をどろだんご日記という若林正恭のブログから引用する。




「運命の歯車は回り始めた」




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