大雨の日

 確か小学二年生の頃だったと思う。本来だったらとっくにみんなで仲良く下校している時間だったが、その日は凄まじい大雨で、僕らは教室に足止めされていた。吹き付ける風で立て付けの悪い教室の窓やドアはガタガタと揺れ、野ざらしの廊下は滝のように降り注ぐ大粒の雨で、文字通り水浸しになっていた。陽の光を分厚い雲が隠すので、すっかり鈍色になった空に、時折真っ白いストロボが瞬いたと思うと、ほとんど間もなく雷鳴が雨音をかき消すように響いた。まだ幼い僕らは未だ見たこと無い異常な空模様にすっかり縮こまってしまい、教室の中心で身を寄せ合い、さめざめと泣いている子すらいる。イチロー選手の大ファンを自称する若い担任は、パンプスとストッキングを濡らしながら、保護者の応対のため、教室と職員室を何度も往復していた。

 そんなわけで、寄る辺もない僕らは涙でぐしゃぐしゃになったクラスメイトの顔を見て不安を募らせるしかなかった。もちろん、経験したこと無い悪天候に怯える気持ちもあったが、それ以上に、手を取り、輪になって、身を寄せ合い静かに涙をこぼすクラスメイトたちの、その光景が恐ろしかった。僕らのクラス(と言っても一学年につき1クラスしかなかったのだが)は特に腕白な子どもたちが集まっていたのに、この日の夕方はろくに言葉を発する者すらいなかったのがひたすらに不気味だった。

 しかし、やがて沈黙に耐えかねたのか、一人の男子が「よっしゃあ」などと言いながら黒板の前に躍り出た。残念なことに僕は彼が誰だったのか覚えていない。ただ、こんなことを突発的にやりだしそうな子の候補はたくさんいた。黒板を背に、クラス中の視線を集めたことを満足気に確認した彼は、くるりと向きを変え、チョークは手にした。黒板に荒々しい音を立てながら、大きな雲と、それからその上に不格好な鬼の姿を描いた。

「これが『カミナリサマ』じゃろ、それでな」

 青色のチョークに持ち替え、雲の下に雨をざあざあと降らせ、またチョークを持ち替え、その中にこれまた不格好な人間を書き足した。人間の手には簡素な拳銃が握らされている。

「これでやっつけたんのよ!」

 銃口から赤色のチョークで弾丸の軌跡を描き始める。水平に発射されたチョークの弾丸は、ほぼ90度真上に軌道を変えながら、雨を塗りつぶし、雲を突き破り、『カミナリサマ』の腹部に命中する。「ぶしゃあ、ぶしゃあ」と間の抜けた音を立てながら、噴水のようにチョークの血を流した。「わりゃあ見たか」と叫びながら、子どもらしい残虐さによって、引き鉄は何度も引かれ、その度に『カミナリサマ』の身体に銃痕を増やした。

「ええなあ、わしもわしも」「ロケラン撃とうや、ロケラン」「剣のほうがつええど」

 沈んだ顔をしていたお調子者たちが一斉に黒板に詰め寄った。皆一様に顔を輝かせ、あるいは原始的な破壊欲求に取り憑かれた表情をしている。それぞれにチョークを握りしめ、殺されるためだけの『カミナリサマ』を描き、実際に思い思いのやり方で殺した。銃殺、斬殺、爆殺。あっという間に、雨雲は黒板の端から端までめいいっぱい広がり、その上でたくさんの『カミナリサマ』が見るも無残な姿になっていた。哀れな『カミナリサマ』は下からの攻撃だけじゃなく、頭上から矢の雨やら隕石群やらの攻撃も受けていた。チョークの色が足らないせいで『カミナリサマ』たちは色とりどりの血を流している。僕も含めた男子小学生たちの、それぞれの矛と、それによって幾度となく殺された『カミナリサマ』たちによって板面は飽和し、極彩色のカオスが完成した。

 僕らは完成した絵を眺めて、うっとりとした気持ちになっていた。それは何かを成し遂げたという達成感もあったが、この共作の絵によって、正確にはこの絵を完成させる過程、混沌が混沌に近づくにつれて、教室中に充満していた淀んだ空気が払拭されていくことが嬉しかった。『カミナリサマ』の首が飛べば、歓喜の声やわざとらしい悲鳴、インモラルへのもっともらしい文句が飛び交った。道徳的な問題はどうあれ、僕らのテンションは高潮していき、教室は一種の祭騒ぎのようになっていた。教卓の上に犬のように座り込み、天井に向かって獣のように吠えている男子がいる。(これが一体、雷雨へのどういうカウンターになり得るのかも分からない)それをやんややんやと囃し立てる者。「先生に言いつけるよ!」と注意する者。教室は際限なく騒がしくなり、悪趣味で、幼稚で、残酷で、ビビットな狂乱の中で僕らは雷雨への恐怖を忘れた。

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