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復縁するなら建設的なLINEを保て

 いつくらいからだったかな。彼を試すようなことをしなくなった。それは、ただ歳を重ねて大人になったからかもしれないし、別れた時の反省が強く刻みつけられているからかもしれない。

 今でこそ、なんでもないやりとりと、時々すこしの愛情表現が並ぶトーク履歴も、かつてはとんでもない地雷原だった。

 それはもう恐ろしく好意を試すLINEばかりしていた、22の時の私。なぜって、そうしないと不安だったから。
 きっと彼が歳上で、とても立派で素敵な人に見えていたから、自分が愛される理由がどうしたって見つけられなかったのだろう。

 試すような言葉に、最初は反応してくれた。とは言え、無意味な確認の回数ごとに彼の返事は素っ気なくなって、果ては既読もつかなくなった。
 彼の気持ちが文字で見えないと、感情がずぶずぶと下の方に引っ張られていく。もうなにも希望が持てなくて、日常生活すらままならない。

 「まだ別れていない」という現実がそこにあるのに、「もう好きじゃなくなったんだ」という妄想が、妙な説得力を帯びてくる。すると今度は、妄想をひっくり返したくなって、また意味のない言葉で確かめようとする。

 こんなLINEを送ることを「自爆」と言うらしいと知ったのは、わりと最近のこと。
 送ったお気持ちは数知れず。どれも「今この不安が埋められないこと」への焦りだったんだろう。長文すぎるLINEをしたためた記憶もある。おかげで、説得力ある妄想が現実になるまでは、半年もかからなかった。

 復縁の過程にあるもやもや感も、忌むべき「自爆」の存在を知らなければ、むき出しのまま表現してしまうもの。さながら手負の獣だった私は、彼が見せる無関心や利己心にすぐさま吠えるだけの瞬発力があった。

 もう、4〜5年も前のやり取りなので、私のスマホからはとっくの昔に消えている自爆LINE。彼のスマホの中にはまだ残っているようなので、顔から火が出てしまいそう。

 こんな言葉の数々は、距離感の問題に始まる。
 私はたぶん、他人との距離を計ることが下手くそな人間で、近いか遠いかのどちらかになってしまう。職場では、ぶ厚い壁を一枚隔てたように距離を取るくせに、恋人となると、皮膚すら無くなっちまえと言わんばかりに距離を詰めてしまう、悪い癖がある。

 距離感が下手くそな人間だから、当然のことながら自分との距離感も下手くそ。自分の過去の感情を文字で見てしまった時には、その時そのままの気持ちを思い出すし、彼の反応の原因をいつまで経っても考える。この間そんなことを話したら「他のことに時間使って」と言われてしまった。そりゃそうだ。

 いくら恋人であったとしても、「皮膚すら無くなっちまえ」をしたら、それはもはや彼ではなく、私になってしまう。そうなったらきっと、もう彼を愛することはできない。

 実際、私は私と同じくらいの愛情を相手から与えられたら、相手のことがどうでも良くなってしまうのだ。そうやってお別れした男性が、彼の前と後に数人いる。

 気づけてしまえば簡単で、私はただ、好意を示すことこそ正義とするたくさんの声に目眩しをされていただけだった。

 どうやら第三者から見ると、今の私たちはがまんをしているように見えるらしい。でも、実際はとても気楽。
 既読無視や未読無視のネガティヴを脱ぎ去って、日付検索で落ち込むことをやめたら、かの地雷原は穏やかで建設的な愛情表現の場になった。

 私と違う彼を好きになったはずだから、どうせなら彼の表現の乏しさを嘆くよりも、彼の表現の違いを喜ぶことができる、そんな場所にしておきたい。

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