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僕にとって『健康で文化的な最低限度の生活』の表紙がカラフルであることは、皆が思っている以上に意味が大きかった。

借金、離婚、依存症、認知症、そして生活保護。

”僕の伝記”って図書館で貸し出てましたっけ? と思えるくらい、『健康で文化的な最低限度の生活』で取り上げられるほとんどが、他人事とは思えないほど自分にピタッと当てはまっている。

誰にも見つからないように本棚の一番下の一番端にしまって、しまったことすら忘れていたものが、『健康で文化的な最低限度の生活』を読んで映像としてまた呼び起こされた。

その映像に『健康で文化的な最低限度の生活』の表紙のような彩りを取り戻すように、僕は『健康で文化的な最低限度の生活』を読んでいる。

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あの人

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僕の伝記というよりも、”あの人”の伝記というべきだろうか。

僕が高校生1年生だったころに、もう「父親」と思うのをやめることにしたあの人。

その瞬間、僕の中からいなくなったあの人。

ギャンブル依存症だった。

祖父に頭を下げ、どうにかこうにか借金の返済が終わったかと思ったら、また別の借金を作っていた。そんなどうしようもない人だった。


見切りをつけたその日から、あの人は「空気」となった。同じ居住空間にいながらも、できるだけ同じ空気を吸わないようにと、あの人が居間にいれば自室にこもり顔を合わせない努力をし、あの人が同じ空間にいたとしても、視界のすみに追いやった。

僕が大学1年生のとき、また次の大きな借金。こんなになっても離婚を選ばない母に「もういいだろう」と説得し、あの人を家から追い出したのは僕だった。

あの人を殴った手の感触は今でも手にこびりついている。人をぶん殴るのはきっとあれが最初で最後だろう。

それ以来、あの人とはもう会うことはないと思っていた。

僕の知らないところで、どうか死んでいてくれと思っていた。

***

それからもうずいぶん経った時だった。

妹から1本の電話が入る。

僕は息子と一緒にショッピングセンターにいた。

「オヤジが運ばれたって」

えっ? 僕は動揺した。

聞けば、認知症が進んでて生活保護費が振り込まれる口座の暗唱番号がわからなくなってしまい、1週間飲まず食わずで外を歩いたところ、力尽き道に倒れていたんだと。

もうとっくに野垂れ死んでいるんではないかと思っていたあの人が、まだ生きていることを知ってしまったことへの動揺もあったけど、それよりも、どうして妹があの人と連絡を取っているのか? という動揺の方が大きかった。

もう誰もあの人と連絡を取る者はいないだろう。姉も、僕も、母も。ましてや、妹だってそうだと思っていた。だって、一番苦労したのがあの頃まだ中学生だったお前だったじゃないか。

電話をもらってから数分は理解が追い付かなかった。


離婚してからも、妹はずっとあの人と連絡を取り合っていたらしい。

「一応報告しとこうと思って」

とのことだった。

「これからもオヤジのことで連絡をしていい?」と最後に聞かれ、「もう何とも思ってないから、好きにしてくれれば」と答えた。

嘘だった。

正直、電話で事情をきいた瞬間も、死ねばよかったのに・・と思った。

でも、「私にとってはオヤジはオヤジだからね」と予防線を張るかのように言う妹に、「死ねばよかったのにな」とは言えなかった。

***

しばらく妹からの経過報告が続いたある日、「オヤジに会ってみない?」と言い出した。

「もうすぐ誕生日なんだよ」

そういうことか。妹はずっとあの人に僕を会わせたかったのだろう。

運ばれた日以来、あの人はその病院にずっと入院していた。

「いいよ」

今考えても、あの時どうして「いいよ」と返事をしたのかわからない。その日が近づくほど、その日のことを考えないようにした。

妹と2人で行くつもりだったその日、直前で妻と息子に一緒に行ってほしいと告げた。一度も会ったことのないあの人に会わせたいと考えたからではなく、僕は”お守り”を用意したかった。

許す? そんな自分は想像がつかなかった。

殴りかかるかもしれない。罵声を浴びせ続けるかもしれない。それ以上のことだって・・

それを止めてくれるのは妻と息子しかいなかった。


妹の先導であの人のいるところへ連れていかれる。

決して自宅から近くないはずなのに、報告にない日も何度もここに足を運んでいたんだろう。手慣れた入館手続きに、もう何度もここに来ていることが分かった。


「いつもオヤジ談話室にいるから」

談話室を目指す。

談話室に着いた。が、そこにはあの人らしき人の姿はなかった。

僕はほっとした。どちらかといえば、来ると思って待っていた方がいい気がしていた。

「あ、オヤジ!」

談話室前の廊下を車椅子で横切る人を妹が呼び止めた。

「空気」にすることをまだ体は覚えていたらしい。車椅子の人を自然と視界から外していた。

視界を正しく戻す。

そこには老人がいた。

到底60歳には見えない。僕の知る60歳は、えっ? 還暦すぎてるんすか? って人がほとんどで、職場にもそんな人はゴロゴロいる。それに比べたら・・

歩くこともままならなず、おむつをしているのだろう、スウェットを履いた下半身はだらしなくパンパンに膨らんでいた。

妹と何かをしゃべっているが、歯がないせいなのか、認知症のせいなのか、うまくしゃべることもできていなかった。

僕は顔を確かめた。目が合わないようにちらっと。

ああ、こんな顔だったか。顔も忘れかけていた。灰色に染まる無精ひげの奥にあの人の面影があった。

目が合いそうなり、視線を外す。

目があったら負ける気がしていた。きっと「オヤジはオヤジ」という言葉が全てをなかったことにしてしまう。

目が合ったら、全てが無駄になる気がしていた。


僕はできるだけ何も考えないように、つまらなそうにしていた息子と一緒に談話室に用意された清潔かどうかもわからないオモチャで遊んでいた。

早く手を洗わせたいな。

早く帰ることだけを考えていた。


最後まで皆、正対することもなく、あの人・妹・妻・息子、そして僕。成り行きでそうなった横並びの端っこで、妹だけがあの人の横でその場を取り繕うようにペラペラとしゃべっていた。

僕はその話声を背中で聴いていた。


結局、僕は一言も言葉を交わすことはなかった。

それっきり会っていない。

僕の気持ちを察してか、妹は「また」とはあれから言ってこない。


回り回り回り回って

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マンガを読むとき、”このマンガにはこんな曲はどうだろうか”と思いながら読むのが最近の癖になっている。

『健康で文化的な最低限度の生活』にはこの曲はどうだろうか。

Mr.childrenの『彩り』という曲。

その曲の最後はこんな歌詞で締めくくられる。

なんてことのない作業が
回り回り回り回って
今 僕の目の前の人の
笑い顔を作ってゆく
そんな確かな生き甲斐が
日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に
頬が染まる 温かなピンク
増やしていく きれいな彩り

あの人に会った帰りの車、運転席から見える景色もモノクロだった。

こんな奴でも生きていられるのかよ。温りぃな日本さんよ。

20年間、ずっとずっとモノクロだった。


でも、『健康で文化的な最低限度の生活』を読んで―

僕の知らないあの人の20年に物語を加えてみる。

すると、「温りぃな日本さん」と思ったその温さも、”えみる”のような情熱を持ったケースワーカーの余熱だったんではないか。とさえ思いはじめてくる。

作中でふと問いかけられる言葉は―

―― 一ケース減って良かったじゃん。

…え、あ… ……あれ? …いや、
いや、いや、この人…生活の工夫して生きてる。
してるよ…生きる努力…
110ケースあろうが………
国民の血税だろうおが…………ダメだ。
それ…言っちゃあ、
何か大切なものを失う… 気がする

引用:1巻より

阿久津さんが自分の人生どう生きたいか…たった一回の人生ですからね。
じっくり考えてみて欲しいんです。

引用:2巻より
あのお父さんってさぁ……
息子さんのこと……愛してはいなかったのかなぁ…?

――……え… ……いや、愛があったらしないでしょ そーいうこと、………や、仮にあったとしても、愛し方が著しく間違ってるというか…ダメでしょ。

引用:4巻より
それはそうだよ、親にだって事情はある。それは周囲が支えるべきだし。社会には それを助ける責任があると思う。
だけどそれはそれとして、そんな事情、子供には一切関係ないよね!

引用:4巻より

どれも僕に問われているようで・・これまでの自分、今の自分、これからの自分に、「向き合え」といってくる。


会いに行ったあのとき、僕と分かった瞬間あの人が号泣しているのが肩越しでわかった。

「オヤジすぐ泣くから。認知症のせいで感情がコントロールできないみたい」とは言われていたけど、あの涙は・・・

僕にも息子ができ、娘ができ、自分の子どもに会えない日が来るなんて考えられないし、想像したこともない。

僕が現れたあの日、きっとあの人は父親に戻れた瞬間だったのではないだろうか。

都合のいい想像で、あの人と物語を重ねて読んでいるのはわかっている。

でも、そうやって『健康で文化的な最低限度の生活』を読んでると、僕の本棚が『健康で文化的な最低限度の生活』のカラフルな背表紙で彩られていくように、モノクロのまま捨てるはずだった20年に少しずつ色が足されていく。・・ような気にさせてくれる。


もう間に合わない。

それもわかっている。

あれから5年くらい経つだろうか、あの人はもう誰なのかも判別ができないくらい認知症が進んでしまっているらしい。

けど、あの人が死ぬ前にもう一度だけ会ってみてもいいとさえ、今は思っている。


えみるの思いが回り回ってこうやって、僕に届いた気がした。



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