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わたしが編集者になった理由

中学2年生の時から書いていた携帯小説のpv数が30万を超えたあたりから、わたしは小説を書くのをやめた。今読み返すと赤面して暴れて家を半壊してしまうと思うので、絶対に読まないと決めている。自分が書いた携帯小説なんて、妄想の塊すぎて直視できない。多分凹む。痛すぎ、こじらせすぎ。オルァって、勢いで消してしまうと思う。…それはちょっとしたくない。もしもこの先誰かと結婚するという素敵な縁に恵まれたら、旦那さんにだけ見せてあとはもう墓場までもっていこうと決めている。

幼稚園では紙芝居、小学校では絵本、中学からは携帯小説、高校でも携帯小説(どハマり)。そして大学から今に至るまでは、このnote。
誰かに何かを伝えたくて、自分の考えていることを言語化したくて、本格的に文章を書くようになったのは中学2年生の頃からだった。といっても、当時は完全にちんちくりんだったため、むず痒く陳腐な恋愛ストーリーしか書けなかった。某携帯小説サイトでHPをつくり、自分なりに掲示板やリンクをつくってみたのが始まり。
最初は全然いなかった読者さん。コツコツ書き続けていたら、ある日いきなりアクセスが伸びた。ランキング一位になった時には、全身が震えた。普段開かないような場所の汗腺まで開いた。当時はまだスクショなんかできなかったから、とりあえずずっとページを開いていた。パケホーダイじゃなかったので死ぬほどお金がかかってしまって(怒られた)、そこからパソコンへ切り替えるという苦い思い出。
心臓がドキドキした。「更新楽しみにしています!」とコメントが来るたびに、嬉しくて携帯に飛びついた。そのときのわたしは1人で好き勝手妄想ストーリーを書いていたけれど、やっぱりどこかで「誰かもう一人一緒に考えてくれる人がいたらな」と思ってたかもしれない。好きなだけ自分の世界を作れるのは楽しかったけれど、どこかで誰かの意見を聞きたいとずっと思っていたのかも。

中学三年生の時には、学年全員の前で作文を読んだ。これは以前の記事にも書いたけれど、いじめられていたこと、されて嫌だったこと、誰にも言えなかったこと、全部詰め込んで書いた。読み終わった時のシン…としたあの空気。今思い出すだけでもびびるあの緊張感。違うクラスの話さえしたこともない子から、「さくちゃん凄いね」といわれ、全く嬉しくなかったあの卒業式。あの時、活字には人生を変える力があるんだとひどく納得をした。わたしの顔は確かにブスだったかも知れないけれど、それを凌駕するミサイルを撃つことができたのだと思う。あの頃のわたしよ、よくやった。

思えば人生の節々で、わたしは文字を書いていた。そして選んだ今の仕事でも、書くことが一番好きだ。ライターさんにお仕事をお願いすることもあるけれど、自分で書くのも好き。話すのは苦手だけれど、書くのは得意で夢中になれる。

最近ちょっとだけ昔の自分のことを考えるようになった。就職活動の時に嫌という程自己分析はしたはずだったけれど、それでも今ならわかる本当の自分がいる。どうしてこの仕事にここまでこだわったのか。お給料も待遇も良い企業に見向きもせずにこの仕事を選んだのは、どうしてだったのか。

それは多分、わたしが小さい頃出版物に生かされたからなのだと思う。
あんまり深く語ることではないのだけれど、これは決定的に自分の人格・人生を形成する一因であると自覚しているから、今は躊躇なく話せる。

わたしの両親はひどく仲が悪かった。
特に父のことは未だに理解ができない。大好きなのに、理解できない。
父は大変厳格で、わたしに対してとても厳しく指導をした。
小さい頃から何度も手を出されてきた。思いっきり殴られてメガネがひしゃげた時、あ、死ぬって思ったことがある。あれはちびった。
働き始めて、やっと。やっとやっと、なんとなく父のことがわかるようになった。理解したいと思っていたにも関わらず、父という人間を垣間見るのに23年かかった。
普段は普通なのに、ある日いきなり敵になる。昨日は一緒にマリオパーティーをしたのに、今日はリアル大乱闘。なんのこっちゃい。
わたしは、父に褒められた思い出がない。幼稚園の時、一度だけ運動会に来てくれた。嬉しかった。だけど、うまくかけっこができなくて怒られたことだけ覚えている。怒られたら、ごめんなさいっていうしかない。

そんなんだったから、言いたいことはあまり言わない根暗な性格に育ったのかもしれない。これがすべての要因というわけではないけれど、まあ何も言わなければ波風立たないし、平和だし。ほんとはずっと、思っていることを伝えたいってどこかで思ってきたのだけれど。何を言われても言い返さないスライムみたいな性格になった。静かに一人で本を読んで、着実に文学の世界へ進んで行った。ちなみにスライムのレベルは1ですね。村をでたらすぐにでる、あの青いやつですわたしは。
大人になった今はさすがにちょっと変わったけれど、ちょっと考え出すと喉がめちゃくちゃ乾くほど考え込んでしまう。
だから、書くという術を知ったわたしはごちそうを食べるかのように夢中になった。根暗に育ったおかげで思いもよらないスキルを得ました。

でも、両親には心から感謝をしている。厳格な父も、最近はわたしの心配をしてくれるようになった。この、男よりもガツガツしている働き様をみて心配になったらしい。
この前、誕生日にネクタイをあげた。母がいうには「すごい喜んでいる顔してた」そうだ。
わからん。だがちょっと可愛い。

わたしが読む小説や漫画の世界には、とびきり優しいお父さんがいた。
クレヨンしんちゃんの野原ひろしをみて、羨ましかった。男の人が「家族のために」なんて言葉を言うんだって、不思議だった。名探偵コナンの小五郎は、蘭ちゃんのことをとても心配していた。蘭に何かあったら許さないって、新一に怒っていた。
友達とか、恋とか、わたしがいる世界は幾分間違っているんだってそこで気付いた。吉本ばななさんがつくる世界は、ちょっとだけわたしがいる世界と似ていた。江國香織さんが抱く男性への畏怖と憧れに共感する。村上春樹さんの、異国感に安心する。
きっと不思議な話だけれど、出版物を読むことでわたしは、この世界がどういうものであるのかを知ったのだと思う。

現実ではない別の世界を見ることで、現実を学んだ。理想の家族ってこういうものなんだって知った。わたしのページだけ真っ黒になる交換日記は間違っているんだって、友達ってこういうことはしないんだって、ドラえもんを観て学んだ。
漫画やアニメ、映画。それらはすべてフィクションのはずなのに、これが本当の世界なのだと感じた。これがみんなにとって「現実」なんだと、見たことのない異質な世界へ溶け込んでいくようだった。

小説や漫画の役割は、楽しむためだけのものじゃないと思う。社会の当たり前、世俗を表す大切な資料だとわたしは思っている。
子供にとってはもちろん大切なもので、「教育に良くない」とはこのこと。それが子供にとってのこの先の当たり前になるかも知れないから。勉強や成績とは違う、この先のずっと長い人生をかけての「当たり前」。親が教えてくれない大事なことも、子供は学べるようにできている。
本は、偉大だ。それは人の手でしか作れないし、この先どんなに人工知能が発達したとしても絶対に超えることのできない領域だと思う。能力と感性は、交わらない。知能が進んでも、センスが磨かれることはない。感情のある人間だからこそつくれるものが、出版物だと信じている。
あの時大切なことを教えてくれた本や漫画。中学生の時に重松清の「愛妻日記」を読んだことはちょっと刺激が強すぎたけれど。誰かの人生の導きになるものがつくりたいと思っているのは今も変わらない。

少し話がずれるけれど。
誰かを知りたいと思った時、人に対して珍しく興味を持った時。わたし個人のお話だけれど、その人がつくる文章を見ることにしている。ツイッターでもインスタグラムでもなんでもいい。どの言葉で何を伝えるか、なにをつぶやくか、どんな文体なのか。それをみれば大体人相がわかる。「、」があるかないかだけでも全然違う。いいねがつこうがつくまいが、関係ない。
文章には、人が出る。言葉には、生き様が出る。作品には、魂が宿る。人にしか文章はつくれない。

「仕事をする動機が各々で違うのならば、わたしにとって仕事とはなんだろう」
その問いに対して、就職活動の時に出した答えから今もかわっていない。
「毎日を生きる人々に、ちょっとだけ楽しいものを提供する」
1年間働いてみても、この考えは変わらなかった。
毎日少しずつ嫌なことがある毎日。いじめられたり、裏切られたり。家に居場所がなかったり。あの人に言われた嫌なこと、あの時された嫌がらせ、忘れられない苦い思い出。ちょっとした「嫌」が降りかかる毎日に、少しだけ楽しいものを届けたい、そう思う。仕事が終わったら読もう、試験が終わったら読もう、そう思ってもらえるような、ほんの小さな楽しみを作りたい、わたしはそう思ってコンテンツを作ってきた。
小説を書いていたということもあって、自分でクリエイターになるという選択肢もあったけれど。やっぱり誰かと二人三脚で仕事をしたいと思った。お人よしのお節介、でも文章がすきで写真がすきなめんどくさい女。そんなわたしが最大限に誰かをサポートできる仕事がしたいと思ったから。

そういえば昔何かでみた。
「順風満帆な人生を歩んだ人には、文学は必要ない」あれ、ちょっと違うかも。
だけど、わかる気がする。最低まで叩き落とされた人にしかわからない世界があるのかもしれない。

さっさと結婚して寿退社してしまえよと言われることもあるけれど。またまだ作りたいものがある。まだみたい世界がある。満足できてない。もう一年、全力で仕事をしてみようと思います。

いろんなものをみて、いろんなものに共感できるようになりたい。「知らない」って、可能性を潰してしまうことだと思うから、どんどんいろんなものをみて知っていきたい。自分の経験でしか、他人へ共感はできないと思っている。だから、たくさん経験値を積んで、誰よりも人間らしく生きたい。

みんなきっと、いろんなことを考えて仕事してるんだろう。嫌だなって思ったり、複雑な事情を抱えて働く方も、たくさんいるんだと思う。楽しい仕事が正義というわけではないけれど、自分のしていることが誰かの役に立っていることに間違いはないと思います。どんなに手が汚れる仕事でも、あるいは言えないような裏の世界の仕事でも、誰かにつながっているのは確かで、自分じゃない他人の日々に影響を与えるのだと思う。

働くって、ステキ。

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