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音楽史年表記事編99.オラトリオ創作史

 1618年、神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナンド2世は帝国内の宗教的統一を図るため、プロテスタントのプファルツ選帝侯を王位につけたボヘミアに攻め込みヨーロッパ史上もっとも凄惨な30年戦争がはじまります。カトリックのオーストリー・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク両家はプロテスタントのザクセン、プロイセン、さらにスウェーデン、オランダと対抗します。フランスはカトリックの国でありながら、1638年にはプロテスタント軍に加担し、宗教戦争はいつか覇権戦争に代わります。この戦争ではドイツで800万人という人命を犠牲にし、カトリックのハプスブルクが敗北し、神聖ローマ帝国に属しながらもドイツ諸侯はそれぞれが主権を持つという事態となり、オーストリー・ハプスブルク家はかろうじて皇帝位を維持しますが、これは敵対するオスマントルコの脅威に対する防波堤の意味からと見られます。
 このような動乱の世相を反映したのかもしれませんが、イタリアではルネサンスの純正な響きの音楽から不協和音や半音階などを大胆に取り入れたバロック音楽に移行して行きます。また、従来のモテットやミサ曲に加え、オペラやオラトリオ、カンタータという新しい音楽様式が生まれます。オラトリオは宗教的題材の台本により、独唱、合唱、管弦楽によって演奏され、一方のカンタータは器楽曲であるソナタに対する器楽伴奏の合唱曲や独唱曲を表しますので、オラトリオもカンタータの一形態といわれているようです。明確な区分は難しいですが、本編では作品の標題にオラトリオが付いているかどうかで分類して行きます。
 1600年にイタリアのカヴァリエリによって宗教的音楽劇が上演されていますが、これがオラトリオの原型とされ、カリッシミのオラトリオが上演された1640年代までにはオラトリオとしての様式が成立したようです。ドイツではシュッツがイタリアのベネツィアのジョバンニ・ガブリエリの弟子となり、帰国後はドレスデンの宮廷楽長となります。シュッツは30年戦争という戦乱の中を生き抜いた音楽家で、ドイツ・プロテスタントの音楽様式を確立しドイツ音楽の父と呼ばれ、戦乱の後の1664年にはクリスマス・オラトリオを作曲するなど、セバスティアン・バッハに続くドイツ音楽の基礎を築きました。
 セバスティアン・バッハは復活祭オラトリオとクリスマス・オラトリオを作曲していますが、これらは教会カンタータの様式で作曲されています。ヘンデルはイタリアで音楽の修業を積み、ハノーファー選帝侯に招聘され宮廷楽長となり、イギリスに渡りイギリスに本格的イタリア・オペラをもたらします。興行主でもあったヘンデルはイタリア・オペラが下火になると、オペラから一転しオラトリオの上演をはじめ、オラトリオ史における最高傑作である「メサイヤ」を作曲します。
 ザロモン演奏会のために訪英したハイドンはヘンデルの「メサイヤ」の上演に立ち会っています。ハイドンはすでにピアノ協奏曲と歌劇はモーツァルトに道を譲り、交響曲、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲においてもベートーヴェンに道を譲ることになりますが、人生最後の創作としてオラトリオ「天地創造」とオラトリオ「四季」を作曲します。
 ロマン派においてはベルリオーズとリストがキリストの物語をオラトリオとして上演しています。これらのオラトリオにおいては演奏規模が大きくなり、上演時間も長く現代では上演されなくなっているようです。

【音楽史年表より】
1664年出版、シュッツ(78)、クリスマス・オラトリオ
楽譜が出版される。キリスト降誕の物語が独唱、合唱、管弦楽を用いてオラトリオとして作曲されている。シュッツは1609年ベネツィアでG・ガブリエーリのもとで音楽を学び、イタリアの劇音楽の技法をドイツ精神に適合させ、バッハ出現前のドイツ音楽の基礎を確定した。(1)
1742年初演、ヘンデル(57)、オラトリオ「メサイヤ」HWV56
ダブリンのフィッシャンブル街ニュー・ミュージック・ホールで初演される。慈善を目的として、初演は大成功を収め聴衆に深い感動を与えた。合唱のメンバーはダブリンの2つの大聖堂、セント・パトリックとセント・クライストの聖歌隊から選抜された26名、歌手はソプラノのアヴォーリオ、アルトのシバー以外およびオーケストラは地元メンバーが担当した。600名収容のホールに700名が入り、収益は400ポンドで、刑務所の囚人救済、マーサー病院、インズ波止場慈善診療所の3つの慈善事業に127ポンドずつ寄付される。(2)
24日間で書き上げられた「メサイヤ」はヘンデルのオラトリオ作曲家としての器量の大きさを象徴している。世俗オラトリオ16曲、聖書を題材とした16曲合わせて32曲のオラトリオは迫真に迫る性格描写と、筋に密着した合唱および二重合唱の使用という2つの大きな特徴が見られる。合唱はそれぞれ和声的、フーガ的、朗唱的、描写的、陰気性、壮麗性という特徴をもつ。合唱の合間にはレチタティーヴォ、イタリア風アリア、牧歌的カンティレーナなどが挿入される。またオルガン協奏曲が中心に置かれている。(3)
1792年5/31、ハイドン(60)
ロンドン訪問中のハイドンは聖マーガレット教会で開催されたヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」の演奏会に出席する。ハイドンは手帳の中に音楽については何も記さず、前年のウェストミンスター寺院での演奏には855名が参加し、今回は練習に800人、実際の演奏は2000人で行われたと書き込んでいる。29年間にわたってエステルハージ侯爵家の20数名あまりの小さなオーケストラを相手に創作活動をつづけてきたハイドンを魅了したのはヘンデルのオラトリオにみられた独唱、大編成の合唱とオーケストラからなる巨大な表言手段と圧倒的な効果ではなかったろうか。(4)
ハイドンのロンドンでのヘンデル体験とウィーンの音楽愛好家ヴァン・スヴィーテン男爵の協力より、ハイドン後期の大作であるオラトリオ「天地創造」Hob.XXⅠ-2とオラトリオ「四季」Hob.XXⅠ-3が生み出される。
1798年4/29私的初演、ハイドン(66)、オラトリオ「天地創造」Hob.ⅩⅩⅠ-2
ウィーンのシュヴァルツェンブルク公邸において、作曲者自身の指揮で私的初演が行われる。4/30にも演奏される。ハイドンは1796年~98年の2年間の推敲を重ねオラトリオ「天地創造」を完成した。ハイドンがロンドンから持ち帰った旧約聖書の「創世紀」とミルトンの「失楽園」をもとにした英語の台本をヴァン・スヴィーテン男爵が自由にドイツ語に訳した。ヴァン・スヴィーテン男爵によって完成されたドイツ語による台本は、3部分から構成され、第1部と第2部では三天使を中心に6日間にわたる神の天地創造の過程が、第3部では楽園におけるアダムとイヴの愛が題材となる。(4)
この作品はオペラとオラトリオの中間に位置する作品で、レチタティーヴォ、アリア、合唱から成る。合唱はヘンデルのそれに近い。アリア・ダ・カーポにはイタリア音楽の影響がみられる。オーケストラは作品を通して描写的で、ドラマ性のある語りを伴奏する。オーケストラによる前奏曲(「混沌」)は19世紀のドイツの交響曲を感じさせる。(3)
1873年5/29初演、リスト(61)、オラトリオ「キリスト」I7
ワイマールのプロテスタントのヘルダー教会で、リストの指揮で全曲初演が行われる。ワーグナーとコジマが初演に出席する。救世主イエスの降誕から復活までを描いたリスト畢生の大作、1853年頃から構想を練り、62年に本格的に着手されたと考えられる。中断をはさみ、一通りの完成をみたのは66年であった。全14曲から構成され、アリアやレチタティーヴォといったオペラ風の楽曲は含まない。第12曲はヴェルディの作品とともに19世紀屈指のスターバト・マーテルに数えられる。1872年出版される。(5)

【参考文献】
1.最新名曲解説全集(音楽之友社)
2.三澤寿喜著、作曲家・人と作品シリーズ ヘンデル(音楽之友社)
3.ブノワ他著・岡田朋子訳・西洋音楽史年表(白水社)
4.作曲家別名曲解説ライブラリー・ハイドン(音楽之友社)
5.福田弥著、作曲家・人と作品シリーズ リスト(音楽之友社)

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