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終わる日記(7/7)

2024/4/16

朝、Zoomで授業を受けた。前にどこかで先生のインタビュー記事を読んだことがあって、今日の授業も楽しみにしていた。ガイダンスとして講義予定表が示されて、ところどころにアスタリスクがつけられていた。教科書とかで、難しいのでまだここはわからなくてもいいですと言われると私は安心するタイプなので、アドバンストな内容についてはそれを真似てアスタリスクをつけてますと説明された。わかんなくっても気にしないでくださいと言われた。

研究室に行った。坂のところで、鶯がホーホケキョ、ホーホケキョと周期的に鳴いているのが聞こえた。まさしくそれはホーホケキョで、他はありえないというくらい正確にホーホケキョと言っていて、仮にこの聞きなしを知らなかったとしても、僕も同じように聞きなしていただろうと思った。ボイスメモで鳴き声を録音しながら、辛くなったときにまた聞こうと思った。

研究室。上着を脱ぐと汗臭い感じがして、自分でもそう感じるのだから、周りからしたらもっと臭うだろうなと思った。暑いねと言った。

同期としゃべっていたら、人間の熱容量が大きいという話になった。とはいえ人間のほとんどは水なのだから、つまるところそれは水の熱容量が大きいということで、たしかにそれは鍋で沸騰させるまでの時間にいつも感じていることだと言うと、そういう意味ではティファールはすごいねと言った。

お腹がぐうと鳴って、そういえば昼ご飯を食べていなかったんだと気づいた。情けない音を出してしまったと思った。昼ご飯と言わず、何かを口にしたほうがいいと思った。

冗長的にうねうねと歩きながら購買に向かい、まだ知らない道がけっこうあるのかと思った。おにぎりとサンドイッチを買った。サンドイッチのパッケージに「1のつまみをちぎって2左右に引っ張る」と書いてあり、1はつまむ場所を表していて2は手順の番号を表しているから、両者はまったくの別物だと思った。メインストリートに出ると人で溢れ返っていて、今、雑踏の中にいる自分が、これを心地よいものだと感じていることに気づいた。電子みたいに無個性な自分は気楽で、典型的な振る舞いを演じればいいんだと思った。

研究室に戻り、講義資料を読んだり、棚を物色したり、同期と話したりしていた。むかし受けた試験について、あのテストはキツかったと話した。万全に対策していって試験時間中は書く手を一時も止めなかったけど、それでもぜんぜん解ききれなかったと同期が言った。ぜったい解ききれる人おらんやろ、ドSすぎるんよな、時間足りなすぎでしょ、あんなん捨て問でしょと話した。そんなん言ったら大問ぜんぶ捨て問なるやんと言われ、だからめっちゃ時間足りたわと言うと、ワッと笑いが起きた。インタビュー記事なら、ここで(一同笑う)と書かれるんだろうなと思った。

夕方になって、授業に行こうと思った。居室には僕以外にふたり残っていて、お疲れ様です、お疲れ様、とそれぞれに言って部屋を出た。

建物に着いて、入口の取っ手の静電気を避けるために、教室のある棟とは別の棟の入口から中へ入った。代わり映えのしない景色が続く廊下を歩きながら、去年の授業で廊下の並進対称性について話されていたことを思い出した。

授業はガイダンスから始まって、後半に各自で演習問題を解く時間があった。制約式の文字の添字に誤りがあったらしく、かなり時間が経過した後で、すみませんと訂正が入れられた。後ろの席の人が、だと思ったと言った。

帰り道、信号待ちをしていたら前に親子がいて、歩きのお母さんの隣で幼稚園児の男の子が自転車に乗っていた。周りに聞こえない声量で、ふたりでなにかについてしゃべっていた。信号が青になって、下り坂にさしかかったところで自転車がスピードを出した。お母さんがそれに気づいて走り出そうとしたら、男の子がそれに気づいてブレーキをかけた。

帰ってから軽めの仮眠をとって、シャワーを浴びてから晩ご飯を食べた。湯豆腐にしようと思った。昆布で出汁をとってから、豆腐、白菜、しめじ、水菜と入れていきながら、同時に作っていた生姜焼き用のこま切れがハンパに余ったのでそれも入れることにした。湯豆腐というよりは、もはやポン酢鍋だと思った。

食べ終えてから、洗い物は明日にすることにして、ひとまず小休止だと思った。かりがね茶を入れて、桂月堂の練り切りを食べた。かりがね茶は茎のクセしてうまいという兄のセリフを思い出した。練り切りは消費期限が2日切れていたが、許容の範囲内だろうと思った。Apple Musicでいきものがかりの「YELL」を流して、練り切りは色がきれいだから食べる前にすでに満足してしまっていると思った。

布団に入って目を閉じると、本格的に雨が降り出していたことに気づいた。終わる日記も終わるのかと思った。1週間をここまで長く感じたことはなかったと思った。雨のパラパラという音をここまで心地よいものだと感じたことはなかったと思った。雨はたしかにパラパラ降っているが、これは雨が屋根に当たっているから聞こえる音なのであって、屋根がなければ雨に気づくことはできないのかもしれない。終わる日記は終わるけど、僕が終わるわけではないと思った。

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