志村けんさん

産まれ自我を持った頃には第一線で戦っていた、偉大なるコメディアン志村けんさん。

突然の訃報に気持ちが追いつかないのでここに思うまま書き付ける。


出会いはバカ殿様だった、面白く夢中になった。
他のコントも見たくて調べ、変なおじさんやひとみばあさんが楽しくて真似をして遊ぶほどだった。


志村さんの魅力的なキャラクターもだが、ゲストと行うコントも魅力のひとつだとおもう。

夫婦コントの「私って駄目な女」や夜遅く帰ってきた夫と妻のやりとりをいろんなゲストと演じ、妻役の灰汁の強い対応を面白おかしくすることができたのは綿密に計算された間や表情にあったと思う。

ゲストの中でも研ナオコさんとのコントは研さんのどこまでも笑いに真摯な態度やメイクに、志村さん自身が笑ってしまうこともしばしば見られた。
研さんも笑いお互いにギリギリの状態でコントを進める事もあったが、それも面白かった。
個人的に特に好きな二人のコントは夫に食事を出す妻である。
「ごはん、味噌汁、生卵」書いてしまえばなんてこと無いが、研ナオコさんの生卵の言い方が絶妙なのだ。
そして同じように品を出していき最後に「赤マムシ」と赤マムシドリンクを出すやりとりも絶品である。

志村さんと研さんのコントは語り出せばまだまだたくさんあり、どれも秀逸でこの二人でないとできないものばかりだった。


女性ゲストである研ナオコさんの話を大分したので、好きな男性ゲストもお話ししようと思う。

柄本明さんである。

志村さんとは芸者さんコントや屋台コントで共演していた。
芸者さんコントの薹が立ちすぎたベテラン姐さん二人のやりとりに、他ではあまりないその時々の時事ネタが入っていたのが面白さを加速させていた。
二人のやりとりは他にはない柔軟さを感じて大筋は決めてあるが、台本はほぼ無いんじゃないかと思うほどだ。
それができるプロフェッショナル二人だから。

芸者コントは遡っていけばドリフターズの頃から行われていた、だが二人で言葉と表情の応酬だけで笑いに転換したのは志村けんのだいじょうぶだぁからだと思う。
違うかもしれないが、過去のコントで映像作品として商品化されたものを見た限りそうだと思う後追いしている限界だと思うので違っていても笑って許してほしい。

コントの話だけでかなり長くなってしまった。
それくらい志村さんのコントは心に残り何度も笑えるものが多かったんだと思う。
この拙い文では魅力を十全と伝えられないので、できるならおすすめコントをひたすら見てもらう会をしたいほどだ。


ここまで書いてきてもまだ志村さんが笑顔でひょっこり現れるような気がしてならない。
コント以外のバラエティで見せる頼れる兄貴な志村さんも、動物たちと触れ合う志村さんもこれからずっと傍に居てくれると思っていた。

志村さんが偉大なる先達だから、いつかは別れの時も来るだろうと理解はしていた。
でも今じゃない。
ひとみばあさんみたいになるまで居続けてくれると思ってた、勝手な思い込みなのはわかっている。

でも何故かそんな未来しか自分の中に無かった。

あまりにも突然で早い訃報に心が追いつくのは時間がかかりそうだ。


偉大なコメディアン、志村けんさんありがとうございました。
貴方が居たから笑えた時期もありました。

お疲れさまでした。

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