立派な大人って何か考えてみる話

皆さんの周りに立派な大人ってやつはいらっしゃるのでしょうか。

僕はあまり尊敬できる年長者というものを持った事がありません。

それは、僕が周囲に目を向けないタイプだから、そこに立派な大人が居たとしても気が付かない、という事なのでしょうが。


割と物事はそんなものらしいですね。悪い部分の方が目につきやすいし、印象に残りやすい。

心の調整能力。


間違ったことをしている人間は、自分を正当化する為に自分を大きく見せたり、例えば物理的に制圧するとか、大きな声を出すとかする偏見があるので、余計に悪い人間の方が目立つように感じます。


 じゃあ、僕はどんな人を見ていたら立派だなぁ、と思うかって話を少し。


 僕はTwitterを2年ほどしておりまして。

 縁のある方はみんな未成年だったりするのですが、一生懸命頑張っていて立派だ、こんなに人を想えるなんて尊敬する、とよく思うのです。

 年長者のことはろくに敬ったこともないのに。

 さて、僕の中で何が違うのでしょう。


 僕は誰かに甘えたいのです。

 だから、僕の思う『立派な大人』は、僕を甘えさせてくれる人、甘やかしてくれる人なんでしょう。


 例えば優秀で、その優秀さで僕を助けてくれる人。

 例えば人心に通じていて、僕の事を理解してくれる人。

 例えば裕福で、僕の事を金銭的に支援してくれる人(オイコラ)


 あるいはそれらの条件を他人に対して満たしている人を、立派だと、そう思うんだと思います。

 立派、という言葉で自分の弱さを飾り立てて肯定しているんだと思います。


 他人を持ち上げて自分の醜さから目を背けるのは、僕の十八番でしたね。そういえば。


 だから、年少者に対して抱く尊敬も、一枚めくればこのまま大人になって僕を助けて欲しい、とか、そんなものが隠れているのです。

 僕が生きやすい社会を作ってくれればいいと、本来なら年食ってる僕が果たすべき役割を丸投げしているわけです。


 その癖、自分は尊敬できない(と、僕が決めつけている)大人と同列に見られたくないと、懐の広いフリをしてみたり、偽善を振り撒いてみたり、と。

 ……いましたね。僕が尊敬できない大人達の中に、そう言う大根役者が。

 結局、立派な大人はいるところにはいて、彼らはこちらに手を差し伸べているのかもしれないけれど、それに気がつかないだけ、という一般論が正解なのでしょうね。

 間違ってる奴が間違ったまんま何を吠えたところで、正しくあれるはずもなく。


 まぁ、今回の内容を一言でまとめるなら、

 僕にとって『立派な大人』は、『僕にとって都合の良い人』で、そんなものいない方が健全だよ


 って感じですかね? 


 それぞれ、大人に対して求めるものがあると思います。

 きっとそれは正当なものだと思います。

 でも魚屋で家電は買えないんです。

 ググる時に検索ワードを増やすようなノリで、自分の求めるもの、足りてないものを見つけていけば、自分の思い描く『立派な大人』さんの正体も見えるかもですよ。

 などと、上から目線で言ってくるやつは、貴方の事を考えていない奴なので、気をつけてください。