人との距離感がバグってる
そう思ってるうちは一生バグったまんまだよって話をしようかと思います。
僕は事あるごとに発達障害だASDだと主張してきましたが、立場的には非定型発達、という分類なのかもしれないと知りました。
普通じゃないけど障害が重くない。
普通じゃないのに普通に生きないといけない、という立場なんですかね?多分。
人間社会で生きると決めた以上、人間様のルールを守って生きよう、とそれなりに合わせようとするのですが、これが決まってうまくいかない。
人との接し方が分かってない。
そう見えるのだと思います。
実際僕も思ってました。
『自分は距離感がバグってる』
『人との適切な距離が分からない』
それが問題なのだと。
いや、問題なんです。問題はそこなんですが、原因が違うようです。
人間が見えていない。だから、距離感というものがない。
間違えているのでもおかしいのでもなく、自分の中に目盛りが存在していないのだと気が付きました。
それは、他人に共感する能力を持たないという僕の個性とも通じるものです。
他人に共感できない。他人が見えない。
見えない壁との距離を、どうやって測ればいいのでしょうか。
手を伸ばすしかないですよね。
相手を殴るか、自分の手を痛めるかして、ようやく距離がわかる。
でもそんなことをしていたらきっと周りには誰も寄ってこないのでは?なんて、友達がいない僕は考えるんですけど、実際どうなんですかね?
それで仲良くなれるもんなんでしょうか? 人間と。
友達が欲しかったんだと初めて実感した時は本当に胸が痛かったんです。比喩じゃなく、何かが物理的にそこに存在しているような、そんな苦しさがありました。
単に死にかけてた可能性もありますが。
それが今ではため息一つで済むのだから慣れるものですね。
慣れるものです。ひとりぼっちも。
寂しくなくなるわけではないけれど、寂しい事に動じなくなります。
いっそこのまま1人で生きていけたらなぁ、と思います。
けれど1人を寂しく思う気持ちもあって、それはその日の気分で濃淡が変わる、と言って伝わりますかね?
友達が欲しい日もあれば、1人がいい日もあるみたいな感じです。
これを書いてる今は、人が恋しい。
こういう時に頼る相手って、本当は家族なんでしょうけど、僕家族嫌いだからなぁ……。
誰もいない。誰も作ってこなかった。
360度どこから見ても自業自得ですね。
人の気持ちを理解しない癖に、誰かに自分をわかって欲しいとか、身勝手だなぁと思います。
でも、歩み寄りようがないんです。
それは、僕にとっては背中に翼を生やすのと同じくらい難しい事なんです。
人間と消しゴムの区別を形でしているようなやつなんです。僕は。
人と共感する能力が欠落している、欠陥製品としては、出荷元まで戻してもらわないとどうしようもないんです。
普通に生きる為には、周囲の理解が必要、なんて言う人もいますが、無理ですよね?
だって見えてるものが違いすぎるんですから。
見えてないものが違いすぎるんですから。
一生、人とすれ違ったり、肩をぶつけたりしながら僕は生きていきます。
正直もう人と関わる事が嫌われる事とイコールで結ばれてて、もう人と出会うことが嫌になりつつあるけれど、それでも独りよりはマシだよなぁ、と思ってしまうので。
今日も寂しくやりきれない気持ちでいるように、明日か、明後日か、あるいはその先も生きてんのが嫌になるくらい独りぼっちでしょうけれど、たぶん生きてくと思います。
でも、どうなんでしょう。
人が見えないなら、周りに誰かがいてくれても、僕はひとりぼっちなのでは?
人がいる事と、人がいない事。僕にとってその二つの違いってそんなはっきりしてるんですかね?
分からない。
1人と1人じゃない事って、何が違うんですか?
見えないならいないのと同じなのでは?
分からない。分からない。
おしまい