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傲慢なわたし

疲れている、という理由でいつもイライラしたり笑えなかったりします。

楽しそうにしている人を見ると余裕があっていいな〜と思います。

生きるのにTODOが多すぎて、こなし切れないことがわかるので、積み残しを思うと負債覚悟の毎日がただただしんどく、ひとつひとつを楽しんで!なんて出来ません。

このわちゃわちゃ感はいまにはじまったことではないのですが、新しい家に来た途端にさらに現実化しました。

なんというか、前のすでにかなりごちゃついた古い家にいたときは多少の積み残しは家が汚いことである程度同化され許容されていたのですが、新しい家に来てみるとどうでしょう。
シンクに溜まった食器や、干しっぱなしの洗濯物、整えられていないベッド、行き先の定まらない書類がダイニングテーブルにあるとどうもざわつく。イラつくに近い感情です。

元々綺麗好きな人にとっては、あたりまえの細々した整理整頓のうちでしょう。元々ずぼらのわたしには、ひとつひとつの歪みが自分の怠惰を指すようで痛い。

そしてその苛立ちが最悪なことに家族に向いているのです。新しい家に合った整理整頓が当たり前にできる人間にならなくてはいけない、そんな思い込みがわたしを支配しているようです。

娘が昨日、ばあばの家に行きました。
2駅となりの街です。

「ママ、わたしがいないほうが楽でしょう?」

10歳にもならない娘にそんなことを言わせてしまいました。
いつも忙しくてイライラしている母親です。

自分好みの素敵な新しい家に住んでどんなに恵まれているか知れません。わたしは感謝する、という気持ちを忘れてしまっていたようです。

家に住む目的は、家族で楽しく心地よく過ごしたいはずです。

心地よいはずの新居を自らの傲慢さで住みにくくしてしまった。


昨日、ひとりで買い物に行きました。
娘がいないのは確かにうんと楽ですが、やはりうんと寂しいです。キラキラと輝く生命体がいないのは生きる気力さえ失うような思いです。
娘が好きな干し芋と、一緒にたべるお菓子を買いました。


家が新しく綺麗になっても自身の傲慢さは消えたりなくなったりしないということです。どんなにお金があっても傲慢であれば貧しい。逆も然り。

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