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わたしって検索エンジンだったんだ

こんにちは!アニエスです。

家族のなかで妻・母親という役割を担っているわたしですが、今日ついにゲーム「どうぶつの森」のなかの探し物まで娘に頼まれました。


「ママー!ドレスがなくなっちゃった!」

聞けばゲーム「どうぶつの森」の中で買ったお気に入りのドレスが見当たらないのだそう。知らんがな。…いや、前からこういうのっておかしいなとは思っていたんです。冷蔵庫の前に立っている夫が「マヨネーズどこ?」と言ってきたり、リビングにいたのにわざわざわたしのいる洗面所までやってきて「マッサージクッションどこ?」と聞いて驚きました。少なくとも洗面所にはねぇよ!!

3DKの小さな集合住宅の一室で毎日暮らしを共にしているのに、色んな物の在り処を妻であり母親であるわたしに聞いてくるのです。「どうぶつの森」のドレスもマヨネーズもマッサージクッションも最後に使ったのは本人のはず。なぜわたしに聞くのでしょうか?


わたしは全知全能の神

あれがない!と思った時にまず最初にわたしの顔が浮かぶのでしょう。冷蔵庫を開くわけでもなく、ソファの裏を探すわけでもなくまず最初にわたしに聞きます。なにこの他力本願。そしてなにこの全幅の信頼。わたしは神か?

日本では昔から家の中の雑事をこなす妻の存在を「かみさん」と言いました。自分の妻をそう呼ぶ彼らに自覚はないでしょうが「うちのかみさん」は「うちの神さん」つまり神様を現していたのでした。家のなかにそれぞれの神がいる、という多神教・八百万の神の国ならではの概念ですがまさにその通り!

夫や子どもが脱ぎ散らかした服を洗濯場に持って行き、何の意図もなく食卓テーブルにポン。と置かれる書類や手紙を要不要に分けて片付け、出しっぱなしのペンやハサミを定位置に戻す。買ってきた日用品のストックはそれぞれ使う場所の棚や引き出しに入れておく。そうした細々した動作がわたしを全治全能の神にしたようです。

いちいち一つひとつなんて見ていませんが、家の中で誰がどこでどうして何をどこに置いたかなんておおよそ見当がつくものです。だってこんなに小さい家なんだよ。なんなら「どうぶつの森」のドレスだって探せるような万能感まであるのは当然です。


検索エンジン化してしまう構図

そもそも、「わたし」がマヨネーズを食べたいわけでも、ゲームをやっているわけでもないのにあまりにもナチュラルに彼らが寄りかかってくるので「仕方がないわねぇ」と手を出してしまうからややこしくなるのです。こと母親というものは家族の問題を自分ごととして捉えてしまうきらいがあります。無意識の依存関係です。

冷蔵庫の中を見るより先に全知全能のわたしに投げてしまった方が早く簡単に問題が片付くことを彼らは知っている。たとえ長年の修行を積んだ仙人と暮らしたとしても夫と子供はわたしに聞くのでしょう。つまり、彼らは日々の細々とした雑事をわたしに任せきりであることを「わかっている」のです。わかっているから無意識にわたしに投げる。…乱暴すぎやしませんか。

日々、家中をクロールするわたしの検索能力は研ぎ澄まされ、夫と子供の管理能力はどんどん衰えていく…そういう構図なのです。


知らんがな…!


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