去年の今日、東京から長野の母の病室に行った。今思えば母らしい母とちゃんと会話をしたのは、それが最後だった。 痩せ細って、呼吸器具やら何やら身体中管をつけられていたが、頭はしっかりしていた。弟に年賀状を持ってきてと頼んだらしく、それを選り分けて、自分の訃報を知らせて欲しいのは、この人達ね、と言っていた。 「しばらくは寂しいかもしれないけど、お父さんの時のこと思い出して、何とか過ごしていきなさい」とむしろ、自分が死に逝くことに対する私の気持ちを気遣うのだ。 俳句を折り
野口晴哉の「整体入門」であったか、「風邪の効用」であったか。 とにかく、野口整体というものを知ったのは、どちらかの本を読んだのがきっかけだった。 出会ったことでその後の生き方に影響を与えてきたものは、いくつかあったが、野口整体はその一つであることは確かだ。 身体や健康というものに対する捉え方について考える機会は、何の問題もないうちは、そう無いのかもしれない。 そんななか、気づきを与えてもらい、身体とは、生命とはと問えるようになれたことは、やはりラッキーなことだと思う。
本を読むのは、私の日常に組み込まれたことだ。常に手元には何かしら本が無いと落ち着かない。 けれど、振り返ってみると、小説より自己啓発的なもの、HOWTO本が多いかもしれない。結局、実質的なもののヒントを直に求めてしまうらしい。 それって、占いの数秘で言うと私が8だからかな、と思い当たった。 今年は、ことさら数秘術というものにはまった。いろいろな人の数秘も見て、それが又とてもなるほど!と思うのだ。 なのに、最初自分の8は納得いかなかった。8と言えばお金💰みたいなのにつ
何年も前になるが、blogを毎日書いていた時期がある。少しづつ書かなくなって、遂に年に5回書くか書かないか、になってしまった。 なのにnoteを始める。つづくのか? 書くことは常にしている。日記は習慣になっていて、それ無しに生きるなんて考えられない。しかしそれは、人様に向かって書く意志はまるでない。書いておきたい、書いて自分の内面を整理しておきたいのだろう。 それとこれとは、多分違う。 違うけど、共通する事はあるだろう。今、生きて感じることを書いておきたい。どんな時間も時