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按針塚駅って?


関東の京急線に按針塚駅がある。世に宮本武蔵駅なるものもあるそうだが、外国人(帰化名)を駅名にするのは珍しい。
三浦按針とは、16世紀日本に漂着後、徳川家康の外交顧問になったイギリス人である。
逸見の地を拝領し幕府に仕え終焉の地は平戸であった。遺骸を領地である横須賀市の逸見に運ぼうとしたが、平戸神社の氏子たちに外国人の遺骸を神社の前を通さないよう抗議され、結果現在の神奈川県横須賀市にある按針塚は供養塔になっている。明治5年に三浦按針の業績を調べていたイギリス人が荒れ果てた供養塔を見つけ、その記事が連日新聞に報じられたところ、篤志家たちがお金を出し合い供養塔を整備したらしい。
明治になり再発掘をされた人物であるが、なぜ京急線の駅名になったか経緯は不明。、按針塚駅になる前は軍需部前駅だったそう。昭和15年戦時色が濃くなるころに国政として名前を変更している。
三浦按針にはイギリスと日本に子供がいたそうなのでNHKで子孫を探し出し
対面企画とかしてくれないかな


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