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挑戦する人を笑わない人間でありたい

先日、文化祭でとある子がアカペラで歌をソロで歌っていた。

ほんとに正直な感想を言うと、全然音程もあってなく、いわゆる音痴な状態だった。

多くの人がそれをみて笑っていた。

それでもその子は最後までやめることなく歌い切った。

声は震えていた。

でも最後まで歌い切った。

確かにうまくはなかった。

でもうまかろうと下手かろうと自分という人間を孤独の中で多くの人の前で表現するということがどれだけ勇気のいることなのか計り知れない。

本人に後で感想を聞いたらものすごく緊張したそうだ。

それでも自分の好きなことだから他の人に表現するということに勇気を持ってチャレンジしたのだろう。

人の前で堂々と歌うということは、いまの私にはできない。

だから本当にリスペクトでしかない。

まあそんなことがあったのだが、アカペラということもあって、会場では歌い始めから笑いが起こった。

私も最初はなんでアカペラで?という思いなどもあって少しニヤついてしまった。

決してバカにしたつもりではない。

でも私は事実ニヤついてしまった。

その一方で、目の前に座っていた外国人の先生は真剣な眼差しで1ミリも笑うことなく最後まで聞いていた。

私は自分という人間が愚かだなと思った。

母国を離れ、異国で働くことに挑戦するこの人には、ステージで歌ったあの子の勇気が凄さがわかるのだろう。

自分の興味の湧くことに貪欲に挑戦し、自分という人間を表現することの勇気がわかるのだろう。

私も分かってるつもりではいた。

でも結果、ほんの少し私はニヤついた。

それがこの目の前にいる外国人と私という人間の挑戦してきた経験の違いなのだろう。

日本は集団組織に依存し、言われたことに忠実に従って生きる人間を美化する。

私も高校生の頃はそんなことに何も違和感なく、洗脳されて生きてきた。

しかし、そんな生き方は何一つ勇気のいらない行動だということき少しずつ気づくようになった。

集団から抜け出し、自分を表現することの方がどれだけ勇気のいることなのか。

分かってはいるつもりでいた。

でもわかりきれてなかった。

まだまだ挑戦が足りないのだろう。

笑えるということは挑戦していない証拠。

私は人の挑戦を笑う大人にはなりたくない。

私は人の挑戦をいじって笑う人間にはなりたくない。

挑戦する人たちに囲まれて夢を語りあう人生でありたい。

今回の自分の行動を反省し、理想とする大人へ少しずつ近づいていきたい。

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