駿台御茶ノ水2号館 春期東大国語講座

3月31日
本来ならば一橋国語講座を受けるべきなのだが、一橋用の講座が存在していなかったので、とりあえず取ってしまった春期東大国語講座。

文をさらっと読んだだけで、特に問題などは解かずに講座に臨んだのだが、逆にそれが良かったのかもしれない。いや、良いわけないし、予習はちゃんとしたほうが良いと思っているのだが、俄然やる気が出ない。そんな怠惰の中、講座を受けた。講師は霜栄先生。どんな人なのかも知らずに受けていたので、授業中にどんな先生なのかググったら、なんとまぁ2015年の単語帳セクハラ問題が出てきた。ふむふむ。

あるあるなのかもしれないが、評価をググっても、あんまり凄さがよく伝わらない。他の先生を比較する相対評価ではない為か、個人のその"凄い!!"という言葉にもある程度幅があるため、よくわからない。とりあえず、1日目を受けてみたが、凄い丁寧に説明してくれるし、板書も見やすいのだが、これを試験中にどうやって応用しろと?という感じ。

多分、自分の能力がないだけなのだが、基本周りのノートを見ても、板書しか書いてない場合が多かった。うーん。そのテクニックも限定的であまり他の文章に用いる事が想像できない。林修先生の場合は解き方が一貫していて、わかりやすいし、自分もその方法でやってみようと思うのだが、霜栄先生の場合はそうはならない。うーん。これは私の能力不足なのだろうか。

今日は2012年東大の河野哲也さんの「意識は実在しない」という文章を読んだのだが、言ってることを理解するのは容易いのだけど、設問がやっぱり解けない。どうゆうことかというと、今日知ったのだが、東大の場合は、"何故か?"ではなくて、"何故そう言えるのか?"という設問を出してくる。これが結構むずい。

今日の一番の収穫は、文章を理解することができる=文章の構造を理解できる。ではないことだ。先ほども申し上げたが、言ってることは理解できる。今の環境問題は近代の自然観が原因で、つくられたものであり、また近代の自然観は人間観と並列されていて、その人間観が人権を作り出したが、その一方で人はアイデンティティを失い、その結果標準的な人間像を作り出してしまった。それが今のマイノリティの迫害に繋がっている。言いたい事はわかっているのだ。だが、その構造は?と聞かれると難しい。

やばい。これ解けるイメージが全くつかない…。これが今日の感想だ。

5時ごろに講座が終わり、せっかくなので3号館で自習をしている最中だ。反省を生かして、明日の講座で扱う、今福龍太さんの「風聞の身体」を読んでいる。これはアイヌの自然と相対する時の態度が主題となっている。(〜という主題となっている。えっへん。と偉そうに言っているが、この主題を一言で表すのも結構むずい。てかこれ間違ってる気がする。)

アイヌは熊狩りを摂取的関係ではなく相互的関係によるものだとして、鉄砲を持たずに山へ入ることを好む。なぜなら、鉄砲は人工物であり、人工物で自身を武装して山に入る事は、狩人と獲物という関係を彷彿させ、相互的関係を逸脱してしまうからだ。+ アイヌのおっさんは、無鉄砲という言葉をよく使った。丸腰で熊の住む山に入る=無鉄砲という関係式が成り立つのだが、アイヌのおっさんは無鉄砲=無茶をする。という意味で使っているわけではなく、極めて慎重で、繊細な感覚を持って、という意味で使っている。刺激的だ!

こうゆうふうに、東大は別々の意図の話(意図は別なんだけど、副題のところがかけられてるみたいな?)を出してくる。だから、構造を言葉でまとめるのがむずい。あー!!語彙力が足りん。とにかく、文章にしづらい…。だから設問が書けない。解けない。言いたいことはわかっておる。そして、かけていない事に絶望して萎えるのだろうから、ある意味で設問を解いてこなくて良かったのかもしれないということだ。(最初の方の意味わからん文章を回収していく〜アゲアゲ)

全然関係ないが今日起きたのが、11時。
いろいろやって何もせず今日も駿台に来てしまった。本当に堕落なう。あかんあかん。とりあえず、鉄壁と黄チャート完璧にする。って事で午前中は鉄壁と黄チャートの時間にする。誰に何を言われようとこうしよう。(自分の甘い誘惑を含む)
とりあえず、コロナ休みももうすぐ終わる予定(果たして終わるかどうかわからないが)なので、続けていきたい。明日から。1日坊主にならないか心配。頑張ろう。

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