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昂元庵日記ランダム 17

2013年05月11日

天女は高石に舞い降りた

余呉巡礼の天女を鍵としていろいろなものが繋がってきました。

天女、羽衣、七夕、織姫、白鳥、竹取物語、かぐや姫・・・それらの伝説、伝承と伽耶との関係。


全てが一本で繋がるほど、まだ歴史は単純ではないと思います。
しかし、私達の巡礼から導かれるもう一つの物語は、同じナガレの中にあります。


竹取物語の讃岐神社の鎮座する奈良馬見古墳群は、5世紀に大型古墳が作られました。
同じ頃、大阪百舌鳥古墳群にも、大型古墳群が次々と建築されています。
これらの位置は、ちょうど二上山を挟むかのように東西に位置しています。
これらは、繋がっている。そう思います。


奇しくも、僕の巡礼仲間のQちゃんは、かつて仁徳天皇陵の近くに住んでいて、その近くの高石の高校へ通っていました。
これも因縁でしょうか・・・


地図で確認しますと、
JR百舌鳥駅のすぐ近くに古墳群が見えます。
そこから三駅乗車すると南西の方角に鳳駅があり、
そこには、白鳥伝説で有名なヤマトタケルの和泉國一宮大鳥大社が鎮座しています。

今、中国に住んでいるQちゃんのその前の住まいは、やはりヤマトタケル縁の岡崎市でした。
矢作神社が近くにあります。
その前は、ヤマトタケルを祭神とする近江一宮のある大津市です。
一宮建部大社も近くです。
不思議な因縁ですね。


大鳥大社の御祭神は、当然のごとくヤマトタケルなのですが、もう一柱主祭神として祀られているのが、大鳥連祖神です。
大鳥連は中臣氏と同じく天児屋命を祖神としていたので、大鳥連祖神は天児屋命ということになるそうです。

余呉からずっと中臣氏は続いています。

鳳駅の次は、羽衣駅です。
驚いたことに、この地にも天女の羽衣伝説が残っていました。

羽衣駅から、だいたい南西に300mほどのところに、大鳥羽衣濱神社があります。
御祭神は、両道入姫皇女(ふたじいりひめのみこと) で、垂仁天皇の皇女、日本武尊の妃、仲哀の母でもあります。

神功皇后の巡礼やヤマトタケルの巡礼にも関係深そうです。
ここは、もう少し、掘り下げる必要がありますが、今は止めておきます。

大鳥羽衣濱神社の元神は、公式HPによると『本来の祭神は、由緒に記すように涸れることのない神水(井戸)への崇敬対象としての水神であったと思われますが、それを証する資料は今のところ見つかっておりません。』と記載されています。

興味深いのは、そのすぐ近くに伽羅橋という地名が残っています。
伽羅とは、伽耶の別表記です。
ここも伽耶と関係あるようなのです。

『伽羅橋とは芦田川に架けられた橋で、かっては紀州街道に架けられていた。この橋の名の由来は、垂仁天皇の時代、朝鮮半島の南端に、大伽羅という小国があり、その国から日本に渡ってきてこの付近に居住していた者が造ったことによるという説と、伽羅という香木で造られて いたためという説の二説がある。』(神奈備HPより転載)


現在は、道路上で地名だけのようですが紀州街道にそって川が流れています。
しかし、この川は人工的のようにコの字を描いて大鳥羽衣濱神社を囲んで迂回しているので、昔は真っ直ぐに流れておりそこに伽羅橋が架かっていたのではないか・・・と想像します。

さらに、想像を発展させると、伽羅橋より200mほど南下すると高石神社が鎮座しております。
高石神社は、天神の社として知られ、白雉元年(西暦650年)より大阪府高石市に鎮座しています。
御祭神は、少彦名神、天照皇大御神、熊野坐三社をおまつりしています。


そんなことを考えていて、いつも情報交換をしている布引巡礼のお友達と話しをしていると、この大鳥羽衣濱神社が、シンクロしてしまいました。
急遽、お友達は三人で連れ立って、高石へ向われました。
巡礼の画像を見せてもらいましたが、いろいろとイメージが膨らみます。


天神さんは、道真公に見られるように牛と結びつきます。
もしかすると川を隔てて、高石神社の牛神は、羽衣濱神社の水姫と向かいあっているのかもしれません。
この場合、牛神とは牽牛彦星であり、水神とは織姫のこととなるでしょう。

多分、その芦田川が天の川になるのでしょうが、
芦は、葦であり茅のことです。
茅は、伽耶であり、伽耶とは、天女の故郷である天のことを意味していると思います。
すなわち、芦の川は天の川なわけです。


ここで、更に妄想を膨らませると、水口の川枯姫の謎が解けそうです。
水口は、野洲川が流れ、水は豊富です。
なのに、川枯なのか・・・
かつて、川が枯れた時があったのか?
でも、それを名にするには、一時的な現象のように思います。

川枯(カワカレ)とは、川別(カワワカレ)ではないのか?
野洲川は、水口辺りで、野洲川と杣川とが合流しています。
しかし、これは別れではなく、合流なのですから、もう一つ釈然としません。

もしかすると川別姫とは、「川によって分かれさせられた姫」のことかもしれません。
すなわち、織姫のことです。

ニギハヤヒの孫神は、川枯姫と恋におちるも、その後引き離されたのかもしれません。
まあ、川枯氏という氏族がいたようですから、この話はあくまで妄想なのですが・・・
しかしながら、日神と水神がある時、引き離されてしまったというのは、
伊勢の元神信仰を見てもあると思います。

そのうち、僕も堺、高石巡礼をしてみたいと思います。

そうそう、この高石の地は、加茂という町名が残っています。
鴨公園というのありますし、加茂氏とも関係あると思います。
多分、これは葛城に繋がるのではないかと考えています。
水口で経験した「白鷺(白鳥)に隠れて鴨がいる。」が現実化してくるかもしれません。

さて、話は変わりますが、
この昴元庵日記は、昨年の11月1日に始まり、この5月迄の限定日記と条件付けてきました。
当初の予測に反し2012年も過ぎ、2013年は新しい時代に突入しているかのように思います。

僕の巡礼もいろいろな繋がりを見せ、
歴史とは、別の物語を紡ぎ始めています。
その物語は、歴史を学ぶ人にとっては、参考にならない話かと思います。
にもかかわらず、ここでは検索から訪れてくれる方が少なくありません。

いつも書いていますが、
ここは、10名程度のごく限られた人に向けて書いています。
それでも、書き続けているとこんなHPでもアクセスが増えてしまうものです。

よって、ここは予定どうり今月で終了し、
今、新しいステージを準備しています。

ただ、僕のアナザーストーリーを綴るだけのステージですが、
一緒に楽しんでくれる方には今までどうり公開するつもりです。

また、準備が進めばここでお知らせしますね。
といっても、期待させるほどのことでもありませんが・・・

では、また。

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