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巡禮セレクション 1

2013年08月25日(日)

善神と悪神

神という概念は、ほんとに捉えにくいものです。
概念というより、神という意味が難しいのかもしれません。

西洋の神と、日本の神ではその意味合いが異なっていると思います。
また仏というものや、異教の神というのも、その扱いは神という一言で説明するのには違和感があります。

西洋の神というのは、東洋的に言うと天という意味合いが強いような気がします。
要するに創造神や天界に属する意識を言うような気がします。

また天使や聖霊という概念も西洋にはあります。

日本古来の神々というと、多くの場合は、自然霊のことを言うような気がします。
それを祀ることによって、人間の望みが自然霊の働きの方向性に影響を与えていると思います。

自然霊のほかには、動物霊もあると思います。
現代のチャネラーの相手には、宇宙の存在や高次元の存在があると思いますが、その一方で、この自然霊や動物霊を相手にしている人も少なくないと思います。

自然霊や動物霊は、物理的な者ではないため、人間よりも長期間生きています。
その分、様々な経験から、無知な人間にとっては神のごとく振舞うことができます。


多くの人は、「神とはなんぞや?」という定義ができていないため、超越的な力や常識を超える力、未知の者、奇跡的な体験に対し全て神のなせる技と信じてしまいます。

そこに善神や悪神、また神と悪魔、仏と鬼なんて相対的な基準で見るため、第三者から見ると非常にややこしい話となります。


歴史的に見るなら、支配者の神が善神であり、被征服者のそれは悪神や悪魔ということになります。
また仏教では、異教の神を守護神として神の下位の存在として取り入れてきました。

ただ神道においては、おそらく神祀りというのは宗教ではなく呪術の意味合いが強く唯一絶対神を相手にしていなかったため、異教の神の排除の必要性が少なかったのだと想像します。

それらの神々とは、山の神、川の神、海の神、火の神・・・といった、あきらかな自然霊です。

自然霊自身に良いも悪いもなく、その表れを和魂と荒魂として認識していたに過ぎません。
良い悪いというのは、人間社会にとって都合が良いか悪いかだけの視点です。
神自体に良いも悪いもないわけです。


さて、ここで昨今の古代の神の復活、縄文の神の復活、埋没神の復活は、我々にとって好ましいことかどうかを考える必要があると思います。

今や一つのブームのように、神の名を語りメッセージを送る人や信じる人が増えています。
僕は、アメブロでも何度か、縄文の神が復活してもその信仰が復活しないなら、人間にとって禍になると書いてきました。

代表的な埋没神と呼ばれる瀬織津姫でさえ、荒魂、禍津日神と呼ばれているのですから、恐ろしい神なのです。
ある見方からすれば静かに鎮まり復活してほしくない神なのです。
かつて瀬織津姫を信仰した人々のように、瀬織津姫の禍を神祀りによって鎮める方法を知らないのなら、人間社会にとっては悪神となることでしょう。

日本の神々というのは、そういった存在です。
その神々を相手にしている現代のスピリチュアリストや神社の神官は心して対処してほしいと思います。
仏や天使とはわけが違います。


少し話はかわるのですが、
オカルト的な宇宙史観というか地球史観の中に、超古代の先住異神の話があります。
それはレムリアやアトランティスより古い時代、地球に陽極の人類が住んだ、その次の時代の話です。
太陽系の果てから、陰極の宇宙人が地球にやってきて長い間、この地球を支配したそうです。
彼らは、象徴的にいうなら闇の存在してた、闇に包まれた地球をやがて、宇宙の光の存在が関与します。
しかし、光は闇を葬ることができず地球の中心核へ幽閉したそうです。

かれら闇の存在も人間にとっては神に等しい存在です。
神は、二極、光と闇に象徴されるポジティブ(陽極)とネガティブ(陰極)を創造しました。
闇もまた神の一部なわけです。これを暗光とも呼ぶようです。

その地球深く閉じ込められた闇の神は、念波によって地上の人間に時々干渉をするようです。
同じ振動を持つ人間は、その波動とシンクロしてしまい悪魔付きのような行動にでます。
「クトゥルフ神話」というのはフィクションですが、そのあたりのインスピレーションから書かれた話かもしれません。作者は狂死しています。

時々、地獄の門が開かれたとか、闇の存在が解放されたという話を聞きますが、オカルト思想を元にしているのかもしれないですね。
そして、再び、光と闇の戦い、ハルマゲドンへと突き進むというのがシナリオなのかもしれません。


オカルトは、トンデモ話として、一般的に受け入れられていないと思いますが、その反面、世界の指導者や支配者の中には、オカルト思想が源流にあるように思います。ヒトラーがそうだったのは有名ですね。
日本もそのように見えます。


オカルトの知識は、古代の叡智が含まれています。
しかしその解釈や利用は、現代の欲望を満たすために悪用されているように思います。

神の復活を含む様々な氾濫する思想や情報の中で、私たちの意識は、人類にとって良い結果を迎えるように向わないといけません。

神の意志とは、時に人類の滅亡を意味することがあります。
神の意志に叛けないなら、人類にとって最善の道を選択していかなければいけないし、神の用意した道の中で、できる範囲の避難をするべきだと思います。

神の価値観と人間の価値観は異なります。
神の善と人間の善は違います。
我々は、神の善の中で、人の最善を見出す必要があると思います。
人として生まれたこの魂は、人としての行動をとれば良いのだと思います。

人には、善悪を感じる心があります。
現代は悪に満ち、この心も穏やかではいられません。
その心を癒すために、ヒーラーは役割を担っていますが、それは一時の麻薬に似ていると知る必要があると思います。

いつしか麻薬に頼り本来の感覚や心を麻痺させてしまうことがあるからです。
ある宗教の罪は、我々も良く知るところです。


神を知ることは大切です。
そして、そこに善悪を当てはめるなら、自分にとって正しい物差を持つ必要があると思います。


ここまで書いたけど、内容的に巡禮向きじゃないような気がしたので、アメブロに転載しておきます。

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