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巡禮セレクション 20

2015年05月09日(土)

大祓詞という呪


お経で最も有名なのが般若心経ならば、祝詞で最も有名なのは、大祓詞だと思います。

「元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪・穢れを祓うために唱えられた祝詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから中臣祓の称がある。6月と12月では異なる文言であったが、6月の方だけが残った。」


実際は、大祓詞と中臣祓詞の別称のある旧バージンの二種類あります。何が違うかは、それぞれを見比べるか、こちらのサイトの説明を参照くださると良いかもしれません。

大した違いはないようですが、
奏上体と宣命体という二つの様式があるようです。

「奏上体とは神に向かい直接申し上げる祝詞のことである。宣命体(宣下体)とは、天皇の仰せを、集合している皇族以下百官に宣(の)べ聞かせるもの(この場合宣下体とも)と、神を祀る祝部や神主に申し聞かせて神に奏上させるといった、間接的に宣べ伝えるものとがある。」

この祝詞に有名な瀬織津姫を初めとする祓戸四神の紹介と効用が述べられています。
その内容は、大きく分けると、前半部分は天孫降臨の経緯と天孫族の正統性を説き、後半部は、その国民が罪穢れを祓うためにこの祝詞を奏上するなら、天津神国津神の加護により罪穢れはなくなると述べます。


祓うべき穢れとは、気枯れだという説もありますが、一般的には汚れという意味で良いと思います。この汚れを綺麗に祓うから清めになるのだと思います。


こういったありがたい言葉なのですが、ふと、こんなことが思い浮かびました。

大祓詞は、先住民の反抗を抑えるための呪ではないのか?
先住民とは、おそらく出雲族のことになると思います。

前回、焼釜敏釜から幸神を想起しました。
祓戸神が幸神の転化ではないか・・・と僕は疑っています。
このことは、もう少し詳しく別の時に書こうと思います。

さて、大祓には、このような文言が出てきます。
これは、祝詞を奏上すると、このように罪穢れが無くなるという説明ですが、その例えにこうあります。

 科戸の風の天の(八重雲)を吹き放つ事の如く 

 朝の(御霧)夕の(御霧)を朝風夕風の吹き払ふ事の如く

 大津辺に居る(大船)を舳解き放ち艫解き放ちて大海原に押し放つ事の如く

 彼方の(繁木)が本を焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃ふ事の如く


と、こういった凄まじい威力を説いています。
で、気になるのは、( )部分の祓われる対象物ですが、
八重雲は、多くの出雲の民

御霧も、雲と同じ意味でさらに湖や池か生じるため水神信仰の民といえる。

大船は、船戸神の比喩でクナト神信仰の民

繁木は、天孫降臨の折、従わない神の他にしゃべる岩や樹、草までも制圧したとあるように、先住民のことを指すと考えられます。


僕は、ここで意味する罪とは、天孫族に逆らうことで、穢れとは、先住民のこと、もしくは先住民の生活様式を言っているように思えるのです。

これをなぎ倒すために、焼釜敏釜を用いるということは、焼釜敏釜が幸神の転化なら、先住民の神を使って先住民に罰を下すという意味です。

すなわち、先住民の神は、もう支配者の神となり天孫族の手下として働いているという脅しになるわけです。

これは、神道最大の奥義かもしれないと思います。
我々は、神道とは古代の自然崇拝から脈々と現代まで続く日本人の信仰だと考えていますが、
僕は、ある時点で別物になったと考えています。
現代の神道とは、すごく政治的なシステムなのだと思います。
それ故、明治時代に国民支配と天皇主権の政治に利用され、敗戦後は、その殻だけが残るものの、一部の思想に憲法改正など政治的支援を行う団体がいるわけです。
といっても、僕は現代神道を軽んじるつもりはなく、むしろ日本人の精神的支柱として、純粋な信仰を取り戻したいと願っています。


ところで、古代の征服者は、先住民を支配してもその神を廃棄させることができませんでした。
だから、神を奪ったわけです。
神道は、相手の神を奪うことに意味があったのだと思います。

これは、仏教でヒンズー教の神を仏が改心させ、仏教の守護神に取り入れた手法と同じです。
ヒンズーの神々は、天と呼ばれ仏教を守護しています。
おそらく、古代の征服者は、仏教の影響を受け、仏教による国家鎮護と手法をまねたのだと思います。


征服者は、出雲の神を改造し自分たちのコントロールする神として働かせ、出雲族の反乱を抑えたのだと思います。
それを高らかに奏上するのが大祓詞の意義だったのではないでしょうか?

そして、これを聞いた元出雲族は自分たちの神の力を信仰している故に、それに逆らえず神威を恐れ、支配者に従うしかなくなったのだと思います。
相手の神を悪魔にしたて、自分の神を押し付ける西洋の支配よりも、はるかに賢い人心操作だと思います。


もしかすると古代の人々には、祓や穢といった概念はあったとしても、祭祀はなかった可能性も浮かんできます。
もっと大らかで善悪の判断基準が曖昧な時代だったかもしれません。
大祓詞に対句として天津罪国津罪という罪が列挙されますが、わざわざ罪を説明することからして、一種の法的基準を述べている可能性があると思います。

従って、大祓詞は、祓の呪文ではなく、国民を縛る呪(しゅ)なんだと感じました。
今回、大祓詞を見た時、これは個人的な感覚なのですが、説明のできない種類の圧を僕は感じたのです。

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