見出し画像

巡禮セレクション 17

2014年05月13日(火)

オオゲツヒメ殺しの問題 


Wikiから引用すると、オオゲツヒメ殺しのいきさつはこうあります。

「古事記においては、岩戸隠れの後に高天原を追放された速須佐之男命(素戔嗚尊)が、食物神である大気都比売神(おほげつひめ)に食物を求めた話として出てくる。
大気都比売は、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差しあげた。
しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、大気都比売を殺してしまった。
大気都比売の屍体から様々な食物の種などが生まれた。
頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれた。
神皇産霊尊(神産巣日御祖命・かみむすび)はこれらを取って五穀の種とした。」


一方、日本書紀では神名を変えられて同じ話が記述されています。

「天照大神はツクヨミに、葦原中国にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。
ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。
ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。
それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。
それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。
保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。
アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。」


僕は、これを穀物が月の影響下(支配)にあるという意味だと考えていました。
しかし、○○さんの勢力争い説に少し考えを向けてみたいと思います。


オオゲツヒメというと阿波の国の女神ということになっています。
阿波国一宮は、現在大麻比古神社となっていますが、大麻比古神社が一宮とされるようになったのは中世以降のことだそうです。
以前は、
「上一宮大粟神社(名西郡神山町)であった。
平安時代後期に、一宮大粟神社から国府の近くに分祀して一宮神社(徳島市一宮町)が創建された。
上一宮大粟神社および一宮神社は式内名神大社の天石門別八倉比売神社の論社であるが、
八倉比売神社(徳島市)も天石門別八倉比売神社の論社であり、こちらも一宮とされる。」

このWikiの情報を見る限り、
元々は、天石門別八倉比売神社といったようです。

上一宮大粟神社、ご祭神は、
大宜都比売命 (おおげつひめのみこと)
またの名を天石門別八倉比売命あるいは大粟比売命としているが、史料によっては天石門別八倉比売命・大粟比売命は配祀神であるとしている。

一宮神社、ご祭神は、
大宜都比売命、天石門別八倉比売命

八倉比売神社、ご祭神は、
八倉比売命(天照大神の別名であるとする)


いずれも大宜都比売命もしくは、八倉比売命の姫神。
もしくは、この二柱の祭祀。
あるいは、一説にこの二柱は同神。
そして、八倉比売命は天照大神の別名であるとされています。
すなわち、大宜都比売命=八倉比売命=天照大神
という図式がなりたつ可能性があります。

上一宮大粟神社の社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという伝承が残っていますから、大宜都比売の故郷が天照大神を祀る伊勢なのも両神の関係を裏付けます。


興味深いのは、八倉比売神社ですが、Wikiによると、ここの社伝には天照大神の葬儀の様子が記されているそうです。
社殿裏手には五角形の磐座があり、一説には卑弥呼の墓であるという話です。

このことを述べているのだと思いますが、玄松子さんのブログには、
「神社の裏100m程の所に、下記案内にある、五角形の青石の祠があり、山麓附近には五角形の井戸もあるらしい。
興味のある人は探してみると面白いかもしれない。

でも、五角形に拘っているのは興味深い。
五芒星(ペンタグラム)を信仰する人々がいたのだろうか。
瀬戸内海対岸の播磨や隣の土佐には、陰陽道ゆかりの地が多いのだが。」

と記述されており、境内案内板には、
「奥の院は海抜一一六米、丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部頂上に五角形の祭壇が青石の木口積で築かれている。
青石の祠に、砂岩の鶴石亀石を組み合せた「つるぎ石」が立ち、永遠の生命を象徴する。」

と鶴亀石があると書かれています。
僕は、以前「鶴は千年、亀は万年」というのは呪(しゅ)ではないか・・・
冥探偵 困難くん参照)
鶴は五芒星を意味し、亀は六芒星。
五芒星はソロモンの象徴で、六芒星はダビデの象徴です。
だから、鶴王朝は千年続いたが、亀王朝は万年続くという意味だと思ったのです。
ただし、それらの王朝がユダヤに関係あるのかは確信ありません。

伊勢志摩の海女は、魔除けに五芒星を使っているようなので、五芒星信仰の先住民は存在したと思います。
そこに六芒星の民が上書きしてきた可能性を感じます。

徳島県には、剣山があります。
剣はツルキで、伊勢から真北へ引いたライン上にある白山の総社、白山比咩神社も白山市に合併するまえは、鶴来町(つるぎ)と言いました。これも繋がっていると思います。
白山のシラカミに通じることから、伊勢の古い信仰として繋がっていると思います。
伊勢から阿波に移動して死んだ大宜都比売もしくは天照大神こと八倉比売は、白山神と同じかもしれません。

シラカミは、生と死の神であり大地母神だと言及してきましたが、ハイヌウェレ神話型という女神が死んで食物が生まれるという神話体系の中に、縄文の神話として、
「神話学者の吉田敦彦は、縄文時代中期の土偶の大半が地母神的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した。
これは「地母神が殺されてバラバラにされ、そこから人々の役に立つものが誕生した」という神話を、
女神の表象である土偶を破壊して分割する行為によって儀礼的に再現した痕跡ではないか、と考えたのである。」
としています。
ウケモチ、オオゲツヒメ神話はこの典型的な神話です。


話を八倉比売神社の案内版に戻すと、他にも
「当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、
道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。」
天照大神の葬儀委員長に木股神が記載されているのも気になります。

また、
「銅板葺以前の大屋根棟瓦は、一対の龍の浮彫が鮮かに踊り、水の女神との習合を示していた。
古代学者折口信夫は天照大神を三種にわけて論じ、
「阿波における天照大神」は、「水の女神に属する」として、「もっとも威力ある神霊」を示唆しているが、余りにも知られていない。」

と、阿波の天照大神が水神であると言及されています。

案内版には、御祭神 大日孁貴命(別名天照大神)と書かれているようです。
一般的に大日孁貴命=天照大神とされていますが、
この場合は、大日孁貴命=旧天照大神と考え、
五芒星=旧天照大神が死に
六芒星=新天照大御神が後を継いだ。
という構図を思い描きます。

さらに
「当社は、正一位杉尾大明神、天石門別八倉比賣神社等と史書に見えるが、本殿には出雲宿祢千家某の謹書になる浮彫金箔張りの「八倉比賣神宮」の遍額が秘蔵され、さきの神符と合せて、氏子、神官が代々八倉比賣神宮と尊崇してきたことに間違いない。
 古代阿波の地形を復元すると鳴門市より大きく磯が和田、早渕の辺まで、輪に入りくんだ湾の奥に当社は位置する。
 天照大神のイミナを撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と申し上げるのも決して偶然ではない。
 なお本殿より西北五丁余に五角の天乃真名井がある。元文年間(一七三六―四一)まで十二段の神饌田の泉であった。現在大泉神として祀っている。」

撞賢木厳御魂天疎日向津比賣は、天照大御神の荒御魂とされていますが、別名を瀬織津姫だとされています。
この瀬織津姫は、伊勢内宮の荒祭宮に祀られていると言われています。

ちなみに、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)とは、今の僕の解釈では、「月に栄える凄まじい源から発する力が天から降りてきて地で向い受け止める女神 」という意味だと考えています。自己流の解釈です。
これは、太陽を地で受け止める女神と考えている豊受大神と同じ水の女神だと考えています。
僕は、豊とは太陽の意味があると考えています。
生田巡礼3参照)

瀬織津姫も水の女神ですが、折口信夫が阿波の天照大神が水の女神に属すると言及するのは意味があると思います。


まとめてみると、あくまで想像ですが、
五芒星信仰の大宜都比売命は、スサノオ又はツクヨミに殺されました。
スサノオは出雲神でその出身は新羅です。
ツクヨミは壱岐島です。この元も朝鮮半島民でしょう。
伊勢の先住民は、渡来人によってその食物神を殺されました。
これは、地母神でもあり、その神に仕える巫女だったのかもしれません。
殺された大宜都比売命からは、蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆が生まれました。
これは、大宜都比売命の残した蚕と農業技術を天照大御神の派遣された天熊人が持ち帰り、または技術者を連れ帰り、
六芒星・天孫族が引き継いだ。と考えます。
スサノオまたはツクヨミとアマテラスは兄弟ですから、
オオゲツヒメ殺しの犯人は六芒星とグルという可能性もありますね。


ところで、オオゲツヒメは大月姫とも書けますが、
そう書くと、大いなる月の姫神という意味になります。
僕は、元のアマテラス神とは、天照神ではなく、海照神だったと考えているので、
そうなると闇夜の海を照らす海人族の月神になります。
月神は、水神でもあるので、阿波の天照大神は、水の女神に属するのも解ると思います。
そして、天石門別八倉比売神社という名のとうり天石門別の名が付きます。
これは門神であり、元はアラハバキ神だと考えられます。
GW三河の旅2日目参照)
伊勢内宮の荒祭宮の元神は、瀬織津姫とともにアラハバキ神だとも言われます。


朝鮮渡来人の民に殺されたウケモチ・オオゲツヒメとは、伊勢に住んでいた白神信仰の五芒星・鶴民族の信仰する八倉比売と呼ばれる女神だったのではないか・・・と思います。
ただ、今回の話は、一部分の情報から想像しただけですので、他の神話、伝承との整合性は考慮しておりません。
これから、調整、訂正、修正していく必要はあると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?