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巡禮セレクション 24

2014年02月06日(木)

NINO


日吉大社大山咋命の二宮から、
◇◇◇さんのNINOのメッセージを紐解くと
面白い解釈にたどり着きました。

本来、このような考察は史学ではありえないのですが、
メッセージをたどることは、巡礼において大切な事項だと思います。

このメッセージとは、複数の人の意識に上ることもあり、
これがシンクロと呼ばれています。

このメッセージとは、スピリチュアル系の解釈をするなら、
見えない世界からのメッセージ、導きだと考えられますし。
心理学的に解釈するなら、目に映るたくさんの情報から自己の無意識が反応しているのだと考えられます。
この無意識とは、顕在化されていない意識ということになります。
自己の意識とは深いところで真実と結びついていることがあるのですが、
私たちの意識はこれを認識しておりません。ゆえに無意識な状態であるわけです。

しかし、どちらにせよ私たちは無意識でありながら、直感や第六感と呼ばれるような感覚により、
時に真実に触れることがあります。
巡礼とは、そんな機会を提供してくれる精神作業なのかもしれません。

さて、NINOの文字に含まれる、IとOの文字に◇◇◇さんは注目されました。
いくつかの解釈がありますが、
Iのサルタヒコ(クナト)とOのウズメに象徴されるようなンとヨで正解のように思います。
すなわち文字の形からヨギとリンガの男性と女性のシンボルです。
そこにNが含まれています。
これは、ポジティブ―ニュートラル―ネガティブのニュートラル(N)だと思います。
言い換えれば、父子母になります。

おもしろいことにNIÑOとは、スペイン語で子供という意味です。
日吉大社では、このNINO(二宮)に祀られているのが、東本宮の主祭神こと大山咋命です。
大山咋命は子神なのでしょうか・・・

三輪高宮家の系図には、
不思議と、味鉏高日子根命(又名、大山咋神、山末之大主神、賀茂別雷神)となっています。
大山咋命と賀茂別雷命が親子なので、同神というのはありえないと思うのですが、
もし、大山咋命が子神であるならば・・・という視点もアリだと思います。
そもそも、日吉大社は大山咋命一座の祭祀でした。
そこに天智天皇時代に、三輪の大物主が勧請され、
平安時代、仁和年間には、既に聖真子(現、宇佐宮)が祀られており、この三社を総じて「三聖」と号し、
平安末期には、三聖に八王子(牛尾宮)・客人(白山宮)・十禅師(樹下宮)・三宮を加えた三王七社の規模が整えられ、
さらに三王二十一社、社内百八社、社外百八社の制へと発展していったようです。

そして、
「日吉大社の社司は加茂県主の同族と伝えられる祝部宿禰が、代々継承してきた。
その祖は神皇霊産尊とし、天智朝のころの宇志麻呂のときに大比叡神を祀り、祝部宿禰を賜った。
以後、その子孫が奉仕をした。十世紀に至って、左方と右方の二流に分かれ、
それぞれ大比叡神、小比叡神の禰宜を務めた。
のちに左方は生源寺を称し、右方は樹下氏を称した。」

ということで、日吉の社家の先祖は、大山咋命のスサノオ系ではなくタケツヌミの子孫なのです。
なのに、東本宮ではスサノオファミリーを祀っているのも変な話です。


賀茂別雷命生誕の神話はいくつか記述されていますが、
「『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。
賀茂建角身命の娘の玉依姫が石川の瀬見の小川(鴨川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。

それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依日売は懐妊し、男の子が生まれた。
これが賀茂別雷命である。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で賀茂建角身命が「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところ、
賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。
丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。

風土記編纂の官命は、713年とされています。
賀茂別雷命神話は、もしかするとその辺りの創作かもしれません。
そして平安時代にその話を元に日吉祭祀が出来たのかもしれませんね。
因みに風土記の父神は、大山咋命ではなく火雷神です。
別雷の父が雷神のほうが肯けますね。

また、秦氏本系帳には
「秦氏の娘が葛野川で洗い濯ぎをしていたとき、一本の矢が流れてきた。
娘が、これをとりあげて持ち帰り、戸の上に刺しておいたところ、まもなく、懐妊し男子を生んだ。
夫なくして懐妊したことを怪しんだ父母が誰の子かと問い詰めたが、娘は知らないといった。
 そこで、盛大な宴会を用意して親戚・村人など多くの人々を招待し、その男子に盃を持たせ、“父と思う人に盃を差しあげよ”と命じたところ、
男子は、衆人を指さずに戸の上の矢を指し示した。
 すると、忽ち、その矢は雷神となって棟木を破って天に昇っていった。戸の上の矢は、松尾大明神であった」(大意)

本系帳とは奈良時代後期以降、各氏族に造進させた氏族系譜。761年のものが最も早い。
799年のものは814年に「新撰姓氏録(しようじろく)」としてまとめられた。
「秦氏本系帳」はその中の秦氏の作ったもの。
原書は残っておらず逸文のみ存在。

これも8世紀の記録ですね。


ところで、大山咋神は、“鳴鏑を用つ神”と言われています。
これは、“鏑矢(カブラヤ-音を発して飛ぶ矢)に化して顕現する神”であり、“矢に化して神妻(巫女)に御子を生ませる神”を意味し
とあります。

「この伝承は、女子の名・川の名・神名は異なるものの、山城国風土記(逸文)にいう賀茂の丹塗矢伝承(上賀茂神社・別雷神生誕伝承)と同じもので、
これは、秦氏と賀茂氏とが密接な関係にあったことによる(秦氏本系帳には、鴨氏人は秦氏の婿とある)。

 また、“矢”が日光・雷光の象徴であることからみて、この伝承は、水辺の巫女が日光に感じて神の御子を生む日光感精説話の一類型といえる。
当社の旧社地・松尾山(日埼岑)の立地位置をみるとき、松尾山は所謂・“朝日の直刺す(タダサス)地、夕日の日照る地”であって、夏至の日の朝、
比叡山(四明岳)に昇る朝日は真っ直ぐに松尾山を射し、冬至の日、四明岳からは松尾山に沈む夕日が真っ正面に拝され、
これが、松尾山を日埼岑(ヒノミサキ)と別称する由縁だともいう。


 付言すれば、鳴鏑の矢とは比叡山から射し込む夏至の朝日の非喩であって、
その意味で、松尾の神(オオヤマクヒ)は日神・天照御魂神(アマテルミタマ)でもあるといえる。」

大山咋命が賀茂別雷命であるなら、秦氏の氏神松尾大社の祭神が大山咋命なのも肯けます。
そして、京都の賀茂の社である、蚕の社も関連してきます。
かの神社は、木嶋坐天照御魂神社という名で、天照神の神社です。

アマテル神といえば、元伊勢籠神社の祭神は、公式HPによると
「 彦火明命、亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、
又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。」
とあります。

アマテル神と賀茂別雷神と異名同神と伝えられています。
そして、室町時代の作のようですが、『賀茂之本地』では阿遅鉏高日子根神と同一視されているそうです。

となると、三輪高宮家系図の味鉏高日子根命(又名、大山咋神、山末之大主神、賀茂別雷神)は正しいと考えられそうです。


前回、賀茂建角身命=三島溝咋神から、
系図的に大山咋神=事代主命と考察しました。

大山咋神というのは、よくわからない神だと言われます。
僕もあまり存在感を感じないのですが、
もし、賀茂建角身命=三島溝咋神の義理の子として創作したのなら、
三島溝咋神と
大山咋神の名は咋神として共通します。

京都の下鴨神社は、賀茂御祖神社が正式な名で親が祀られているはずですが、
主祭神は玉依姫命と賀茂建角身命です。
両親ではなく、母ちゃん、爺ちゃんです。
鴨氏ではないので大山咋命は祀られなかったのでしょうか?
そして、賀茂別雷命誕生の御生神事を行う、御蔭神社の祭神も玉依姫命と賀茂建角身命です。

僕は、御蔭神社を参詣した時、賀茂別雷命の両親とは、玉依姫命と賀茂建角身命なのではないか・・・と感じました。

話は変わりますが、
賀茂別雷神=アジスキ=大山咋神=事代主命となるなら、
タケツヌミは、大国主命になります。

大国主命と神屋楯姫の間には、
事代主命と高照姫が生まれます。

大国主命と田心姫の間には、
アジスキタカヒコネと下照姫が生まれます。

奈良の高鴨神社には、
阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)を主祭神とし、下照比売命・天稚彦命を配祀しています。

下鴨神社こと鴨都波神社には、
積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀しています。

高照姫は?というと、
中鴨社こと葛木御歳神社に、
御歳神を主祭神とし、大年神と高照姫命を配祀しています。

なぜ、御歳神が?というのは謎ですが、
大国主命(タケツヌミ)と玉依姫の間には、
アジスキ=事代主命
と照姫の兄妹が生まれたのではないか・・・と考えてしまいます。

もしかすると
アジスキ・高照姫・下照姫の三兄弟と考え、これが鴨王こと天日方奇方命・媛蹈鞴五十鈴媛命・五十鈴依媛命がモデリングされたのかもしれませんね。
僕は高照姫と下照姫は同神のように思いますが・・・

また、田心姫は、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としていますが、
松尾大社の主祭神が大山咋神と中津島姫命(市杵島姫命の別名とされるが、異説もある)なのも母子の間柄ということになりそうです。


あくまで、僕のメッセージから紐解く推測、妄想です。
これが正しい考察なのかは確かめる術もありませんし、
伝承や神話との矛盾も出てくると思います。
この話は、鵜呑みにしないで意識的に捉えてもらえれば幸いです。
僕自身もまだまだ修正が必要だと思っています。

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