見出し画像

鳳虹庵日記 19


2011年12月29日

多すぎるかな・・・?

辛嶋氏に続き、これも知人からのインスピレーションなのですが、
辛嶋氏と同じく、九州からの氏族、多氏(おおし)を当たってみました。
これが、また怪しいのです。

多氏は、以前読んだ本に秦氏だと書いていました。
辛嶋氏とリンクします。
秦氏といわずとも、かなり深い関わりがあるそうです。

多氏で有名なのは、古事記を編纂した太安万侶です。
これは、太氏ですが、オオは、「 多・大・太・於保・意富・飯富・飫富等」いろいろと表示されているようです。
初めて知ったのですが、古事記偽書説というのがあるらしく、
日本書紀や続日本紀には、古事記編纂の記録がないそうです。

古事記と日本書紀は、同じ位の時代に作られたとなっていますが、
日本書紀に比べ、古事記のほうが話が纏まっているような印象があり、
先に古事記があるのに、なんで日本書紀はいろいろな話があるのか・・・とか、
神様の名前が違っているのか・・・とか、
表記の仕方が違っているのか等の疑問がありました。
ので、
ひょっとすると、偽書とは言いませんが、
古事記の成立された時期は、もう少し後なのかも・・・
という想像をしてしまいました。


奈良の三輪山の西8kmの辺りに多氏ゆかりの多神社があります。
確かこの辺りは、秦氏の地で、秦楽寺があったと思います。
元伊勢の最初の地、 笠縫邑の候補地の一つでもあります。
そんなわけで、やはり多氏と秦氏はなんらかの繋がりがあるように思います。

秦氏というのは、その語源について、

1.朝鮮語の海を意味するpata
2.朝鮮古語の「大・多・巨・衆」を意味するhata
の2つがあると言われているようです。

しかし、この多氏ですが、そのルーツは、
神武天皇の皇子、神八井耳命ということになっています。
多氏とは、皇族を祖先にもつ皇別氏族なのです。
この神八井耳命、かなり怪しいです。
だいたい、架空の存在だとされている神武天皇の子ですから、
これも架空の可能性があります。

その子に武宇都彦というのがいます。
宇都(ウツ)は、宇豆(ウヅ)でもあると思います。
渦や太秦のウズのも通じると思います。
辛嶋氏の系譜の中にも宇豆彦という名が見えます。
ウズと秦氏は関係あるのではないでしょうか・・・

また、その宇都彦の何代か後に
武磐龍(たけいわたつ)という人がいます。
この人は、阿蘇大明神として阿蘇神社の祭神となります。
妻は、阿蘇津姫です。
この家系から、阿蘇神社を祀る阿蘇氏が生まれていきます。
武磐龍は、山代国(京都)宇治の出身だという伝承もあるそうで、
その家系には、宇治部という姓が与えられているようです。

一般的には、宇治部を統括したのは「宇治連」といい、ニギハヤヒの6世孫伊香我色雄の裔である物部氏だとされているそうですが、以前から気になっている伊香(イカ)との繋がりも見えてきそうです。

武磐龍と同一人物だとされる武五百建は、科野国造に任命され会津姫を妻としています。
その子、健稲背の家系は、諏訪大社下社の大祝家である金刺氏へと続いていきます。
その系図には、建甕富や建守矢なんて名が連なっているのが気になるところです。

気付いたかもしれませんが、これらの名は武/建(タケ)なのです。
諏訪神の建御名方命や鹿島神の武甕槌神と同じタケなのです。

鹿島神宮の原点は多氏の氏神であったという説が濃厚だそうで、
現在茨城県潮来町大生にある「大生(おお)神社」が鹿島神宮の元宮だとされているそうです。

また水戸市にある大井神社には祭神として「建借馬命(たけかしまのみこと)」が祀られており、建借馬命の墓も近くに比定地があるようです。


多氏からは、東日本の国造家が多く生まれたようで、
神八井耳命の八世孫、伊都許利命(いつこりのみこと)も印波国造となっています。
伊都許利命が祀った麻賀多神社は、日月神示のおろされたことでも有名です。
ここの御祭神は、豊受大神の親神である稚産霊命(わかみむすびのみこと)で 五穀・養蚕の神として信仰されています。

また、奥宮には、稚日霊命(わかひるめのみこと)が祀られています。
ワカヒルメは、天照大御神の 幼名であるとか、妹神であるとか、
また、 水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名ともされています。
ワカヒルメは、高天原で神衣を織っていたところ、スサノオの狼藉で機から落ちて死んでいます。
ワカミムスビもワカヒルメも機(はた)に関係した神というわけです。

また一つ、何かピースが埋まったような気がします。
とりあえず記録しておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?