見出し画像

巡禮セレクション 43

2013年06月10日(月)

猿田の比咩神

先日、友達夫婦が遊びにきて、
石山寺と比良とぴあという温泉に行ってきました。

石山寺は、奈良東大寺の初代別当、良弁が開基です。

聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせました。
ところが、良弁の夢に吉野の蔵王権現が現われ、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に現われた時に必要なものだから使ってはいけない。
だから、近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」と言われ、

夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神に出会い、その地の巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し草庵を建てました。

石山寺の入場料を払う入り口すぐに、その比良明神の座っていた石が祀られていますが、どう見ても井戸でした。
観音の地の井戸の上に現れた比良明神は、もしかすると水の神かもしれません。
比良明神とは、この地域の地神であり、比良山の神様です。
山神は、水神でもあります。

この比良明神とは白髭明神とも呼ばれています。
白髭明神は、猿田彦命です。
近江湖西には、白髭神社がありますが、猿田彦信仰の聖地だったような気がします。

継体天皇の生まれた水尾神社は、白髭神社のある高島市にありますが、ここには猿田彦命の伝えた天成神道というのが残っていると伝えられています。

そして、猿田彦が申田彦なら、申は呻くという意味で、田で呻いているといえばカエルかな・・・と思います。
カエルは水の精であり、猿田彦神の神使です。

猿田彦神は、全国的に広がっている神様ですが、近江湖西においては水神として信仰されていたのかもしれません。

水神はおうおうにして、姫神ですが、老人の姿をしている比良明神や白髭明神も、本当は女神なのかもしれませんね。

米原の神明神社には、猿田彦姫の墓があると伝えられています。

太陽は、山や海から現れるので、山や海は太陽を生み出す神だと考えられていたのかもしれません。

日吉大社では、元旦に日吉の翁という能を演じられますが、この翁は大山咋神だとされています。
でも、日吉が、比良なら猿田彦神のことかもしれません。
日吉東本宮には、猿田彦神を祀る悪王子社があります。

また、白髭は、新羅がなまったものだという説もあります。湖西は土地柄、渡来人が多かったので、これも信憑性があります。

白髭とは、老人の象徴ですが、
背折というのも老婆の象徴に思います。
なので、白髭明神と同じように背折明神(瀬織津姫)もあるのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?