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巡禮セレクション 18


2014年04月11日(金)

龍神


現在、一般的に龍神と蛇神は、同一と考えられ龍蛇神として一括りで信仰されています。

しかし、元は、龍と蛇への信仰は別ものでした。
十二支においても、はっきり辰と巳は分かれていますし、辰は陽であり、巳は陰と反対の性質を持ちます。

以前、アメブロで親交を持たせていただいた、能力者であり大阪のある神社の女性宮司を勤めておられる方も、龍と蛇は別物です。と言っておられ、何が違うのですか?と問うと、うまく説明はできないのですが、蛇は這い、龍は昇竜というように立ち昇るというような事を言っておられました。

確かに、龍は空を飛ぶものと考えられていますが、蛇が空を飛ぶなんて話は聞いたことがありません。
やはり蛇は地を這うものであり横であり、龍は辰というように立つものであり縦なのだと思います。
よって、蛇は水の気であり、現在水神と考えられる龍は本来、火の気なのだと思います。

西洋では、火の精霊は、サラマンダーという火蜥蜴でありドラゴンなのだと思います。
だから、ドラゴンは火を吐くのです。
因みに水の精霊はオンディーヌという大概は女性の姿をしています。


日本に龍が現れるのは、安田喜憲著「龍の文明太陽の文明」によりますと、
「日本において龍とみなされるものが出現してくるのは、弥生時代後期以後のことである。弥生時代後期の大阪府池上曾根遺跡、恩智遺跡、船橋遺跡、下池田遺跡、兵庫県玉津田中遺跡、奈良県唐古・鍵遺跡、岡山県天瀬遺跡など、主として近畿地方から岡山県の瀬戸内海沿岸にかけての遺跡から、龍とみなされる足のついた動物を描いた土器が出土している。」
ということです。

もしかすると古墳時代というか、渡来人が新しい龍の文化を持って日本を支配したからかもしれません。
それ以前、縄文時代や多分、出雲の時代は蛇神信仰だったのだと思います。

そもそも龍が中国で現れたのは、
「中国東北部の畑作・牧草地帯の森と草原のはざまで、森の猪や鹿そして森の中を流れる川に生息する魚そして草原に生息する馬をモデルにして誕生した猪龍や鹿龍が原型」でした。

今、考えられているように龍神は稲作などの水を司る神ではなく、遊牧・畑作の狩猟民の神であり、猪や鹿、馬をモデルにした神でした。

そして、
「七千年前には、そうした猪龍や鹿龍とは異なった現在の龍に近いものが遼寧省・査海遺跡で出現し、玉器とともに人々の間で信仰されていった。そして六千年前の紅山文化の時代にはこの龍と玉それに女神の信仰が、一つの宗教体系を形成するまでになっていたといえるだろう。」
とあるように、ナガモノになり六千年前の紅山文化で一つの信仰体系が形作られたようです。
この紅山文化は、気候変動により五千年前に衰退します。
北の龍神文化は、寒冷化により、その民族は南下を余儀なくされます。

その頃、中国の南部、長江辺りには、稲作文化が栄えていました。彼らは、稲作の神として太陽信仰を持ち、太陽を運ぶと考えられていた鳥神、または稲作の神として蛇神を信仰していました。


「龍は北方に畑作地帯では最高の神の位を保持していた。ところが、この南方の稲作地帯の苗族の最高神は太陽を運ぶオンドリであり、続いて山の神のムカデである。龍はそれにつぐ水の神にすぎないのである。苗族の伝承では龍の立派な角はオンドリからのかりものにすぎない。また龍が病気になった時、オンドリが龍の鱗の中からムカデをつつきだして、龍を救ったという伝承もある。」


気候の寒冷化により、民族が移動し、土地を巡る争いが生じたのだと思います。
異民族の侵入や侵略に伴い、平和な南の民も、自衛団を組織し、強力なリーダーを必要とし、国家的な集団に変化を迫られていったのだと思います。

そして、支配や統合を繰り返し、より強力で強大な集団が生き残る時代になっていったと思います。
それに伴い、神や思想も変わっていったと思います。

龍とは、そんな神であり権力の象徴なのだと思います。
中国、宋代羅願撰の『爾雅翼・釈龍』には、「龍の角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、うなじは蛇、腹は蛤、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛」と様々な動物の集まった形になっていきます。
それは、様々な動物トーテムの混合であり、それぞれの民が統合支配されていき、その王としてのシンボルとなったのだと思います。
ゆえに、中国皇帝のシンボルは龍なのです。


日本へ稲作を広めた民は、太陽信仰、鳥信仰、蛇神信仰の民だったと考えられます。
彼らは、長江文明、おそらく苗族に属する民だと考えられているようです。

一方、龍神信仰を伝えた民は、朝鮮半島経由の渡来人だと考えられそうです。
彼らは、遊牧民の子孫だったのかもしれません。

想像力をたくましくすると、天孫族は太陽、鳥信仰の稲作民であったが、崇神天皇以降は、龍神信仰の渡来人なのかもしれません。
彼等が、馬を持ち込んだ可能性もあると思います。


そして、仏教により確固たる龍神が日本にも取り入られ、古代の蛇神と融合したのだと思います。

以上のように、龍と蛇は元々は別だというのが解るとおもいます。
さらに言うと、龍というのは、様々なトーテムの融合したシンボル的な生き物であり架空の生き物だと言う事です。

ただ、誤解してはいけないのは、龍神は存在しないのか・・・と問うなら、それは違うと思います。
超視覚者の見る、龍神と呼ばれる光の線のような神は存在すると思います。
おそらく、これは龍信仰以前は、蛇と呼ばれ、ナーガと呼ばれる線のエネルギーなのだと思います。
その代表的なものは、クンダリーニです。
クンダリーニは、エネルギーの蛇と考えられ、その信仰は古代の思想的中心になっていました。
これを信仰していた民はナーガ族です。

エジプトのファラオの頭の蛇、インドの蛇神ナーガ、これらはコブラをシンボル化しています。
しかし、中国ではコブラが生息していないため、このナーガを龍にあてはめたようです。

しかし、中国には、伏羲と女媧の蛇神がいます。
日本の出雲神も蛇神でした。
龍神以前の蛇神信仰は、日本でも古い信仰だと思います。

そして、太陽を運ぶ鳥信仰は、夕に太陽が死に朝に太陽が生まれる。
また、蛇は脱皮をすることから、再生のシンボルであり、両者は、生と死を意味する信仰なわけです。
これは、生と死の女神信仰にも繋がるのです。


追記

日本に龍信仰を齎したのは、古墳時代もしくは、弥生後期かと・・・考えましたが、龍の出土品は弥生中期です。
弥生中期とは、大体BC170年位~AD60年位のようです。
崇神朝は、3世紀辺りと僕は考えていますから、それ以前となります。

中国長江文明で太陽信仰と龍信仰が融合されたのは、遅くとも3000年前と考えられるようです。
とすると、日本の長江由来の龍は、既に太陽信仰と融合されたものになります。

不思議なのは、日本の初期の龍が岡山、兵庫、奈良、大阪といった大和王朝の地に集まっていることです。
この龍はどこから来たのでしょうか?
もし、長江由来ならば、南九州に形跡が残るはずです。

もしかすると、この龍はヒボコの通路に近いのかもしれません。そうするとこれは朝鮮半島由来ということになります。
この頃の、朝鮮半島の龍が単独龍であるのか、混合龍であるのかわかりませんが、単独龍であるなら、中国東北源の原初龍を信仰した民が南下せず、東行した可能性がありますね。
福井や滋賀に龍が出現すれば可能性は高まりますが、なかなか複雑です。

関西には、その龍以前に蛇信仰もあったはずですし、大阪の遺跡には弥生以前も含む複合遺跡もありますからなお複雑ですね。


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