昂元庵日記ランダム 11
2012年11月01日
玉を置き、そして新しいステージへ・・・
11月1日。
2012年も残すところあと2ヶ月。
3年の巡礼の終着地玉置神社で感じたことを少し記しておきます。
そして、1が三っつ並ぶ今日から2013年の5月迄の限定ブログとして、この日記をスタートしたいと思います。
少し前に愛読しているブログの著者が息子さんの言を書いておられました。
その子曰く、
「神様は、空の上にいるのではなく、どこにでもいる。だけど透明だから見えないんだよ。」
そう言っていたそうです。
僕はその子の言葉に肯けます。
勿論、特殊な能力の持ち主でない平凡な自分に神様の姿など見えません。
だけど、それは正しいと感じるのです。
おそらく密教では、それを大日如来と呼ぶでしょう。
秘教では、クリストと呼ぶかもしれません。
ジェダイはフォースと呼ぶのかな・・・
玉置神社では、そのことを考えていました。
霊山や聖地では、その神の濃度が濃いのだと思います。
それは、粒子か原子のような微細な存在だと思います。
勿論、高次元になるとその振動は軽く速くなり、物理的な制約から超えることでしょう。
そして、それらは何かの力によって結合し、神の質を決めていると思います。
多分、その結合が第三のロゴス、精霊の力だと思います。
少なくとも人間は、元である父と個である子の原子に精霊の結合力によって成り立っていると僕は考えます。
この昂元庵は、その元を昂ぶらす目的があります。
元とは、霊であり魂の元でもあります。
まだ、よく解りませんが、
聖地や霊山は、そんな神と呼ばれる元のエネルギーが満ちているのだと思います。
だから、修行者は、そのエネルギーを獲得し、
個から、元への結合を目指してきたのだと思います。
宗教のレリジョン(religion)は、ラテン語のレリガレからきています。
それは、再び繋がるという意味だそうです。
元から離れて地上に降りた個が、元にまた繋がる方法であるわけです。
そんなことを考えながら、神社の参道を歩きながら、
本殿でお参りしました。
その時にぼくの脳裏に浮かんできたのは、玉のように・・・或いは玉に体を絡ませ頭をこちらに向けた龍の姿でした。
玉置とは、龍体のことだったのかも・・・と思いました。
龍とは、さきほど述べた神のエネルギーが線状に連なった姿なのだと思います。
それは、ナガモノとも呼ばれたのかもしれません。
3年の巡礼ワークを終え、様々な学びの中から、
少し僕の意識も高められのかもしれません。
というか、高めていかないといけないと思っています。
自分にできることは、世界を変えることではなく、
自分を進化させ、自分の世界を構築していくことです。
元は一つ。
やがて進化した個が元に戻っていけると良いなと思っています。
この日記は、僕のように考えている読者がもしいるとすると、
僕の経験をとうして、何かのヒントになると良いかなと思って進めていきます。
反論異論があっても、それは、その人の世界のこと、
影響し合いながらも、
僕は自分の世界をここに綴っていきます。
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