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巡禮セレクション 32

2013年10月20日(日)

武内宿禰は倭宿禰の孫?

前回の日記から、▽▽▽さんのヒントを元にちょっと妄想逞しくしてみます。

竹内街道は日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた、日本最古の「官道」。
http://www.pref.osaka.jp/doroseibi/rekishikaidou/saikonokandou1400.html

武内宿禰の父は、屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと)で、
莵道彦(うじひこ/宇豆比古)の娘影媛(かげひめ)を妃とし武内宿禰を儲ける。

母方の爺ちゃんがウズヒコなら、倭宿禰と同一の可能性があります。
その娘(武内宿禰の母)が影姫というのは、
倭宿禰の別名が天御影主命というのと繋がります。
神武天皇(=10崇神天皇)を導いた倭宿禰の孫が武内宿禰で、12景行天皇に使え13成務天皇と誕生日が同じというのは、無理ではないと思います。

そうすると影姫は、紀伊国造家で日前神宮・國懸神宮の祭祀を受け継ぐ家系だというのも意味がありそうです。

祖神は、天道根命。
『先代旧事本紀』天神本紀によれば高天原から葦原中国へ降臨する事となった饒速日尊の護衛として付き従った32神の1柱で、同書国造本紀や紀伊国造家が伝える『国造次第』によれば神武天皇によって初代の紀伊国造に任じられた。

國懸神宮の相殿に祀られている明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)て何だろう・・・

國懸大神の御神体は、日矛鏡です。
近江巡礼では、三上山文化圏と天日盾がかなりダブっています。

倭宿禰=ウズヒコ=天御蔭主=天日槍=國懸大神
在り得るかな?
その孫が武内宿禰か。。。


話は別ですがちょっと気になる記事をアップしときます。
http://lunabura.exblog.jp/17549009/

長尾神社
『主祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおみかみ)。祭神は水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)。

水光姫命は『日本書紀』で神武天皇東征に際し吉野川上(奈良県川上村井光)に巡幸の際、井戸の中から現れた国神(くにつかみ)として記される井氷鹿で、水神・井戸の神である。
古事記や日本書紀によると、光って尾が生じていたと記されている。

新撰姓氏録では「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘・豊御富登であり、水光姫の名は神武天皇が授けられたもの」としている。

社伝では、水光姫命は応神天皇の治世に三角岩(葛城市竹内)に降臨し、子孫の加彌比加尼(かむひかね)に命じて長尾に祀らせたもので、姿は白蛇であって、今、神社の東北に藤をもって覆われている御陰井の藤の花がそれであるという。

二の鳥居の両脇には「なで蛙」が配されて、参拝者を見守っており、安産祈願の神としても名高い。

また水光姫命は古事記や日本書紀に体が光って尾が生じていたと記されており、神様の化身が白蛇であると言われるところから蛇の頭が大神神社で尾が長尾神社という伝承がある。

さらに長尾神社は西日本の長尾姓の発祥地とも表記がされているが、苗字帯刀の頃より吉川家が代々受け継いでおり、関係性は定かではない。

昔、大和に大きな蛇が住み、三輪山を七回り半に取り巻き、その尾は長尾一帯まで届いていた。ナガモノ(蛇)を祀りその最後尾であることからナガモノの尾、すなわち長尾(ナガオ)と名が与えられたという説がある。

このことから三輪明神(桜井市)が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われており、一緒詣りをすると利益(りやく)があるとされる。

また、竜が住んでいたとも言われ、竜王社(大和高田市)は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾にあたるとされている。長尾神社の手水舎を司るのが竜である。

また、竜王社が大蛇の胴体であり、大神神社-竜王社-長尾神社が大蛇の化身であるという説もある。
そのため、三輪明神と龍王宮の拝殿や本殿は西を、長尾神社の本殿は東で向き合っていると言われる。』

倭宿禰は、白蛇の娘を娶ったことになります。
尻尾が光っているのは、白い蛇の尾でしょか。
他にも意味があるかもしれません。
http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/kodaibuzoku.html
倭宿禰と豊水富命(=井比鹿、水光姫)の子が笠水彦です。
舞鶴市に笠水神社があります。
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/utemizujj.html


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