鳳虹庵日記 17
2011年12月23日
KARA
最近、韓国のセクシーなおねいさんが、グループで歌を歌っているのを目にします。
ドラマでも、韓流ファンが固定化してきているようですね。
僕は、その辺のことは、全くと言ってよいほど解かりません。
なので、全然別な話なのですが・・・
烏といえば、黒い鳥の代名詞で、
黒い装束の集団をカラスと言うこともあります。
以前読んだ本の中で、カラスは、「カラ衆」だと書いていました。
当時、このカラは、「唐」のことだと思っていましたが、
しかし、最近は「韓」のことだと思っています。
ようするに韓衆で、渡来人の意味になります。
ヤタガラスなんていうのもそうかもしれませんし、
朝鮮半島を経由した、もっと西の人達の子孫かもしれないなと思います。
そんな中、つい最近ある人から、
辛嶋氏(からしまし)のことを教えてもらいました。
辛嶋氏は、 素戔鳴命を祖神とし、その子五十猛命を奉祭する渡来人の氏族であり、
秦氏の一族でもあるそうです。
また、巫女を勤める一族だったようです。
辛嶋氏は、新羅から渡ってきて、
筑前に筑紫神社を建て五十猛命を祀りました。
その後、豊前に移り香春岳に香春神社(かわら)を建てました。
豊の国は、秦王国と呼ばれ、
香春は、銅の産地でした。
秦氏は、この地で採銅、鋳造、稲作に従事していたようです。
この地の銅の生産は、日本の生産量の半分を占め、
奈良の大仏の鋳造に大きな役割を果たし、
また、宇佐八幡宮の御神鏡を作っています。
香春三山は、三連山でもともとは、それぞれの岳に神様が鎮座されていました。
一ノ岳は、辛国息長大姫大目命といい、
新羅神、香春神、鹿春神とも言うようです。
また、一説には、新羅の王子 都怒我阿羅斯等が追ってきた 阿加流比売だということです。
息長大姫の名があるように息長氏にも関係あるようですが、
他の説には、神功皇后(息長帯比売)とも言われているようです。
神功皇后の母方の祖先は、 都怒我阿羅斯等と同一視される天日矛です。
天日矛は、鍛治神・天目一箇神と同一だと書いてあるサイトもありました。
香春の採銅所には、現人神社が鎮座しており、
祭神は、 都怒我阿羅斯等だそうです。
また、香春神社の神官は、赤染氏と鶴賀氏であり、
鶴賀は、 都怒我(つぬが)との関わりがありそうです。
ニノ岳は、忍骨命こと天照大御神の第一皇子・天忍穂耳命だそうです。
和銅2年(709年)新宮創建以後、新宮を本宮、本宮を元宮とし、新羅の太子神を天照神の御子神「天忍骨命」としたそうです。
三ノ岳は、豊比咩命で、
元々は、古宮八幡宮に祀られていたようで、
その古宮が香春神社の元宮だとされており、阿曽隈社と呼ばれていたようです。
豊比咩は、神武天皇の外祖母、住吉大神の御母。
すなわち、神武天皇の母、玉依比咩と神武天皇の叔母、豊玉姫の母である
海神ワタツミこと豊玉彦の后ということだそうです。
辛嶋氏は、シャーマンの家系で女神信仰を持っており、
この豊比咩を最も崇拝していたようですが、
豊比咩とは、豊の国の比咩神であり、
その神質は、水姫のような気がします。
後にこの三神は、一ノ岳麓に纏められたようです。
その後、辛嶋氏は、宇佐へ移り宇佐神宮創建に関わります。
当時、辛嶋氏は、宇佐神宮の祖宮と呼ばれる現在の大分県中津市にある 蔦神社(こも)の神官もしくは巫女をしていたようです。
薦神社の御神体は、三角池という池です。
辛嶋氏は、やはり水神信仰なのですね。
辛嶋氏は、辛嶋郷に住み、稲積神社を建てます。
八幡神は、最初、欽明天皇の御代に宇佐郡辛国宇豆高島に天降ったそうで、
その宇豆高島の地が、この神社のある稲積山だそうです。
秦氏と関係あるだけに、稲積は、稲荷を連想するし、
宇豆(うず)は、太秦(うずまさ)を想像します。
その後、八幡神は、
乙咩社、 酒井泉社、 瀬社、 鷹居社、 小山田社、 宇佐神宮へと移ったとされます。
原始八幡神を持ち込んだのは、辛嶋氏であり、
それは、比咩神のようです。
この辛嶋氏の女神信仰と宇佐氏の 磐座信仰が重なったのが宇佐神宮の原初の姿のようです。
後に大和朝廷より大神氏が入りこみ、
宇佐神宮は、大神氏と宇佐氏が祭祀を行い、辛嶋氏は消えていったようです。
余呉の塩津神社からの展開でしたが、
思わぬところから、凄い鍵が出てきました。
まだ、はっきりしないところはありますが、
ストーリーの要になることと予想しています。
また、これが余呉にも繋がっていくことと思われます。
塩津神社のある地は、大辛とよばれ、
その人は、辛嶋氏と関係あるんじゃないか・・・と想像していました。
やはり、四国旅で示された宇佐には、何か潜んでいましたよ。