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巡禮セレクション 37

2013年10月03日(木)

近江のアラハバキ?

最近、散策した栗東の伊勢遺跡。
そして石部の宿。
この街道は、伊勢への参拝道です。
ここからもう少し行くと、三雲を通り土山へ行きます。

土山宿(滋賀県甲賀町土山)から坂下宿(三重県亀山市坂下)を結ぶルートが、前に○○○さんに教えてもらった、阿須波道です。
いわゆる鈴鹿峠です。

阿須波道は、仁和2年(886年)に作られた官道です。
それ以前は、別の道を通って伊勢へ向っていました。

阿須波道の名の由来は、よくわかりませんが、足盤、足場の神・足下の神。足で踏んで立っているところを守る神とされていることからきているのかもしれません。
阿須波神については、○○○さんが詳しいことと存じます。


「座摩巫祭神五座」として、 「生井神(いくゐ)・福井神(さくゐ)・綱長井(つながゐ)神・波比砥(はひき)神・阿須波神」の五神があり、
生井(いきいきした井)・福井(栄える井)・綱長井(生命の長い井)の三神は井の神。
ハヒキは境界、アスハは基盤で、ともに屋敷神をさす。 これらを総合して、ヰカシリ(居処領)の神と言ったと延喜式神名帳には載っているようです。

坐摩神は、大きくわけで井の神と屋敷の神に分かれます。
井とは井戸だけではなく、水辺を意味しますね。

この屋敷神がアスワとハヒキであり、
おそらくアスラとハバキであろうと想像できます。
すなわちアラ・ハバキですね。


近江はもとより都に近い地域は、縄文の神のような先住の神は徹底して消されたといいます。
よってアラハバキのような神ははっきりと残っていません。
アラハバキの西の限界は豊川だと聞いています。


しかしながら、多分鈴鹿の神もおそらくアラハバキ神だったのだと思います。
そして土山や甲賀地域にこの信仰があったのではないか?と思います。

三雲は、水蜘蛛。
土山は、土蜘蛛の山。
こんな記録は残っていませんが、そんな感じがします。
土山には、大蟹の伝説が残っています。
この蟹は、大風を吹かして旅人を困らせていました。
やがて退治されて甲羅は八つに割れたそうですが、

蟹から手長足長を想像します。
八つは、手長の手足と足長の手足の八本でしょうね。

また、鈴鹿には鈴鹿御前の伝説も残っていますし、
山賊の住処であったようです。

甲賀や鈴鹿の制圧は、伊勢道を確保する目的であり、そこの資源であり土蜘蛛を滅亡させる政策だったのかもしれません。
そして彼らの信仰がアラハバキ神だった可能性を感じます。

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