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巡禮セレクション 4

2017年02月12日(日)

死者の国

昨日の記事で穢れの思想は7世紀に仏教思想を用い政治的目的で創作されたことを書きました。
その穢れとは、殺生と肉食のことでした。
その後、涅槃経、陀羅尼経、法華経などに基づいて死や血や酒や女色なども穢れたものだと付加されていったようです。

昨日書いたとおり、穢れ思想は政府の指導による政策であったため、仏教、神道など思想界宗教界もそれに追従して、穢れ思想をトレンドとして取り入れたものと推測できます。
それは、各派閥が時代の流れに取り残されないため、権力と結びつくため現代にも見られる自然な反応であったことだと思います。


ところで、僕は巡礼を始めるまで、神道にとって死は穢れであるため嫌うものだと信じていました。
しかし、その考えには矛盾があることを次第に気付き始めました。、死が穢れであるなら、どうして黄泉国から帰還したイザナギが穢れを祓った後から、天照大神が生まれたのか?
天照大神は日本の最高神ではないか。
それならば、日本国は穢れから生じたことになるのではないか?

もう一つは、古い神社は古墳を聖地として祀っている場合があります。
また、先祖を守護神として祀る場合があります。
それは死者を神として祀る信仰です。
死者が穢れであるなら聖地として祀り穢れを守護神とするのは矛盾すると思います。


さて、死者の国ですが、記紀には3種類の使者の国が記述されています。
黄泉国、根の国、常世国です。
大別するとイザナミが死んで住む国が黄泉国です。
黄泉という表記はここだけです。厳密に言うとイザナギが死んだイザナミを求めて訪れた国です。

そして、スサノオが統治する国が根の国。

少彦名命が死して旅立った国が常世国です。


これらは全て死者の国で、同じ意味合で使われています。
しかし、黄泉という言葉は、ウィキの黄泉の項によると
「黄泉の表記自体は漢語から移入されたものである。古代の中国人は、地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は五行説で「土」を表象しているので、もともとは地下を指したものであり、死後の世界という意味ではなかったが、後に死後の世界という意味が加わった。現代中国語でも死後の世界の意味で日常的に用いられている。」

中国由来の思想であることがわかります。
つまり、黄泉の話も7世紀頃の創作である可能性が高いと思います。
死者の国が地下であるのも、もしかすると西洋の地獄と同じものからの影響かもしれません。


また、根の国も同じくその名のとおり地下だと思います。
スサノオが根の国の支配者だというのは、天孫族の支配する以前の王であり、それは天孫族統治の世にあっては、既に死した王国であるという意味と、天孫族の統治が日本の支配の芽であり花を咲かせた時代であるなら、それ以前のスサノオの統治は根の部分だと比喩したのかもしれません。
そして外来のスサノオには黄泉と同じく死者の国は地下だと合致したのだと思います。


もう一つ少彦名命の旅だった常世国ですが、これは少し色合いが違ってきます。
ウィキの常世の項によると、
「折口信夫の論文『妣が国へ・常世へ』(1920年に発表)以降、特に「常世」と言った場合、海の彼方・または海中にあるとされる理想郷であり、マレビトの来訪によって富や知識、命や長寿や不老不死がもたらされる『異郷』であると定義されている。」

これは死者の国が地下ではなく海の彼方に想定されています。
少彦名命の話は出雲の話です。
もしかすると出雲では死者の国は海の彼方と考えていたのかもしれません。
さらに、死者は地獄のように暗い地の底に住むのではなく、常世の字の示すとおり永遠の支配する理想郷的な意味合いを持っているように思います。

つまり死は穢れではなく、生と死という二面の一面であり、変わりゆく現世と変わらない別次元。現代でいうところの高次元というか、魂の帰還する世界と考えていたのではないでしょうか。
だから、死は決して穢れではなく一つの現象だったのだと思います。

そして魂の故郷を海の彼方であると考えたのだと思います。
海(あま)は天(あま)でもあります。
水平線の上には空があるのみです。
彼らの世界観は陸が現世で海の彼方があの世だったのだと思います。
ゆえに、大祓では、海に繋がる川に穢れを流し、海の底で穢れを浄化するわけです。
この場合の海の底とは、水平線から下方向へ向いた海の彼方にあたるのだと思います。

それが、穢れ思想を創作していくなかで、死も穢れだと定義され、中国の黄泉の世界観で死者の住む国は地下に想してしまったということだと思います。

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