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平成に存在した女子寮の話♯1-はじめに

先日、私が大学時代の2年間を過ごした女子寮が3年前に閉鎖されたことを知った。何気なく検索をかけたら、最後の寮生だった子がTwitterで寮での最後の日々をつぶやいてくれていたのだ。私が卒業したときと何も変わってないように見えた。私が暮らしていた時で、昭和の化石のような寮だった。そうか、平成のうちに幕を閉じたのか。なんだか、感慨深いな。

もうあの寮はなくなってしまったし、20年も経ったら時効だろうということも含めて、ここで懐かしい想い出を語ってもバチは当たらないだろう。オブラートに包まずに、赤裸々に語ってみよう。でも、ちょっと怖いので大学名はK女子大学、寮の名前はH寮とする。ほとんど伏せられてないけれど。。。ここに書くことは、私の主観が入っているかもしれないが、100%事実であることは主張しておく。

私が20年前に暮らしていた寮は、20年前であっても「そんな寮が存在するのか?!」とびっくりされるようなトンデモ寮であった。トンデモポイントを箇条書きにするならば

・ 木造の「めぞん一刻」みたいなヴィジュアルの建物
・ すべて畳の部屋で、8畳4人部屋
・ 門限は22時
・ 朝は7時に起床⇒掃除⇒お佛参(月~土毎日)
・ 起床後と門限後に点呼代わりの寮監による巡寮
・ 消灯23時(一部を除く)
・ お風呂は17:00~21:50
・ 外泊は事前申請制(要保護者のハンコ)

こんなところだろうか。まだまだ、掘り下げればいくらでも出てくるが、これだけでもなかなかのインパクトだ。よく私たちは冗談のように「監獄寮」と言っていた。とはいえ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ように、今思えば楽しいこともたくさんあったし、友だちと24時間家族のように過ごせたこともいい経験だった。ただ、戻りたいかというと100%戻りたくない。

入寮前の手引きでは、簡単には寮のことが案内されていたが、やはり入ってみないとわからないことも多い。まず、女子大生が8畳のたたみの部屋に4人で暮らすなんて、とてもじゃないけど想像がつくわけないのだ。しかも、入ってみて知る事実「上回生との相部屋」。「やぶることが許されない門限」。夢のキャンパスライフはどこへやら。。入寮して数日で退寮を希望する1回生が続出するも、鉄の掟「前期いっぱい退寮できないうえに、1回生はGWまで外泊禁止」。4月中はホームシックにかかる1回生であふれかえっていた。そして、前期が終わるとここぞとばかりに1回生の半分が退寮し、後期は3人部屋になるのが常であった。

ちなみに、たしか当時の寮の定員が130名くらいで、

前期⇒1回生100名くらい 2回生20名くらい 3~4回生5人くらい???
後期⇒1回生50名くらい 2回生20名くらい 3~4回生5名くらい???

くらいに記憶している。なので、1回生だけの部屋はなく、必ず2回生以上と相部屋。3~4回生は寮の主というべきレアキャラであった。私は2回生までこの寮で過ごし、3回生は抽選があたって1人部屋の寮(ただし、部屋がひとりなだけでその他の条件はほぼ同じ)に引っ越し、4回生で晴れて寮を出た。1人部屋の寮とはいえ3回生まで寮にいたというと、かなりのレアキャラ扱いされた。この生活環境だと、今だと心を病む人もでそうだなと思いながら、逆にこういう環境だから鬱にもならないのかな。

というわけで、これから細々とこの寮での思い出や人間模様を語っていこうと思う。最後に、寮のビジュアルの例えが「めぞん一刻」ってわかる人間がどれくらいいるのだろうか。

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