走れ雪水米宗!(作品ハイライト)


0 プロローグ
 平成19年(2008年)

 新潟のとある小学校の昼休み。
「鉄道王に、ぼくはなる!」
 暖かな日の差し込む6年生の教室で、少年はそう吠えていた。
「今の日本で? そんなの無理だよ。第一、いまさらどこに線路敷くんだよ」
 仲間の冷ややかな声に、倉島少年はまだ熱していた。
「北海道の原野に敷く! 線路と一緒にマンションとショッピングモールを建設して街作りもして! そしてドーム球場とアイドル劇場を作る!」
「むちゃくちゃだ。ゲームのやり過ぎだよ」
熱を込めて言う倉島少年が持っていたのは学習漫画の鉄道王・小林一三(阪急)の伝記である。ほかにも五島慶太(東急)根津嘉一郎(東武)堤康次郎(西武)の本も鉄道ファン・鉄道ジャーナルといった鉄道趣味誌とともに机の上には積んである。
「はすぐ影響されるんだから。この前は発明家になるって言ってなかった?」
「それで理科準備室の油漬けになってた金属ナトリウム持ち出して職員室の前の池に投げ込んで」
「あの爆発でザッバーンって水柱が上がって池の鯉がすっかり打ち上げられて。それで理科準備室、出禁になってあきらめたんだよね」
「やれやれ、それが今度は鉄道王ですか」
 難しそうな図書館の本から目を上げるのは。
「またやらかして先生に怒られるよ。もう巻き込まれるのはヤだよ」
「ちがうよ!」
 親友のでさえいやがる。他のみんなも当然、冷ややかだ。
「小学生が夢見て何が悪いんだよ!」
 憮然とする倉島少年。
「そりゃそうだけどさ」
「ぼくは鉄道王になる! なるんだっていったらなるんだ!」

 そしてそののち、平成25年(2014年)倉島少年はJR東日本に高卒で就職した。
1 始まりの駅
 令和4年(2022年)
「え・き・い・ん、さん♡」
 練乳たっぷりのいちごのような繊細で甘ったるいささやき声に、窓口でマルスME4型端末(JRの切符や指定席券を発券する端末)のタッチパネルを前に船をこいでいた倉島が驚く。
「今日も絶好調に眠そうですね」
 こうして駅のみどりの窓口でそう女子高校生にからかわれたのは、それから8年後の倉島である。
 クスクスとはねるような明るい笑い声と共に、女子高校生たちは晴れた日の雨の幻のようにふわりと去って行った。
 後には乾いた薄暗いコンコースだけが残った。
「おまえ、何やってんの? このところやたら眠そうだぞ」
 その倉島を奥から駅助役の長谷川がとがめる。
「……はあ」
 ここは新発田駅の駅事務室。窓口の席に座る倉島はグレーの制服を着たスマートな駅員姿だが、眠たげな顔によだれの跡がくっきりたれている。
 列車はもういってしまってあとはひたすら静寂と障害者誘導用の電子音だけである。駅の外壁は新発田城に会わせた城壁のようなモノトーンの意匠になっているのだが、併設されたデイリーヤマザキのコンビニの外装の黄色と赤がそれと違和感を出して目立っている。自動改札機が6台並ぶ改札口は近隣の駅に比べて立派なもので、地域の中心駅らしい。その自動改札の奥が列車の発着する線路になっていて到着した列車が見えるのがクラシカルである。事実一時モダンな橋上駅舎にしようという計画もあったのだがそれは廃案になっていて、その代わり駅舎の外壁が新発田城にあわせたナマコ壁の意匠になったり駅前ロータリーが整理されたりしてそこそこ新しい感じに揃えられた。
 その新発田駅の駅員・倉島はいつもどこかズレていて周りから「若先生」と呼ばれ冷やかされている。「なにもしなきゃハンサムで良いのにね」とか「中身誰かと交代しろ」と言われていて、たしかにその通りの「残念なイケメン」なのだ。いつも眠そうだし、そのうえいつも独り言ブツブツ言っててキモイ、と散々な言われようである。
「はあ、じゃねえて。ほら口拭け。まったく。朝の特急『いなほ』が行ったらすっかりヒマなのはわかるけど、もうちょいちゃんとしないと」
 駅事務室の奥からそう叱るのはおなじ駅員制服の長谷川。顔は若いが倉島の父ほどの歳のベテラン駅助役である。
「あんまり細かいこと言いたくないけどさ」
 といいつつ細かいことを言う長谷川に倉島はへいへいと頭を下げた。
「でもなあ……コロナでこの新発田駅もそのうち無人化されちまうかもな」
 長谷川は寂しそうに言った。つい数日前、コロナ禍でのJR東日本の4000人人員合理化がメディアで報じられたのだ。
「支社もずいぶん整理されちまう。新潟支社はかろうじて残ったけど、名門だった秋田支社も仙台支社も東北本部に、首都圏なんかあんだけ支社あったのに全部首都圏本部にまとめられるからな」
「ぼくたちもいずれ鉄道部門を離れて駅ナカとかの仕事に配置転換ですかね。組合は反対してないんですよね」
 倉島が寝ぼけた声で言う。
「したって結果は同じだもの。だから御用組合って言われちゃうんだ。組合費返せって言いたくなるけど、相手がコロナってことだもんなあ。そういわれるとどうにもならん」
「マスクには慣れたけど、いつまでこれなんだかと思うと」
 二人は無言になった。
「鉄道員、最後までやりたかったなあ。鉄道王、なりたかったなあ」
 倉島は嘆く。こんな彼もまだあの幼い頃の夢を忘れた訳ではないのだ。
「眠そうに言うなよ。でもうちも中間決算ですごい赤字だ。その対策でAIだの合理化だので列車も人員もどんどん減らされる。この新発田だって昔はもっといっぱい駅員がいたんだけどな。立ち食いそば屋もあったし、駅弁も売ってたし、引き込み線にはここを目的地にしてる貨物列車もきてた。貨物専用線も3本あった。そのうえここから支線で鉱山に行く線があった。そして新潟も、もともと日本で一番人口が集中している地域だった。全部もう見る影もない。少子高齢化に過疎化で明るい話が全然ない」
 二人で思わず寂しげに風が舞う駅コンコースを見てしまう。
「なに無駄話してるの。交代するわよ」
 駅事務室の奥から出てきたのは女子駅員のである。手足が長くはっきりした顔立ちの彼女は、まるで新海誠のアニメ映画から出てきたような感じである。
「鳴海さん昼のお弁当また松花堂かよ。いいなあ。ぼくもたまにはそんなの食ってみたい」
「父が健康のためにコンビニ弁当はダメ、って。でも私もたまにはコンビニ弁当なるものを食べてみたいですけどね」
 鳴海はJRの制帽をJR柄のスカーフを編み込んだ三つ編みの上に被っている。どこで手に入れるのか解らないのだがこのかつての寝台列車の浴衣のようなJR柄スカーフ、倉島が覚えているだけで色違い柄違いで6種ほどあった気がする。
「え、鳴海さんコンビニに行くことあるの?」
「この前初めて行った」
「ええっ、大丈夫だった?」
「入って暖房効いてて暑くてコート預けようとしたら、あれ、お会計するカウンターだったのね。知らなかった。店員さんびっくりしてた」
「えええっ!!」
 長谷川と倉島は目が点になる。
「それで学生時代どうやって生活してたの?」
「普通の学生生活だけど」
「普通って……」
 そう言って鳴海が食後の手を拭こうとしている紙に倉島はさらにあきれる。
「鳴海さん、それ千円札!」
「あら、しつれい」
 鳴海はそう言うとそれを私物箱にしまった。
「お客さんから預かったお札は間違えないのに、なんで自分の千円札はティッシュ扱いなの?」
「なんででしょうね。それより交代」
「はいはい」
「鳴海さんの周囲だけ、回ってる経済が違うんだよなあ……なんでだろう」
「日本全国、目下円安大デフレ不況なのにね」
「なんでもここまで減る一方。これ、いったいどこまで減っちゃうのか」
 そのときだった。
「あ!」
 パスを自動改札機にタッチしていった精悍な顔つきの老人に、2人は驚いた。
「うちの会長だ。役員パスで通っていった」
 自動改札機のモニター装置にはそう表示されている。
「鉄道の神様……」
 技術端出身で数々の名車の設計プロジェクトを率いてきた彼、JR東日本会長・及川尚毅を『鉄道の神様』と呼ぶメディアは少なくない。最近ではJR東海中央リニアについて語っているのもウェブニュースの記事で見た。
「でもなんでこの新発田に?」
「さあ……」
 ちょうどそのとき、新潟行きの特急『いなほ』が到着し、そのグリーン車に彼は消えていった。
「『神様』の前には、おれたちなんて自動改札機以下だよなあ……。視線もまったくくれなかった」
「まあそういうもんだとは思うけど」
「だからAIに変えちまうだろうなあ。及川会長、技術畑出身だし」
「そうなのかな」
 長谷川と倉島があきらめ顔の中、鳴海だけがなぜか目を輝かせていた。

 そんなある日だった。
「ここに観光列車走らせましょう!」
 駅事務室の中で、長谷川はその突然の言葉にぽかんと口をあけている。
 というのもいつもの眠そうな残念ハンサムの倉島が、珍しく仁王立ちでそう熱を込め唾を飛ばして叫んでいるのだ。
「それで新発田と新潟、さらには東京や大阪を結んで人を呼ぶんです!」
 熱気を込めた倉島に、長谷川のあきれた口は黒く開いたままだ。
「この新発田に令和にふさわしい、新しい観光列車を走らせるんです!」
「おまえさん、なんか変なクスリとかキメたのか。警察沙汰はやめてくれよ」
 長谷川はあきれ声で言った。
「そんなんじゃないですよ!」
「だってそうだろ。どうやっても無理だぞ。わかってるはずじゃないか」
「わかってるけど、やれるはずです!」
 倉島の目が強く輝いている。
「いや、元気になるのはいいんだけども。まあ、無理だよな」
「ぼくは本気です!」
「あ、そうか。倉島、奥に体温計あるから熱はかってこい」
 長谷川は突然そういいだした。
「えっ」
「多分コロナで頭がおかしくなったんだ。俺もここまでがんばってマメな手洗いうがいで回避してたのにここで濃厚接触かよ。やべえ、この駅の配置交代確保しないと」
「本気ですよぼく!」
「わかった。わかったから熱測って、すぐに発熱外来行け」
「長谷川さん、できるはずです!」
「それがなあ」
「だって、88年にはオリエントエクスプレスを日本中で走らせたじゃないですか。それよりはずっと簡単なはずです!」
 たしかに昭和62年(1988年)、JRグループは大陸をパリからシベリア鉄道経由で横断してきたオリエント急行列車を船で航送して日本に運び込み、各車両を日本仕様の台車に履き替えさせ、日本の機関車で牽引して日本を一周させた。そのために線路を敷き直したほどの大事業だった。当時昭和天皇の崩御寸前だった為か、いまいち大きな熱狂というものにはならなかったが、まちがいなく日本鉄道史に特筆すべきプロジェクトだった。
「今年(2022年)は日本の鉄道150年! いまこそJRの本気を振り絞って、跳梁する高速夜行バスに逆襲するときです!」
「そりゃみんなそれ思うんだけど、どうやっても無理だよ。残念だけど。やめとけ」
 そのときだった。
「何楽しそうに話してんの? 新発田駅はいつも3人で和気藹々、賑やかでいいね。聞いてたけどさ」
 その声は、背広姿のJR東日本新潟支社営業部次長・富樫だった。なぜか彼は支社管内の駅をウロウロしていることが多い。本社から来た支社のエリートらしく、じっと新潟駅隣の支社のオフィスにいればいいのに、と駅員たちに思われていたりする。
「次長さん、できますよね!」
「まあ無理だ。常識でものを言おうぜ。非常識すぎる」
「鉄道員が夢見て何が悪いんですか!」
「そりゃそうだけどさ、夢は夢だ」
 富樫はなだめる。
「夢は、かなわないんですか」
「無理な夢はな」
 だがそのときだった。

「夢も見ないのに幸せになれるはず、無いと思います!!」

 突然鳴海が大きく鮮やかな声で割って入ってきた。
「え、鳴海さんここまでどこにいたの?」
「息を潜めてた」
 目を横にしてなぜかドヤ顔の鳴海にみんな仰天する。
「なんで!? ぜんぜんイミわからん!!」
「私、先祖が忍者だったと思う」
「んなわけあるかー!!」
「あるいは潜水艦」
「意味なく艦これに例えない!!」
「すっかり話が無駄にややこしくなったぞ……」
 だがそのとき、倉島が鳴海と長谷川と富樫にメモを見せた。
 三人はその中身に目を見開いた。
「これでも無理でしょうか」
 倉島はそう立ち尽くす三人をのぞき込む。
「うーん」
 二人はうなった。
「鳴海さん?」
「すごく良いと思う!!」
 富樫も続けた。
「……支社に来るか?」
 倉島はうなずいた。
「もちろん、是非!!」

 それが、この新発田駅と新潟支社、さらにはJR東日本を渦中に放り込む騒動の幕開けだったのだが、まだ3人はそれに気づいていないのだった。

2 支社の検討

 JR東日本新潟支社は新潟駅から400メートルの新支社ビルにある。新支社ビルというがあまり新しい感じはしない。隣にはJR労働組合のビルとJR新潟信号通信技術センターが並ぶ。建物の裏に駅への線路が走っているが、新潟駅の連続立体交差化事業が6月に完了してもうその線路に列車が来ることはなくなり剥がされるのを待つだけである。それに近い万代口駅舎も改札が移転し、駅舎も取り壊されていまは仮囲いで囲まれた土むき出しの空き地になっている。跡地は新潟市との共同プロジェクトでどう活用するか決まるらしい。かつての新潟駅は地上にあってどこか独特の土臭い感じがあったが、これからはそれと離れたモダンなガラスとコンクリートの駅になる。新潟も着実に未来へ向けて変わっていく。
 そのあまり新しくない支社ビルに富樫が先になって倉島と鳴海をつれていく。駅勤務ではめったに来ない支社のビルを倉島も鳴海もキョロキョロと観察しているが、富樫はそれにかまわずエレベーターに向かう。エレベーターも古いもので、中に入ると床がすり減っていて、なおかつ目的階に着くとすっと停まったあとよいしょ、というかのように少しガクンと動いてからようやくドアが開く年代物の代物だった。
「ここで待ってて」
 入り口に内線電話が置かれたテーブルに小さくソファを向かい合わせに置いた応接スペースがある。そこで倉島は待つことになった。程なくして富樫がまたきて、オフィスの中の小さな会議室に通された。途中に並ぶ机で仕事をしている営業課の人々は、倉島に気にもとめないまま続けている。
「あのメモ見せて」
 そこに待っていたのは支社の営業課と車両課が各一名ずつ。あまり顔なじみではないがまったく知らないというほどでもない顔ぶれだった。
「うーん」
 富樫を会わせて支社の3人はうなった。
「思わず小さな野望をかきたてられるよな」
 富樫が冗談めかせて言う。
「そりゃそうですけど」
「なんか、うちの昔を思い出しますね」
 支社の2人もそう言う。
「かといって、無理なもんは無理ですけどね」
 車両課が息を吐きながら言う。
「なぜです! なんでいきなりダメだって決めてかかるんですか!」
 鳴海がかみつく。ほんとこういうときの鳴海は元気で声が大きい。まるで新海誠のアニメ映画にでてくる大袈裟なヒロインみたいだ。
「まず新潟は観光列車、ほかにいくつもありますからね」
「うちの支社だけでもありますから。『海里』『越乃Shu*kura』『SLばんえつ物語』『おいこっと』。お隣のトキ鉄(えちごトキめき鉄道)には『雪月花』や今話題の『観光型急行』もある。激戦区と言っても過言ではないです」
 二人は口々に懸念を言う。
「でも寝台をそなえた列車はないですよね。同時に自転車持ち込み可能なものも」
 倉島がそういうが、その言葉の終わらないうちに2人が更にいう。
「自転車の車内持ち込みなら千葉に専用の『B.B.BASE』があるし、持ち込みサービスを実施している地方鉄道は秩父鉄道、上毛、上信、関東鉄道、福島交通がある」
「秋田内陸鉄線や由利高原さん、津軽鉄道、弘南鉄道と東北だけでも多い」
「今サイクルツーリズム流行ってますからね」
 倉島はそう受け、応える。
「でも、寝台はないですよね。今定期運行してるのは『サンライズ出雲・サンライズ瀬戸』だけ。あとは不定期の夜行『ウエストエクスプレス銀河』と豪華周遊寝台『トランスイート四季島』、西日本の『トワイライトエクスプレス瑞風』、九州の『ななつ星in九州』だけ」
「そうだけど、どれも寝台サービスは儲からない。定期の『サンライズ』はぎりぎりだし、『ウエストエクスプレス銀河』は不定期でやってる。豪華周遊寝台は1泊料金20万から50万取ってやっとだ。
「『ななつ星in九州』は先頃リニューアルして更に客単価を上げてますからね」
「だから狙い目だと思うんです」
 倉島は諦めない。
「誰しもそう思うよ。鉄道ファンのほとんどはそう思うだろう。だけど無理なもんは無理だ」
「なぜです?」
「第一、そもそも夜行に専用の寝台車両が本当に必要なのか。うちもすでに『海里』を夜行で運転したことがあった。夜行列車やりたいならそれでいいんじゃないか」
「ほかのあちこちで夜行列車のイベントをやってる。大井川鐵道や秩父鉄道も」
「専用車両を作るということは運用や検修も費用と手間がドバッとかかる。下手すればウチの支社だけでは手に負えないことになりかねない」
 次々と倉島に懸念の言葉が浴びせられる。
「しかもその全てが救世主と言えるほどの成果はまだ上げていないんだ。たしかに悪くはない。でもすごく良いわけではない。とくにコロナのせいでどれも当初の期待の成果はまだ上げてない。コロナも本当にこのまま明けてくれるかもわからない。また第9波、第10波が来るかもしれない。コロナよりもっと恐ろしい感染症が流行ってしまうかもしれない。それでどの鉄道会社も大胆な策が打てないでいる」
 冨樫もそういう。
「国がGo Toキャンペーンをはじめるとは言え、それにあわせすぎるのはリスクが大きすぎる。特に新規で車を作ってダメだったら、その損失は支社レベルでは堪えられないかも」
「新車作るとしても、ディーゼル車はもう新規に作れないし、ハイブリッド車はローカル線用でも建造費1両1.5億。電車も直流車で1億近いし、交直流にしたら1.5億近くなる。客車なら安く済むが走らせるには機関車が必要でその運転には機関士資格をもつ運転士がいる。ウチの支社でもそれをもってるのはもう少ない。みんな定年で去って行った。そんなこと知ってるだろうに。観光列車は特にそれに携わる人の質にも影響される。どこもそれで苦しんでる」
 残る二人も続けた。
「ええ」
 倉島はうなずいた。
「全て承知してます」
「でもなあ……」
 ここまでさんざん懸念を言った3人が、ふーっと息を吐いた。
「そのメモ、ほんとなんだよなあ」
 富樫がつぶやいた。
「今更嘘ついても仕方ないですよ」
 倉島はにやりと笑う。
「嘘みたいだけども」
「ええ。私も驚きました」
「こんなことって、あるんですね」
「ありますね」
「あるんだから、仕方ないですよね」
 鳴海も含めて5人は腕組みした。
「じゃ、やってみるか」
「そうですね」
「こういう野心持ったの、ほんと何年ぶりだろうなあ……」
 支社の2人はそう腕組みしてかすかに笑い出した。
「私も。JRに入る前はいろいろありましたけど、いつのまにか忘れてました」
「昔は良かったって言いたくないけど、JR発足の頃は各工場で企画立てて、デザインしていろんな『ジョイフルトレイン』作ったもんな。鉄道版観光バスみたいな。あのころは国鉄から引き継いだ余剰車両が多かったからいろんなことできたんだと思うけど、楽しかっただろうなあ。運用も運転も各地方で柔軟に企画できた。あのころはそれをさせる経営だったし、それに応えようとみんなそれぞれ頑張ってた。いつの間にかほぼできなくなったけど」
「でも、できるよなこれ」
「できそうですね」
 冨樫以下支社の3人は頷いた。
「列車の名前、どうします?」
 倉島はそう聞いた。
「まあまだ『仮称』でいいよ。あとでエラい先生にお伺い立てよう」
「で、何からやります?」
 3人はさっきまでと全く表情が変わっていた。さっきまでの死んだ魚の目のサラリーマン顔から、悪巧みをする少年のように笑って目が輝いている。そして鳴海がそれを見て、やたらうれしそうにしている。
「そりゃやるっていったら、あれだろ?」
 富樫が笑った。
「まず、下準備からだ。手分けして下準備しよう」
3 新発田にて

「他部署のことだからあんまり知らなかったんだけど」
 また新発田駅に顔をだした富樫がぼやいた。倉島は駅改札口でSuica端末のうえの指でととん、とんとリズムを取っていた。隣のみどりの窓口のマルス端末には鳴海がいる。今日も倉島と鳴海のコンビで新発田駅に配置されているのだ。
「どうしたの鳴海くん」
「いや、鳴海さん、また変なマルス発券頼んでくる例の男に絡まれて」
「え、そんなのいるの?」
 富樫が驚く。

「いるんですよ。ヒドくマニアックな扱いの切符。連続乗車券で経由線区が複雑で機械で切符に書き切れないからボールペンで追記しなきゃいけないのとか」
「あー、あれか」
「彼、鳴海さんが困るとこを見たかったんだろうけど」
「私、マルスマニアなので」
 鳴海はちょっとドヤ顔になる。
「鳴海さんものすごい速さでミス無く発券。その上でその人伊豆の特急『サフィール踊り子』のプレミアムグリーン席も頼んでたから」
「申込み書のこの席、山側の席なのでずっと崖しか見えませんよ。海側の席あいてるのでそれに変えますか?」
「って秒殺」
「へええ。うちの支社でもそういう練度高い駅員は最近減ってるなと思ってたけど」
「マルス研究、楽しいので」
 鳴海はそうまたドヤ顔である。
「鳴海さん相変わらずつよつよだね」
「恐れ入ります」
 鳴海はそう言いつつ嬉しそうだ。
「それはそうと、観光列車って予想以上に『人次第』だってのがよくわかったよ」
「どういうことです?」
 倉島が聞く。
「『トランスイート四季島』のとき、一番大変だったのはそういうツアープランを組むためのガイドの人集めが大変だったらしい。なにしろ相手はただの観光客じゃない。海外観光にも舌の肥えまくった富裕層だ。とてもただの観光ガイドじゃ満足させられない。そんなんじゃ退屈で眠っちゃう。そこで本物の碩学の学芸員を確保して直接説明させるぐらいでないといけなかったらしい」
「そんなすごい人、地域にいるんですか」
「それを彼らは何年もかけて必死に探したのさ。世の中にはそういう人が埋もれてるもんらしい。俺たちはつい車両と駅とか鉄道施設を見ちゃうけど、そのためには地域の人々とつながってないと」
「地に足の着かない列車になってどんな豪華列車もただの空気輸送になっちゃいますね……」
「さらに地域の人々がまとまって歓迎してくれないといけない」
「そんなの、めちゃ難易度高いじゃないですか」
 倉島が声を上げる。
「それ言いだしたのおまえさんだよ? 地域がもう行き詰まって観光に生きるしかないと決めて、観光客が来ることになると、そんなときに『昔は静かで良かった』っていう連中がでてくる。黙って静かに滅びるのはいやだからそうしたって事なのに。そういう地域の不一致、観光客に一番ばれるからなあ。それであえなく台無しって例も。日本全国、それですでに死屍累々だ」
「地方創生の影ですね……」
「地方創生も中央は地方切り捨ての口実に使ってるし。選択と集中ってことは非選択と切り捨てだもんなあ。その対象に選ばれてても『今別に困ってない』っていう連中もどっさり。そんな中で『困ってからじゃ遅いんです!』ていっても冷淡に見られて浮くだけ。でも困ったときには時すでに遅し。少子高齢化だから仕方が無い。コロナだから仕方が無い、円安だから仕方が無い。その仕方が無いいいわけを続けていくその先は地獄だ。上下水道やゴミ収集すら維持できなくて、その負担増が非常識な額になり、もうその土地を捨てるしかなくなる。あとに残るのは廃墟だらけのすさんだ土地。これ今の日本の話だよ? ウクライナじゃなくて。でも現実そうなのに、まだ毎日テレビ見て年金もらってそうなる前に自分の寿命が尽きるから平気平気、みたいなことにしてる」
「この新発田も?」
「俺はこの新発田も、阿賀北も信じてる。いろんなことがあっても未来を信じ、耐えて超えていく風土、マインドがあると信じてる。おまえさんは?」
「ぼくは新発田生まれですからね。途中ちょっとだけ神奈川に引っ越したことがありますけど。だから信じていきたいです。でも……」
「でも、か」
 富樫は息を吐いた。
「日本中どこもそうさ。狭い地域につまんないしがらみ、いざこざがびっしりはりめぐらされて身動きが取れない。そうしているうちに、このままどっかの国に乗っ取られそうな気すらしてくるよ。ただ、大昔、その運命を変えるため、恨まれても良いからと決断したのも新発田だろ?」
「え、なんのことですか?」
 倉島はこういうときにいちいちボケて眠そうにしている。いかにも残念駅員である。
「なんだ、新発田生まれなのに知らないのか……しょうがねえなあ。なんで千葉生まれの俺が新発田のこと教えるハメに」
 富樫はぼやいた。
「でも鳴海君がいて良かったよ。オジサン職員はみんなやる気は無いわ、決めてかかるわでどうにもなりそうになかったけど、鳴海君、けっこううちの女子連中に支持率高いんだね。みんなで盛り上げよう、って前向きになって、なんとか動きそうだ。男女機会均等っていいもんだね。今うちも女子駅員に女性車掌、女性運転士が増えてきてる。今年女子主席助役もうちにできるって?」
「来年ですね。梅沢さん。もうすこし運転士やってたいっていうのを女子たちがお願いしてやっと主席助役に。確かに機関士資格も取ってお召し列車の運転もできるんだからもったいないってのはわかるけど、いまだに助役がみんな男ってのも何かと都合が悪いですよ」
 鳴海がそう口を尖らせる。
「鉄道稼業は男社会だって言われてるけど、もう令和だもんな。いい加減変わんないとな」
「いまだに本社の重役は男だらけですよね」
「でも副社長候補に女性がいるよ。その実大変らしいけど」
「そうなんですか」
「パワハラセクハラを跳ね返しての副社長候補。人類はその能力の半分を無駄にしている、ってホントだろうな。うちの会社はまだまだ前近代だよ。リニアだってもうすぐ走る時代なのに。ところでおまえさん、もし支社でプロジェクトチーム作るとしたら、そこに入るよな?」
「もちろんですよ」
「鳴海君も?」
「そのつもりですが」
「でもそうなると駅の勤務から離れることになるぞ」
「えっ」「えっ」
 倉島と鳴海のふたりとも驚いている。
「この期に首並べて『えっ』じゃねえよ。仕事だろ? 今度の人事で支社のプロジェクトチームに入ることになる。駅員と兼務はできないからな。まさかおまえさんたち、駅員と観光列車の仕事、掛け持ちでできるとでも? 2人とも、そこまで仕事舐めてんの?」
「そうでした」「そうですよね」
 富樫は息をわざとフーッと吐いた。
「……マジで呆れてる」
「すみません」「失礼しました……」
 2人とも頭を下げる。
「給料はあまり良くならないけど仕事は増える。オジサン方はそんなのがいやでプロジェクト嫌ってるんだろうな。働いた分だけもらうって事がなんでこんなに難しいのか。そのせいで仕事程々に趣味にハマるやつがすごく増えた。趣味を悪いとは言わない。でもずーっと程々の仕事しか与えられない経営者もどうかしてる。趣味よりも熱中できる仕事ってのもあるはずなのになあ」
「趣味、よりもですか」
 倉島は考え込んだ。
「倉島、おまえさんの趣味は?」
「特に言えるものはないですよ。スマホゲームやったり」
「ゲームか。それも頑張れば立派なeスポーツになるけど」
「そこまでではないですよ。せいぜいケータイで好きな人の生配信だらだら聞いたり」
「生配信? あのVTuberってやつの?」
「ええ。でもすごい有名人だとつまんないんです。せっかく見ても人が多くて相手してくれないから。ほどほどに話のうまい人の話聞いて、時々コメントしながら寝るのがいいんです」
「だからおまえさんこのところ寝不足なのか」
「ちがいますよ」
 倉島は否定で口をとがらせていても少し狼狽しているのが隠せない。おそらく図星なのだろう。
「でもシンポジウムは開催するんですよね」
「ああ。ホテルオークラ新潟の部屋も押さえた。デザイナーの先生のスケジュールも」
「いよいよ、はじまりますね」
「おまえさん、本当にそう思う?」
 冨樫の声は少し嫌そうな声だ。
「どういう意味ですか」
「観光列車は路線でも車両でもなく、人だぜ? それに値する人が、ここにいると思うか?」
 倉島は黙った。
「つまんねえことでどんどんこの会社も地域も国もバラバラになり、互いに足を引っ張り合い、しまいにはやぶ蛇がいやだからってやるべき事までやらない。最近のうちの会社は特にそれがヒドい。もう役所じゃないって言っていたのに、今では役所以下のところがある」
「うーん」
 倉島は考え込んだ。
「でも、いいんじゃないんですか。それはそれで。そういうときこそこのメモの威力発揮ですよ」
「むやみに使うなよ。だいたいそのメモ、俺は真に受けたけど、効かない奴もこれから出てくるぞ」
「その時はその時ですよ」
 倉島は覚悟を決めているようだ。
「で、そのシンポジウムに呼ぶゲストのリストは?」
「鳴海さん?」
「まとめときました。これ」
 鳴海がプリントアウトを見せ、富樫が目を通す。
「県副知事、国交省新潟運輸局、新潟県観光協会、そして阿賀北観光協会か。観光列車走らせるなら適材適所目指さないとな。相手は豪華クルーズ客船慣れして観光に舌が肥えまくった富裕層だったりするからな。普通の観光ガイド程度の知識では底見すかされて寝ちゃうよ。いい人みつけないと」
「じゃあどんな人が良いんですか」
「俺もサッパリ見当も付かん。まあテレビ『ブラタモリ』でタモリさんをうならせるクラスの地誌の第一人者だろうなあ。思い当たる人、いる?」
 倉島はさらに考え込んだ。
「ぼくの文化圏にそんな奴いたかなあ。みんなヒマだとフリスクなめながらケータイゲームのガチャやってるし」
「前途多難だなあ。文化圏が違いすぎるよ。そんなのでおまえさん、よく観光列車なんか走らせようと思ったな。どういうきっかけなんだ?」
「いやー」
 倉島は目をそらして口ごもる。
「今更隠すなよ。このことで俺たちはもう一蓮托生だ。つまんねえ隠しごとしてる場合じゃないんだ」
「でもなあ」
「倉島くん、趣味はVtuberといいつつ、まさかその中で私に言えないようなことを?」
 鳴海が声を上げる。
「え、まあ、そりゃぼくだって男だから」
「男が多少スケベなぐらいで私はどうとも思いません。仕方ないことですから。さすがに真っ昼間から交尾してる動画見てるような男は成敗するけど」
「ひいい、交尾って。鳴海さん!」
「この21世紀に未だに斯様な直截なものでイタしてるって、文化度が低くてまことに残念なことですわ」
「そんなんじゃないよ!」
 倉島は慌てている。
「え、交尾じゃないの?」
「ヒドいっ!」
 倉島はそれで意を決した。
「違いますよ。ケータイアプリの雑談配信で追っかけてる人がいるんです。女性みたいだけど」
「わかんないのか」
「アバター使ってるからわかんないです」
「そういうもんなのか。なるほど」
 冨樫は合点している。
「交尾じゃないの?」
「鳴海さん交尾交尾言わないでください。だいたい深夜なんですよね、その人が配信始めるの。なんか作業配信だって言うから、なにか仕事してるのかも」
「夜勤かな?」
「わかんないですよ。ただ、話が鉄道の話とかもしてくれて。だいたい女性が鉄道の話をすると変な男が絡んで荒れたりするんですけど、その人のいなし方がすごく上手くて。ほんとに頭のいい人だな、と思って」
「おまえさんでもわかるぐらいなのか」
 冨樫が言う。
「駅員が頭のいい人好きになって何が悪いんですか」
「そうですよ。でも倉島くん、案外文化度高いことしてたのね」
 鳴海もそういうので、倉島は流石に怒った。
「ぼくをいったいなんだと思ってたんですか! それで、夜食の話になって。寝台列車の夜に食べる駅弁っておいしいですよね、って話になって」
「そりゃ駅弁は普通に旨いだろう」
「でも夜にそれを食べる背徳感と、あと冬の寝台列車って暖房がきいてて空気が乾いてて。そこでお茶と共に食べるんですよ。流れる風景を見ながら。列車の揺れとガタンゴトンって言う音のリズムがまた良い気持ちで。時々機関車の汽笛が鳴って。冬の夜行列車の窓の外は」
「水墨画の世界か」
 冨樫も想像を広げているようだ。
「ええ。雪の純白と木々の梢や岩肌の墨黒がコントラスト鮮やかに見えて。朝になると急峻な峠のなか、ぱっと砂防ダムと渓流の景色が広がるんです。でも夜は真っ暗ななか、カーブでかろうじて前を照らす機関車のヘッドライトが見えるだけ。でもそんな夜の奥深い峠越えの雪の中、それでも沿線で皓々と光ってるものがあって」
「なんだろう」
「自販機ですよ。えっ、こんな山の中に? って驚きそうなトコにもあるんです」
「そうか、なるほど」
「そういうのがまるで漆黒の宇宙に浮かぶ星々のように流れていくのを見ながら駅弁を食べるんです」
「たしかにウマそうだな」
「情感も乗って一層おいしく感じられそうね」
 鳴海も言いながら想像している。
「ええ。でもぼくの一番の思い出は、父と食べたときでした。父と一緒に乗った寝台列車で、ぼくが個室の上段の寝台に横になってると、下段から『食べようぜ』って父が誘うんです。寝台のハシゴを下りて父と一緒に駅弁食べる。『うまいか?』って聞く父に『うん!』って答えて」
「いいなあ」
「ステキ!」
 富樫と鳴海がうっとりとした目で思わず声を上げる。
「でも、その夜が明けて、父と着いた駅でみた父の寂しそうな背中が、ぼくの見た最後の父の姿でした」
「うっ。突然ヘビーになった。いったいどうしたの?」
 富樫が目を点にしながら聞く。
「離婚したんです。うちの親。で、離婚するときに父はぼくを連れて北へ向かう列車に乗った。でも着いた駅で、父は母方の親戚にぼくを預けて、それっきりなんです」
「それっきりか……」
「そんなことが」
 冨樫と鳴海は言葉を失っている。
「でも、ぼくはそれ、わかってた。だから母さんと父さんと3人であの駅弁食えたらな、って思ったんだけど、諦めた」
「くそ、泣けるなあ。おまえさん、子どものときは良い奴だったんだな」
「倉島くんのくせに!」
 冨樫と鳴海がそういってもらい泣きしながら、その実、倉島をバカにしている。
「それじゃ今どうなんですか! でも、それからぼくは母に育てられました、って話をその生配信の主に話したんです。そしたら、主がえらいね! って。それ聞いてぼくも思わず泣きそうになりました」
「そうなのか」
「で、いつかまたみんなで駅弁食べられる寝台列車、復活しないかな、って。でも四季島も瑞風もななつ星も、ツアー中に駅弁でないんですよね」
「西日本さんのウエストエクスプレス銀河なら、ぎりぎり出るかな」
 冨樫が考えている。
「あれもコロナ対策で予約がめんどくさくてダメですよ」
 倉島はそういって残念がる。
「ツアーの中では駅弁食べるとこあるみたいだけど、夜中のこっそり駅弁じゃなさそうですね」
 鳴海も残念そうに口を曲げる。
「そうか……てことはおまえさんの作りたい観光列車ってのは、ミドルクラスの客がターゲットなんだな」
「そうかも。往年の定期寝台列車よりちょい高いぐらいで納めたいですね」
「そうかそうか。で、このリスト見てると、沿線自治体の首長も招待のうえにうちの会長も来ることになってるけど」
 富樫が気づく。
「え、ホントですか! 鳴海さん、入れたの?」
「エライ人は入れた方が良いかな、って」
 鳴海はキョトンとしている。
「ああ。鉄道の神様・及川会長が直々にご来迎だってさ。デザイナーの熊岡先生もあの会長の前だと話しにくいだろうに」
「え、会長、そういうひとなんですか」
 鳴海は知らなかったようだ。
「いつも何かとパワハラセクハラすれすれなんだよなあ。だから昭和生まれは、ってみんな思ってる」
「鉄道雑誌で名前見るだけだったから」
「私も」
 倉島と鳴海が想像をしている。
「そうだろうよ。俺もそう何度も見たことない。入社式に見たあと、次に見たのはいつだったかな」
「でもこの前、この新発田駅に来ましたよ。特急『いなほ』の車で」
「そうそう!」
「え、ホントか? でもなんでだろう。会長の家の墓は多摩だったと思ってたけど、こっちにもお墓あるのかなあ」
 冨樫は驚いている。
「さあ……」
「あ、あとおまえさんたちにこれ。名刺。作ってきたんだった。支社新列車プロジェクトチーム所属にしといた。こんどのシンポジウムで使うと良い」
 そうやって冨樫は、カバンから名刺の箱を2つ取り出した。
「ありがとうございます! でも」
「なんだ」
「しばらく、僕のこの新発田駅勤務もなくなるのか……」
 倉島は寂しそうに呟いた。
「そうか。おまえさんたちもやっぱり現場が好きだったか」
「もちろんです。鉄道会社に勤めて現場仕事の楽しさが分からないなんて人、多分いないと思いますよ」
「だから現場以外は人不足激しいけどな、でも鳴海くんもか?」
「駅員に小さい頃から憧れてたんです。ほんとは車掌さんや運転士さんにも憧れてたけど、私、運動神経が鈍かったので」
 鳴海がモジモジしながら答える。
「ええっ、そうだったの? そうは見えないよ?」
 倉島が思わずツッコむ。
「この前新発田署で聞いたよ? 珍しく駅で酔っ払いが暴れてるって通報があって、出動したら、到着したときには」
 富樫もあきれる。
「ああ、あのことですか。たちの悪い酔っ払いだったし、私夜勤のお弁当前でイラッとしてたから、つい『成敗』しちゃったんです」
「そのまま救急搬送したけど、おまわりさんがあんなキレイにカカト落とし決まるの見たの、テレビ含めて久しぶりだった、って」
 冨樫がそう説明する。
「鳴海さん何やってるんですか!」
 倉島も呆れている。
「おなかすくとつい。てへ。でも寸止めは忘れてないですよ?」
「まあ、軽いたんこぶですんだし事情が事情だから訴えられることはないだろうけど」
「新発田駅の治安は私は守る☆つもりでした」
 ドヤ顔で言う鳴海。
「それ、ぜんぜん駅員の仕事じゃないよ……」
 またあきれる。
「でも、それももうすぐ、終わりなんですね」
「そうだな。寂しいもんだな」

4 始まりの宴

「登壇なさる先生方のマイク、管理はホテル側でやりますので」
「そうですか。お願いします」
 ホテルスタッフが散っていって、ふーっと富樫は息を吐いた。ここは新潟市内、信濃川を渡る萬代橋の袂にある老舗ホテルのホールである。最近改装されたこの由緒あるホテルの内装に倉島はキョロキョロしている。
「なんでもやってくれるんですね。さすが高級ホテル」
 倉島は今更ながら感心している。
「その分高かったのさ。この部屋の賃料、すごいよ」
 天井からつるしたシンポジウムのタイトルを見て、倉島と鳴海が思わずつぶやく。

「『酒とグルメと地域と観光列車』」
「なんかものすごく時代錯誤にバブリーだよね」
 そう読む2人に富樫はあきれる。
「今更おまえらが言うなよ」
「そうなんですか」
「観光列車ってそういうもんだろ。デザイナーの熊岡先生にうちの及川会長まで呼んで、貧乏くさいのできないし」
 冨樫が頭をかく。
「そういうのがそもそもバブリーですよ。これじゃぜんぜん地に足が着いてない気が」
「そうだろうけどさ、もうはじめちゃったんだから仕方ないだろ。でも観光列車の話って関心高いんだな。鉄道マニアだけじゃない感じに客が入ってる。先着順にしたら割合早めに全部埋まったし」
「なんかTwitterでは申し込み開始の時に申し込みのうちのページ、ちょっとトラブったってありましたよ」
「そうなんかな。あ、新潟が選挙区の議員さんも来るらしい。昔からの議員と、最近代替わりした例の新発田の議員も来るそうだ。新人議員って大変だよな」
「あと阿賀北地域の例の市長も来るんですよね」
「あの女性市長か。ワンマンだった前の市長が入院して亡くなった直後の選挙で当選した元副市長。前の市長の容態も病名も公表されなかったのは選挙対策だって言われてるよな。戦国時代かよ」
「市政のハンドルがすぐ握れます、って選挙のうたい文句でしたね。あの選挙なんだったんでしょう。今更阿賀北ファーストなんて言い出して」
「選挙屋さんのセンスは理解不能だよ。でもそれで当選しちゃうんだもんな。若い人が敬遠する訳だよ」
「ちゃんと若い人も不在者投票してるのに、投票率あんまり上がらないのはなんででしょうね」
「さあな、控え室にもうすぐ及川会長と熊岡先生が入る。アテンドの女子は」
「なんでそれに女子限定なんですか」
「いや、そういうもんかと」
「職員をホステス扱いしないでください。ぼくがいきます」
 倉島が足早に向かうと、控え室にはまだ及川会長もデザイナーの熊岡も来ていなかった。
「倉島、こっちいたの?」
 鳴海も追っかけてきていた。
「弊社の会長、どんな人か見たくてきちゃった。てへ」
「あれ? 受付とかは?」
「仲間がしっかりやってくれてるから私はヒマなのよ。だからゴミ拾いとかしようと思って。それより会長ってどんな人? 鉄道の神様ってラスボス?」
 鳴海は興味ありげでやたら活き活きしている。
「自分の会社の会長をラスボスって……」
「多分、私たち、会長と対決することになると思う」
「そうなのかなあ」
 そこにだった。
「おい」
 声がかかり、2人はびっくりした。
「会長が間もなくハイヤーでいらっしゃる。粗相の無いようにな」
 副支社長が念を押しにきたのだった。
「……ぼくら、そんな要注意人物かなあ」
「わかんない」
 倉島と鳴海は目を見合わせた。
「でも会長って言ったって、ちょっとエラいだけでそれ省けば普通のオッサンでしょ。それなのにこんな過剰に忖度対応するからパワハラがまかり通るんじゃないかなあ」
「忖度?」
 その声に2人が振りかえると、そこで重厚なオーラを放っていたのがその及川会長だった。2人は驚きで飛び上がりそうになった。
「君が新潟支社の、クラハシくん?」
「倉島です」と倉島が訂正する。
「そうか。倉島くんか。いや失敬。新潟支社で新しい鉄道旅行の取り組みを発案したと聞いてね。熊岡くんとここに来る新幹線で話してたんだよ。今どき珍しい熱意のある若手社員。いや結構結構。そういう若手が育たないと我が社もポストコロナの不明瞭な時代に立ち向かえない。期待しているよ」
 だが鳴海はその言葉の裏の意図を察しているためか、口を引き結んで聞いている。たしかに会長、口調こそ機嫌良さそうにしているが、そう単純な思いでここに来ていないのは倉島にも解った。
「私も熊岡くんとやり合った頃が懐かしい。私は技術畑だったのでデザイナーの熊岡くんとはしばしば対立した。結果良いサービスを送り出せたが、何度も「この野郎」と思ったなあ。でも対立は悪いばかりのものではない。そこで見落としを発見することもある。君たちもこれからのいろんな対立のなかで学びを忘れないように。クラハシくん」
「倉島です」
「失敬。倉島くん、君が我が社を支える大きな一翼となってくれるのを楽しみにしているよ」
 そこに副支社長が現れ、シンポジウムの開会が間もなくであることを告げ、会長と熊岡は並べられた演壇に向かっていった。

「多分、会長は私たちのこと、駅にならんだ自動改札機よりも意識してないんでしょうね。倉島くんの名前も全然覚える気なさそうだし」
 鳴海がそう鼻を鳴らしている。
「そうだろうね」
「倉島くんはこれでいいの?」
「いいの、って。そりゃ仕方ないよ。向こうは鉄道の神様、ぼくはただの社員だ」
「いいわけないでしょ!」
 鳴海はその目を鋭くした。
「だってそういうもんじゃない?」
「どこまで飼い慣らされてるのよ。それどころか飼ってる意識すらされてないのになんでそれが当たり前なのよ。失敬と言ってたけどホント失敬な人よ。これじゃ帰りの新幹線でビールでも飲んで、東京着くころには、きっとなんのために新潟に来たかも忘れてる」
「そんな」
「この会社、いちいちそんなのに慣らされすぎなのよ」
「まあ、仕方ないとこもあるけどなあ」
 富樫がきた。
「国鉄時代の労使紛争の残滓なんだろうな。国鉄時代から現場と経営の間にはものすごい断裂があった」
「でも今は私たち、JRですよ。民間会社に生まれ変わったはず」
 鳴海がそう言う。
「建前はな。でも分割民営化、本音のとこは政治の世界で国鉄のメチャ強かった労組の支援を受けてた当時の野党をとにかく弱体化させようって労組の解体狙ったので、経営悪化、体質硬直化の改善は二の次だったのかなと思う。事実あちこち国鉄の悪風が残ってるよ。30年以上経ってるのに」
「だからといって末端の社員を露骨にザコ扱いして平気な会社が、まともなわけないです!」
 鳴海はさらに沸騰している。
「声大きいよ。演壇にも客席にも聞こえちゃう。それに会社ってそんなもんじゃないかなあ」
「そんな粗末なザコに支えられてる会社が?」
「そりゃそうだけどさ」
「冗談じゃない。私、こんなのに憧れて駅員になったワケじゃないです」
「鳴海くん、分かったから声小さく」
「なにが分かったんですか!」
「はいはい鳴海さん、これ」
 その倉島が見せる手には『シンカンセンスゴイカタイアイス』。
 すると鳴海はそれを奪い取り、黙々と食べるのに夢中になっている。
「倉島くんさすが」
 静かになった鳴海を見て、富樫は思わず口にした。
「新発田駅でペア組んでて慣れてます。鳴海さんこうしないと止まんなくなることがあって」
「なるほど。まあそれは良いから、倉島くん、名刺交換がんばって。これから地域や自治体、メディアや関係部署との顔つなぎが大事になるから。俺が案内するよ」
「よろしくお願いします! ぜんぜん知らない顔ばかりで」
「駅員仕事だけじゃそうだろうよ」
 倉島はメモ帳を取り出した。
「そのメモの力も借りて、この観光列車、絶対成功させないとな。せっかくはじめたんだから」
 シンポジウムは普通に和やかに進んでいた。及川会長も熊岡氏も話がうまく、これまでJRが送り出してきた様々な列車の企画段階から設計建造、営業開始までを様々なエピソードとともに語る。鉄道雑誌に乗らなかったエピソードもあり、倉島も鳴海もそれには感心した。特に及川会長が会長になる前、技術本部長だった頃のエピソードは、彼が技術者としていかに進んだ考えを持ってJRの改善に挑んでいたかがよくわかるものだった。車両の状態、車輪の回転数や機器の動作状況、車内の乗車率や空調温度といったデータをそれまで個別のコードで引き回していたものをLANに似たネットワークにして配線簡素化と転送高速化を同時に統合機器システムとして実現しようとしていたとき、ちょうど熊岡氏がデザイナーとして入ってきた話は初めてだった。機器のスペースを確保したい及川と、それを見直してスマートでシンプルな内装を実現したい熊岡ははじめ対立した。だがスポーツカーやレーシングカーのデザインもやっていた熊岡は機器の簡素化に繋がる統合化を理解し、及川も熊岡がただの図案係ではなくデザインを実現するなかで技術や経営さえも再定義して改善する志を持っていることに感じ入り、そこで意気投合したというのはどう考えてもいい話だった。
 それなのになぜ今こんなにこの会社はその時の熱を忘れ、事なかれとヤブヘビ回避に汲々とするようになったのか。倉島はどうにも繋がらないものを感じた。「その時」の熱はまだ入社前、社外にいた倉島や鳴海すらも興奮させるものだったのに、なぜ?
 鳴海と倉島は目が合った。同じことを感じているのだろう。この会社にも良い時代があったのだ。
 シンポジウムはほかに自治体や国交省運輸局がインバウンドに期待している話、そのために支援を惜しまないという話が続き、司会が会場から質問を受け付けた。当然質問はなぜ新潟支社がこういうイベントをしたのか、それはなにか新しいプロジェクトのためではないか、というものが続いたが、答える富樫は「ご期待いただいているが特に具体的な計画はまだ無い。このイベントも鉄道150年記念のもので、他意はまだ無い」と答えるのみだった。でもそれに不満の声はなく、シンポジウムそのものは拍手で終わった。
 その後懇親会となり、倉島と鳴海は名刺交換に走り回った。各自治体や機関・企業の担当者との名刺交換は2人とも慣れてはいなかったが、富樫が促してだんだん慣れていった。どうしたら良いか分からず、そういった担当者だけでなく、集まったただの鉄道ファンとも名刺交換したが、それも全く無駄とはならないと富樫は教えた。人間はどこでどういう縁があるか分からないのだ。その間に及川会長と熊岡氏は予定があるとのことで会場を後にしていた。

 そして懇親会も終わり、新潟支社の倉島たち特命チームはホテルから撤収することになった。
「まあ、ここまでは上々かな」
 富樫はそうまとめたが、そのホテルのエントランスで人が待っていた。
「熊岡さん!」
 デザイナーの熊岡氏だった。
「良いシンポジウム、ありがとうございました!」
 倉島と鳴海は握手を求めそうになったが、今はまだコロナの脅威があってそれは出来ない。残念な顔になった2人に、熊岡は静かに言った。
「新観光寝台列車の話は聞いてる」
 倉島は憧れの気鋭のデザイナーの言葉に喜んでいた。認識されてる!
「でも、無理だろうね」
 倉島はその真意を探ろうとした。
「もう、良い時代は終わってしまった」
 いつも勝ち気の鳴海もその言葉に沈みそうになったようだ。
「どうしてここまで悪くなったのかと思うけど」
 デザイナーらしく胸のチーフも洒落た着こなしの熊岡なのだが、言葉にも表情にもやたら覇気がなくて、倉島は心配にすらなった。
「君たちに期待したいのが本音だが」
 倉島は、それに答えた。
「ぼくたちはやりますよ。失敗になるとしても、やります」
 鳴海も頷いた。
「そうか」
 熊岡はそう言うと、寂しげな顔でタクシーに乗って去って行った。


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