県北戦士アガキタイオン(作品ハイライト)


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 ウイッグは? 持った。メイク道具は? ばっちり。ブリ リアント・ビートの衣装? かんぺき。パーツ取れたときの応 急処置キット? 接着剤、両面テープ、安全ピン、ばっちし。 よし、行くぞぉ。少女は両手で顔をパンパン、と二回叩いてか ら、コスプレ衣装その他の詰まったキャリーバッグの取手をぐ いと掴む。
 姫華マキナはそうやって自分に気合いを入れると、「じゃあ お母さん、行ってきまーす!」
 と元気よく玄関を出た。それに追い縋るようにパタパタと音 を立てるスリッパの音。
「真希! あんた入場チケット机の上に置いたまんまだった よ!」
  マキナは真っ赤な顔で照れながら、母からイベント入場チ ケットを受け取った。
 新潟県阿賀野市、サントピアワールドで開催される町おこし コスプレイベント「トピコス」は今回で五回目を迎える。コス プレを始めて四年目の高校生、姫華マキナは、バイト先の新潟 市にあるメイドカフェ「スライムC」のメンバーと共にそのイ ベント会場へと入場した。
 天気は快晴、五月の爽やかな空気が心地よい。県内外から多 3
数のコスプレイヤーが訪れる県内屈指のコスプレイベントであ るトピコスでは、会場のコスプレ登録所に既に長蛇の列ができ ている。マキナ達は今日のコスプレ併せの予定をあれこれ立て ながら、周囲の参加者のメイクから何のコスプレをやろうとし ているのかを当てる予想で盛り上がっていた。
「あ、そうそう、これ真希ちゃんの名刺ね。今日のイベント参 加費その他諸々の費用はウチが持ってるんだから、きっちりお 店の宣伝もしてくるのよ」
  ふふっ、と含み笑いを漏らし、メイドカフェのオーナー、 紫雲寺麗華はマキナにゴムバンドで留めた名刺の束を渡した。 マキナはそれを苦笑いしながら受け取り確認する。表には美麗 に加工した自分のメイド服姿の写真、裏には店のブログアドレ スと公式SNSのアカウントQRコードが印刷されている。
「オーナー、前から思ってたんスけど、ウチらの写真、加工効 かせすぎじゃないッスかあ……?」
  同じく名刺を受け取った先輩メイドの沙耶が半笑いの表情 で取り出した一枚の名刺をヒラヒラと振る。
「いいのよ。実物はもっと可愛いんだから気にしない。それよ り、今日はバシバシ写真撮るからみんな覚悟しときなさいよね、 ウフフ……」
 麗華オーナーはうっとりした表情で、首から下げたデジタル 一眼レフカメラを愛おしそうに撫でた。
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「さすが引退はしても元レイヤー、貪欲さ半端ないのよね… …」
仲の良い同僚メイドが若干引き気味にそう呟くのを見てマキ ナは笑顔をこぼした。いつものノリが心地よい。初めての会場 で参加するイベントへの緊張感が薄れていくのが分かる。滲ん でいた手汗が乾きはじめる。登録の列が動き出す。マキナはい つのまにかイベントにワクワクしている自分を意識した。
「それじゃカウント取りまーす! じゅーう、きゅーう、はー ち……いーち、ゼロ! はいありがとうございましたー!」 丘の上の大観覧車の下でマキナ達を写そうと周りを囲んでい たカメラマン達の囲みが徐々に崩れていく。スマホゲーム『ブ リリアント☆ダンスマスターズ』に登場するアイドルユニット のコスプレ併せは無事に終わった。名残惜しそうにメンバーに 話しかけようとしているカメラマン達と軽く挨拶を交わして、 マキナ達は個別の自由行動時間に入った。 その途端、そわそ わし出したマキナはあちこちをきょろきょろ見回し、何かを思 い出してはデレデレとした顔で荷物をまとめ始めている。 「どしたんマキナ、めっちゃ嬉しそうじゃん。なんかお目当て のコスプレでも見かけた?」
 先輩メイドの沙耶が、ニヤけ顔のマキナに肩を組みながらそ う囁く。
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「え、沙耶さんわかります? そうなんですよ、子供の頃好き だった、アガキタイオンっていう特撮ヒーローのレイヤーさん 見かけちゃって。ダッシュで追いついてきます!」  マキナはコスプレしているキャラの性格宜しく、キラキラし た目でそう答えると踵を返して走り出した。
「ちょ、走るの危ないって! ヒール履いてるんだから気を つけて行けっつーの!」
沙耶の言葉が届いたのか、マキナは競歩のような素早い歩き 方でチョコチョコチョコと坂を下っていく。まったく、可愛い ヤツめ。と腕組みして呟く沙耶は、併せの荷物をまとめ始めよ うと囲みのあった場所へ引き返すが、その途中、何かをぶつぶ つと呟きながらカメラを首からぶら下げて歩いていく男性の独 り言が耳に入ってきた。
「アガキタイオン、見つけた……やっぱ掲示板の情報の通りだ ……あとはどうやってぶっ掛けてやるかだ……」 虚ろな目をした男性の右手に握ったペットボトルの中に、半 分ほど入った黄色い液体が揺れる。ジュース?、と沙耶は思っ たが、やけに粘度の高そうなその液体はペットボトルの内部を 黄色く染めてはまた沈む。
「ミッシーちゃんはあんな古臭い特撮コスプレなんかしちゃい けないんだ。もっと可愛いコスプレをするべきなんだ……」 口の端を醜く歪めながら、男性は目深く被ったベースボール
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キャップをさらに深く被り、背負ったデイバッグにペットボト ルをしまい込んで坂を下っていった。沙耶は、チッ、と舌打ち をするとキャリーバッグを引っ掴み、マキナが向かった方角へ と早足で歩き始めた。
 マキナは観覧車から下った先のカスケード広場でざわついて いる人だかりを見つけた。複数人のカメラマン、遊園地に遊び にきた家族連れ、子ども達が囲みを作り、そこから歓声が聴こ えている。マキナは、物珍しそうにスマホをかざしているコス プレイヤーの壁を潜って、囲みの中心にたどり着く。いた。県 北戦士アガキタイオンだ。マキナは目をキラキラさせながらデ ジカメを構えた。
「ねーねー! アガキックのポーズしてよー!」  囲みの中から元気そうな男の子の声がする。それに気づいた アガキタイオンは、手を振った後、少し困惑気味に、脚の上が りきらないキックのポーズを取った。
「えー、なんか違うー」「こら、わがまま言わないの!」 と いう母と子の会話を聴き、アガキタイオンは申し訳なさそうに 手を合わせた。
 マキナはその様子を見て何かに気づき、アガキタイオンへと 近づいていく。そしてマスクの耳側に回り込むと、周囲に声が 漏れないように
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「ひょっとして、囲み、ずっと続いて疲れちゃってます?」 と訊ねる。アガキタイオンはマキナの方を向くと、無言で首を 縦にうんうんと振った。
「あ、じゃ私、カウント取りますね。お一人参加だったら困っ ちゃうでしょ?カウント取るの、私、慣れてるから平気です よ」
更にアガキタイオンは首を縦に振る。
「オッケーです。それじゃいきますね?」と、すぅーっと息を 吸い込んだマキナは、腹の底から気合を入れて叫んだ。 「すみませーん! 申し訳ないですがここで撮影終了のカウン ト取りまーす! 五秒でいきまーす! ごーお! よーん!  さーん! にーい! いーち! はいありがとうございまし たー!」
 かなりの大声で数え終わると、間髪入れずマキナは深々と周 囲の人たちにお辞儀をした。中には勢いで拍手する人も出てき て、囲みは次第に解けていった。
「勝手やっちゃってすみません!ご迷惑じゃなかったです か?」
 マキナは更にアガキタイオンにも深々と頭を下げて詫びを入 れた。された側はパタパタと手を振り否定の意を表す。その動 作が終わるか終わらないかのうちに、マキナは興味津々にアガ キタイオンの衣装をまじまじと眺め、
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「それにしてもめちゃくちゃ再現度高いコスですよね、フェイ スマスクの『北』の文字がここまでキレイにできてるの初めて 見ました! あ、もちろん他もカッコいいですよ? 特にこう ショルダーパットの材質なんてウレタンボード?、ですか?、 の割には滑らかで塗装の乗りも良くって、えっ?これまさか切 り出しですかうわ凄い接合部分どうなってんだろっていうかこ の衣装自体が第二話登場のバイクスーツ仕様になってからのヤ ツですよねくーっいい衣装じゃないですかー……って、あ、ご めんなさい一人で盛り上がっちゃって……アガキタイオンのこ とで興奮すると早口になっちゃうめんどくさいオタクなもので ……へへ……」と捲し立てながら顔を赤くして手で扇ぐ仕草を する。「あ、ごめんなさい、失礼でした……?」
頭を垂れて無言で肩を震わせていたアガキタイオンは、意を 決したように顔を上げると、マスクの中のくぐもった声で話し 始めた。
「違う。これ第三話冒頭からのバイクスーツ。コスチュームの 裏ロゴが入ってないからスポンサー降板のあとの仕様。そもそ も第二話で入ってた新発田市のバイク屋さんのロゴはカッコ悪 かったしそのあと潰れちゃった企業だしちなみに肩の素材はウ レタンボードで合ってる切り出して接着だけどワイヤーとバイ アステープかまして補強してる新潟市の古町にある素材屋さん で買った塗装じゃなくてメタリック柄の布を貼ってる経年劣化
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しにくいから。っていうか、アガキタイオン、好き?」  今度はマキナも頭を垂れ目を閉じて肩を震わせている。手は 小さなガッツポーズをとりながら……
「あ、ごめん。あたしもアガキタイオンのことで興奮しちゃう と嬉しくなって早口になるめんどくさいオタクなんだよね。気 を悪く……しちゃった?」
「そんなことないです!」開いた目をキラキラさせながらマキ ナは叫んだ。その声に周囲の来場者が一斉にビクっと反応する。 「私も、アガキタイオンのこと小さい頃からずっと好きで、お
母さんにサントピアでやってたヒーローショーに連れてきて貰 うのが夢だったんです!ぐあー!めちゃ嬉しい!しかも、え? え?女性の方なんですか?中の人?」
 アガキタイオンはこくんと頷く。「うん、まあね」 「わっ、えっ、どうしよ、それすごい素敵、え、え、あの、そ の、嬉しくって、ごめんなさいえへへ……あの、お友達になっ てください!」
挙動不審気味に捲し立てたマキナは、頭を下げ、アガキタイ オンに握手を求めた。しばしの間。呆れたようなため息をつい て、アガキタイオンはマキナの手を取った。
「わかった。いいよ。ここまでアガキタイオンのこと好きな子 見たのは初めてだから。あたし、うーん、名前は……みし…… いや、ミッシーって呼んで。ミッシー・エリオットのミッシー。
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わかる?」
握手を交わして顔を上げたマキナはニカっと笑いながら言っ た。
「えへへ……私は姫華マキナです。私、ヒップホップも大好き なんですよぉ」
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(高揚感のあるオープニングテーマ曲、提供で入る各社CMが 終わり本編がスタート)
「第三話 守れ岩船米!炸裂!アガヒール!」
──何処か山深くの要塞、地下に降りるカメラ。おどろおどろ しいBGMが鳴る中、祭壇がある薄暗い広間には松明が壁際に 何本も燃え盛っており、その壁には無数の石棺が埋め込まれて いる。広間には黒づくめの戦闘員「ドロス」達が整然と立ち並 び、祭壇の前にはでっぷりと太った軍服姿の司令官らしき人影 が映る。
「よいか戦闘員諸君! 今やアガキタイオンは我々公然の敵と なった! 二度も我らが『異喪魑廟(いもちびょう)』の崇高な る計画を邪魔した者には死あるのみだ! 三度目は無い! サ ンドイッチはうまい! 吾輩が好きなのはツナサンドだ! カ ラシ抜きで今すぐ持って……」
 スパァン!
 目を血走らせながらサンドイッチへの愛について語る司令官 の頭を、全身レザーの軍服で固めた仮面の美女がスリッパで叩 く。
「まーた食べ物の話に変わっちゃってるわよメタボス司令。会 12
話の単語に食べ物の名前が出てくるときのクセね。いいわ、 ちょっと端っこでサンドイッチでも食べてなさい。いいこと、 あなた達! 今度の作戦は米よ! 県北の食の全てを手中に収 めて、県民、いや全国に高値で米を売り捌く『岩船米うめぇす けおらほで独り占め』作戦、発動よ!出てきなさい! 冷害怪 人レイガイヤー!」
 プシュー!、というスモークの迸りと共に壁際の石棺のひと つの蓋が開く! 冷害の権化、冷害怪人レイガイヤーの復活 だ! ドロス戦闘員たちが「フー!フー!」と奇声を発しなが らそれを囃し立てる。
「お呼びですかノミスギー様。私を甦らせていただき誠に恐悦 至極。」
「ふふん。レイガイヤー、あなたの力、存分に発揮する時が来 たわよ。さあ、戦闘員と共に岩船米を冷害で苦しめ、農家の人 たちを脅して我々に米を貢がせるのよオーッホッホッホ!」
幹部ノミスギーが手に持った鞭をピシィと打ち鳴らす。それ を合図に悪魔の軍団は一斉に地上へ向かって行進を始めるの だった。
──場面変わり、よく晴れた初夏の田園風景。真っ直ぐな農道 を、五頭大(ごとうまさる)の乗ったバイクが走っていく。 「っかしーな、岩船課長はこのへんで異喪魑廟の連中の気配を
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感じたって言ってたんだけどなー。ん? あれは……?」 大は一件の農家へと続く道端に、小学生くらいの女の子が膝 を抱えて泣いているのを発見した。バイクを停めた大は、おー いと手を振り女の子に近づく。
「どうしたんだい? 誰かにいじめられたのかな?」  しくしくと泣く女の子は、近くの田んぼを指差すと鼻を啜り ながら答えた。
「うう……ぐすっ……おとうさんが一生懸命育てた稲が……カ チコチに凍っちゃったの……なんで……」
初夏に稲が凍る? 訝しんだ大は女の子が指し示す田んぼに 降りた。途端にパリパリと音を立てて踏みしめられる霜の降り た土壌。まだ穂を付けていない稲をよく見ると、たしかに表面 がびっしりと霜で覆われている。
「これは酷い……冷害なんてもんじゃないぞ。おーい君、俺は 県職員の五頭大!この辺りで怪しい奴を見なかったかい?」 大は道からこちらを覗き込んでいた女の子に呼びかけた。し かしその姿は急に消え、帰ってくる返事は悲鳴であった。 「キャー!助けてー!」
大は畝を駆け上がる。目の前には、黒づくめの男たちに襲わ れている女の子と、青白い氷の塊でできた人型の怪人の姿が あった!
「ガーイガイガイ! そうだドロスども! そいつを連れて親 14
の所まで運んで行くのだ! そしてこの田んぼで取れる米を、 全て我々に収めさせるのだ!」
 フー!フー!と奇声を発しながら女の子に掴みかかろうとす るドロス戦闘員だが、大は素早くその一人に飛びかかり、 「セイっ!」
と気合裂帛、右の足刀で女の子から引き離した。 「大丈夫か!ここは俺に任せて君は逃げろ!」
「ガーイガイガイ! また貴様か五頭大! 俺様は異喪魑廟の 刺客レイガイヤー! ドロスども、やってしまえ!」  フー!と叫んだ戦闘員たちが大に群がった。彼は四方八方か ら押し寄せる黒い手をなんとか跳ね除けながら女の子を守り、 反撃の機会を窺っている。その様子を見たレイガイヤーは、身 体から氷の塊をひとつ砕き取り、まだ無事な田んぼへ目掛けて 息を吹きかけた。氷の塊が粉々になり、ひとすじの氷嵐となっ て田んぼへと飛んでいこうとする正にその瞬間、
「ダメえぇぇ!!」と女の子が田んぼと氷嵐の間に割って入っ た。
「くそっ! 間に合え! 集着──ッ!」
大は両手をクロスさせ高く飛び上がり掛け声をかけた。一瞬 のうちに光が集まり、氷嵐の前にその光が立ち塞がる!
【ナレーション】 説明しよう。役場の心優しい青年職員五頭 15
大は、県北の民が救いを求める声に応じ、五頭山からもたらさ れた神秘のパワーで県北戦士アガキタイオンへと変身するのだ。 戦え、アガキタイオン! 足掻け、アガキタイオン!
氷の嵐と光が混じり合い水蒸気が爆発する! 女の子は耳を 塞いでしゃがみ込んだが、その爆発が彼女に及ぶことは無かっ た。そう、目の前に立つ戦士が、全ての衝撃を防いでくれたの だ!
「県北!」 戦士が拳を突き上げる!
「戦士!」 突き上げた拳、流れるような構えが決まる! 「アガキタイオン!」 閃光と共に空気が震えた! 「小癪な!やれぃ、ドロスども!」
 フー!フー!と叫びながら戦闘員が襲い掛かるが、アガキタ イオンは瞬く間に拳と脚で彼らを打ちのめし、女の子が安全な 所まで逃げるのを見届けた。そしてゆっくりと怪人の方に向き 直る。
「農家の人の努力を無駄にするだけでは飽き足らず、小さな子 どもの米への愛まで踏みにじる。貴様らだけは絶対に許さん! 力を貸してくれ、阿賀町の妖狐よ!」
 アガキタイオンの身体が紫色の光に包まれると、狐の面に似 たマスク、九本の尻尾、獣の爪を模したプロテクターを身につ けた新たな戦士の姿がそこに立っていた。
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「アガキタイオン・コンフォーム!  稲よ、癒されるん だ!」
そう叫ぶと、アガキタイオンは腰に生えた九本尻尾をぐる ぐる回し、光の渦を作り出すと、空に向かってそれを放った。 「は……! 何が起こるかびっくりしたが、攻撃が外れただけ か! 恐るるに足らんわ。喰らえ、アガキタイオン!」  レイガイヤーの手が氷の刃に変化し、アガキタイオンを襲 う!切っ先が今まさに彼の喉元に食い込もうとしたその瞬間、 天から温かな光が降り注ぎ、レイガイヤーの目を眩ませた! 「ぐっ……な、何も見えん! どこだアガキタイオン!」  アガキタイオンは身を屈ませると、両手を開いて腰だめに構 え、叫ぶと同時に掌を前に突き出した。
「ここだレイガイヤー! 喰らえ、アガヒ───ル!」 突き出された両手から青白い炎の奔流が迸る!
炎は怪人を貫いたあと四方八方に飛び散り、天からの光と共 に霜で覆われた田んぼへ降り注いだ。すると、みるみるうちに 田が青々とした生命力を取り戻してゆく。土の霜は溶け、稲は 再びすっくと伸び上がった。
「おのれ……おのれアガキタイオン──!」
腹に空いた風穴から火花を散らしながら、レイガイヤーは断 末魔と共に爆発四散した。爆炎を背にアガキタイオンは残心の 型を取り叫ぶ。
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「県北の食は俺が守る! 足掻きまくるぜ、アガキタイオ ン!」
翌日。五頭大は上司の課長、岩船美佐子と共に女の子の家の 田んぼを訪れていた。田に入り雑草を取る父と娘の姿を眺めな がら、二人は安堵の笑顔を浮かべている。「しかしよかったっ スね。今まで以上にあの家族の絆も深まったみたいで。女の子、
『私がアガキタイオンを呼んだんだよー!』なんて、嬉しそう でしたよ。」
「ふふん、大くんのお陰で、あの子も一層、米を愛するように なったみたいだわね。さ、私たちも一緒に手伝いましょう。」  二人は長靴に履き替えると、そろそろと田んぼに足を踏み入 れる、しかし大は一歩めが踏み出せないでいる。
「どうしたの大くん?」
「いえ、課長、その、足が埋まっちまって……ああ、う わぁ!!」
前のめりに派手に転ぶ大。驚いて駆け寄ってきた父娘がそれ を助け起こす。大の顔は田んぼの泥で真っ黒だ。  皆の笑い声が、晴天の空へ吸い込まれていった。 
【ナレーション】辛くも異喪魑廟の怪人を撃退したアガキタイ オン。だが闇の組織の魔の手は、まだまだ県北に忍び寄ってく
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るぞ。負けるな、アガキタイオン! 戦え、アガキタイオン! 足掻け!アガキタイオン!
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ミッシーと連れ立って園内を周りながら、アガキタイオンの コスプレ写真をカメラに納めたマキナは、スマホに入ったメー ルに気づいた。「あ、やばっ、そろそろ撤収時間だ。更衣室戻 んなきゃ。」
「ん、あたしもそろそろ引き上げようかな。一緒に戻る?」 ミッシーは大きめのキャリーケースを引きずりながら、更衣室 があるセンターハウスの方を指さした。午後三時を少し回った
園内は、そろそろ帰り支度を始める来園者の流れができている。 まだ遊び足りない子どもたちはぐずり始め、あちこちで「やだ やだやだー!」と泣いて帰りを拒む泣き声が聞こえてきた。 「そですね。混まないうちに行っちゃいましょ」
途中で知り合いのカメラマンに撮影をお願いされたが時間を 理由にごめんなさいし、名刺を渡して足早にセンターハウスへ 向かう二人は、だがしかし、自分たちをこっそりと追う人影に は気づいていないのだった。
センターハウス前は既に混み始めていた。イベント終了は午 後六時だったが、公共交通機関を使う参加者組はこの時間にコ スプレ衣装を脱ぎメイクを落とさないと帰りの終バスに間に合 わない。マキナは列の最後尾に並びつつ、デジカメの画面を
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ミッシーに見せながら、アガキタイオンを撮った画像を確認し てもらっていた。
「これなんかポーズの角度良くないですか? あ、あとアガ ヒールのポーズももう少し前傾姿勢になるといい感じで映えま すよ」
「なるほどね。さっきもそうだったんだけど、あたし運動が苦 手だから身体の使い方とか分かんなくて」
「ちょっとコツ覚えたら大丈夫ですよ~。ちなみにミオモテア ローのポーズも……」
「ミッシーちゃん、来てたんだね!」
 盛り上がっている二人の声に割って入る明るい声。ベース ボールキャップを目深に被りカメラを下げた男性が距離を詰め てきた。
「なんだ~、最近は去年やってたピチプリのアーヤコスプレや らないんだね~!あれ似合ってたのに残念だなぁ~!」 (お知り合い?)、マキナが目で語る。ミッシーはマスクを横 にフリフリと振る。
「そんな古臭くてカッコ悪いコスプレよりまたアーヤのコス やってよ!今日会えると思ってきたから衣装持ってきたんだ よ!変身したあとのやつ!ほら、今から着替えればまだ間に合 うから!ね!」
 急に早口になった彼は、背負っていたデイバックからビニー 21
ル袋に包まれた衣装らしいものを取り出そうとしゃがみ込んだ。 「ヤバそうだからちょっと離れましょ」、マキナは小声でミッ シーに囁くが、ミッシーは拳を握りしめたまま震えている。そ してマスク越しに前を向くと、
「古臭い? バカに……バカにすんな!」と叫んだ。 「このコスプレはあたしが好きだからやってんの。去年やって たアーヤのコスプレは友達にお願いされて着たコス。どこの誰 だか知らない奴が、あたしの好きを邪魔すんな!」 一喝された男性は、それでもなおデイバッグをまさぐったあ と顔を上げると焦点の合わない目でアガキタイオンの方に向き 直った。
「やっぱ、その特撮コスプレが全部悪いんだね。そうか、分 かったよ。ミッシーちゃんは僕が助けてあげるよ」 そしてバッグの中から黄色の液体が揺れるペットボトルを取り 出し蓋を外す。
「ミッシー、逃げて!」
 マキナがそう言い終わらないうちに男性はペットボトルを掲 げてアガキタイオンのマスクに向けて液体を振り掛けた。悲鳴 と共に周囲の人々がサッと引いていく。
「やめろ!」
叫び声と、バシっ!という乾いた音が周囲に響く。アガキタ イオンのバトルグローブが男性の手を跳ね除けた。中身がまだ
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残るペットボトルが地面に転がり、周囲が騒然とする中、男性 は驚きで真っ白に……だがすぐに怒りで顔を歪めて、「何すん だコラ!」と、すばやくマスク前立ての「北」の突起に掴みか かろうと手を伸ばす。
「ミッシー危ない!」
 マキナが弾かれたように飛びかかり、空手の回し受けの要領 で、ミッシーの顔面を掴もうとする男の手を弾き飛ばした。怯 んだ声を上げ、手を押さえて身を引く男性。その声を聞いた ミッシーは、マスクの中で固く瞑った目を恐る恐る開く。目の 部分のバイザーが黄色く霞むマスクの前には、空手の型で身構 えたアイドル衣装のマキナが立っていた。
「それ以上は絶対許さない。今すぐここで謝って」  マキナの気迫に押されて、男性は怯みながらジリジリと後退 していく……と、その後ろから現れたアイドル衣装のコスプレ イヤーが、男性の肩をグッと掴んで押しとどめた。更に後ろか ら、複数人のスタッフが駆け寄ってくる。
「マキナ、段持ってる奴がそれ以上やるのはダメだよ。それと あんた、病院行くハメにならなくて良かったな。彼女、空手の 黒帯で師範代だぜ?」
 マキナの先輩メイド、沙耶が凄みを効かせた顔で男性に言い 聞かせる。彼はヒッと小さく叫んで身をよじり、へなへなとそ の場に崩れ落ちた。
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「危ないとこだったね。運営スタッフがこのあと上手いこと やってくれるだろうから、もう安心しなよ。この事は警察沙汰 にもなるかも知れないし、二人は着替えたら運営の本部に寄る んだよ?」
沙耶はマキナにそう声をかけると、騒然とする野次馬のなか、 スタッフに両脇を掴まれて連れられていく男性に向かって中指 を立てた。
「さすが沙耶先輩……カッコいい……」
 マキナが目をうるうるさせながら沙耶の元へ駆け寄り抱きつ く。沙耶は苦笑いしてマキナの頭をポンポンと撫でて言った。 「そうだ、アガキタイオンの衣装は無事なのか?」 ハッとしたマキナは沙耶から身を離し、後ろを振り返る。そ こには、床にぺたんと座りながら、黄色いペンキで汚されたア ガキタイオンのマスクを外し手に抱え、涙を堪えているミッ シーがいた。
「あ、ごめん……なさい。私の反応が遅かったばっかりに大切 な衣装を……ホント、ゴメンなさい! 直すなり作るなりなん でもします!」
 音の速さでミッシーの前に座り込み、マキナは両手を合わせ て床に伏せた。ミッシーはペンキで汚れたグローブを外し涙を 拭うと、マキナの手を取って言う。
「大丈夫。マスクも衣装もまた自分で作り直せるから……。そ 24
れよりも、守ってくれて、怒ってくれたの、嬉しかった。あり がとうね、関川さん」
「へ? 私の……本名……っていうかミッシー、隣のクラスの 三島さん……だよね?」
 あ、やばっ、という表情でミッシーはマキナから視線を逸ら す。そして観念したように、
「そ。三島恵梨。バレちゃったね、関川真希さん」と恥ずかし そうに笑いながら言葉を漏らした。
「やっぱりだ。学校じゃメガネかけてるから気がつくの遅れ たー! っていうか、学年トップクラスの成績の人でもコスプ レするんだと思っちゃったらメチャ嬉しくなっちゃった!」
握った手を上下にぶんぶん振り、さっきまでの濁った雰囲気 を振り払うように、マキナは笑った。
沙耶が運営に事の顛末を報告に行き、マキナとミッシーは やっと着替えを始めた。汗で脱ぎづらくなったアガキタイオン のコスチュームをマキナが手伝いつつ外していくと、ミッシー の湿ったインナーTシャツの下にうっすらとサポートベルトで 潰した胸が浮かぶ。学校ではかなりのスタイルの良さで目立っ ていたミッシーの姿を覚えていたマキナは、ほえぇ、無くなっ てる……とミッシーのコスプレにかける本気さを感じていた。 「ん? ああ、これね。やっぱり男性ヒーローやるなら体型も
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ね、ちょっとは努力しとこうと思って。結構キツくて長い時間 コスできないのが辛いけど」
「でも無いよりはあるほうがいいよ~。私なんて、無さすぎて 盛ってるくらいなんだから……」
 と寂しそうに言いながら、衣装の胸インナーから(かなり大 きめの)パットを数枚抜き出して、つまらなそうにポーチにし まう。
「……あっても困る事、あるよ」、マキナは器用にTシャツを 着たままベリベリとサポートベルトを外すと、ふう、と安堵な のか溜め息なのかわからないような息を吐いた。
「前は好きな女性キャラのコスも自作してイベント参加してた んだけど、男の人は胸ばっか撮ってくる人多すぎるの。さっき の人も、たぶん去年しつこくあたしをつけ回してた人。それも あってから、私服のときは意識しなかったけど、コスプレにな ると目線がすごく気になるようになった。だからかな、マスク して男装コスのアガキタイオンにのめり込んでいったのも。そ のあと、いつのまにかアガキタイオンのコスプレしてるのが知 られちゃって、ストーカーみたいになってたんだと思う」
 うつむいたまま丁寧にサポートベルトを畳みながらミッシー は続ける。
「もちろん、好きな女性キャラのコスプレやってるときの自分 の身体は好きだよ。でも、好きな男性キャラのコスプレをする
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のに身体が邪魔になるなんて、なかなかキツいよね」  自嘲気味にそう笑うミッシー。それを真顔で見つめたマキナ は、顔をぶんぶんぶんと横に振って言った。
「私は、ミッシーのどっちのコスプレも好きになると思う」  その言葉を聞いてミッシーはぽかん、と口を半開きにし、し ばらくするとケラケラと笑い始めた。
「あはは。いや、そういう事じゃないんだけどなぁ。でもまあ、 そういう事か。ふふ。ありがとね、マキナ」
 何事かいまいち理解できないまま、マキナはきょとんとした 顔でへへへ、とつられて笑う。
「そだ。マキナ、今度新しく作るアガキタイオンのコスチュー ム、マキナが着てみない?」
 笑い涙を拭いながら、突然ミッシーの放った言葉に、マキナ は一瞬固まったあと、
「えええええええええええ!!!いいの!?!?!?」 と、跳び上がらんばかりの勢いで絶叫した。
翌日、月曜日の放課後、私立阿賀国際情報高校。 放課後のホームルーム終了のチャイムと共に2年C組のドア がガッと開く。「みんなお先──っ!また明日ね!」元気な声 で飛び出してくる少女。カバンを脇に抱えて走り出そうとする 彼女へ向けて、「関川ぁー!夏期講習の申し込み書類、机の上
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に置いたまんまだぞ!持って帰れ!あと廊下は走るな!」 担 任教師の呆れたような声が響く。遅れてクラスの皆の笑い声。 姫華マキナ──いやここでは関川真希は、恥ずかしそうにうつ むきながら、チョコチョコと小走りで教室に入り書類の封筒を 掴み取ると全力ダッシュで廊下に飛び出した。
「コケんなよ関川ぁー!」仲良しの男子友人が、もう廊下の端 へ消えようとしているマキナへそう呼びかけた。  マキナは階下へ続く階段を二段飛ばしで飛び降り、エントラ ンスの靴入れで急ブレーキをかけると、お気に入りのスニー カーを足にひっかけてケンケンで踵を入れていく。帰宅部所属 の別クラスの生徒たちが目を丸くしてマキナの勢いに圧倒され ていると、彼女はスカートの端を押さえながらスニーカーを履 き終え、再びダッシュして校門へ向かった。
 校門には先にホームルームを終えていたミッシーが所在無げ に外壁にもたれて待っていた。艶やかな少し癖のあるロングな 黒髪、整った目鼻立ちに切長の目。ブレザー姿にスラックスの 彼女は、立ち姿ひとつとってもモデルのような光を放っている かのようだ。マキナの騒がしい足音に気づいた彼女は、表情を 変えずに片手を上げて手を振る。
「ごめんミッシー! 担任の話が長くってさぁ!」 息を切らして手を合わせ、マキナは頭を下げた。 「いいの。あたしも今来たとこ。改めて昨日はありがとね」
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「ううん、こっちこそ。それで、アガキタイオンのマスクは やっぱりダメだった?」
「ん。夜中の電話終わった後も溶剤使ってやってみたんだけど、 ペンキは落ちないね。諦めて処分することにした。大丈夫、ま た作ればいいよ。それよりマキナんとこは警察から連絡来 た?」
「朝に来たけどお母さんが適当にあしらってた。そのうち一回 事情聴取に来て欲しいって。ミッシーのとこは?」 「お兄ちゃんがうまく電話とってくれて大丈夫だった。あたし のとこはさ、パパもママも厳しいから、揉め事がバレるとマズ いんだよね。お兄ちゃんはあたしにデレデレだから言うこと聞 いてくれるんだけど」
口を手で押さえてクスクスとミッシーは笑った。よかった、 事件のことはトラウマにならなかったんだ。とマキナは心の中 で安堵した。 二人は並んで会話しながら、下校路にあるバス 停まで歩いていく。
「んで、これから行っても良いのね? マキナん家」 「うー……寝坊したから片付け終わってないけど仕方ないよー ……。でも、体の採寸したらバイバイだからね? 頼むよ?」 「ふっふーん。それはどうかなぁ……」
眼鏡の奥のミッシーの瞳がキラリと輝く。
「うわーはは……やな予感しかしない……。薄い本とか探さな 29
いでね!? 絶対だよ!?」
 マキナは慌てて必死にミッシーに訴えかけた。その様子を見 たミッシーは更にクスクスと笑う。
「もー、意地悪だなぁ……。それはそうと、アガキタイオンの 衣装ができたら提案があるんだけど、いい?」
 笑いすぎて涙目になったミッシーは、眼鏡を外しハンカチで 目を拭いた後、真顔に戻った。
「何?」
「これ。次回のコスプレイベントのフライヤー、店に置いてあ るの貰ってきたの。『Nケット・コスプレステージコンテス ト』出ようよ、二人で!」 マキナが歩くあいだに取り出した A4のプリントを手に取り、ミッシーは応募要項に目を通す。
「これ、ステージ上でガチなパフォーマンスやるイベントじゃ ん……まさかマキナ、これに……」
 マキナは、えっへん、とでも言わんばかりに腰に手を当てて 胸を張った。
「そ。ステージでアガキタイオンのヒーローショーやるの!私 とミッシーで!」
 立ち止まり唖然とするミッシーの隣の車道をバスが通り過ぎ、 目の前にあるバス停へ停車する。それをきっかけにミッシーは 固まったまま口をパクパクさせてなんとか声を絞り出した。 「え、それ、楽しそう……だけど……あたし運動できないから
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衣装を担当したいけど……あと敵役とか……シナリオとか…… どうすんの……?」
 マキナはミッシーの手を取りバス停へ走って、ニパっと笑っ て言った。
「だーいじょうぶ! 好きなら何とかなる!」
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(高揚感のあるオープニングテーマ曲、提供で入る各社CMが 終わり本編がスタート)
「第4話 好きを貫け! 必殺! ミオモテアロー!」
夏である。県特別観光課職員の五頭大は、海開きを済ませた 村上市のとある海水浴場へ監視員の手伝いに来ていた。天気は 快晴、照りつける太陽と広がる青空、青い海。大は麦わら帽子 を外しパタパタと顔を扇ぐと監視塔から立ち上がって大きく伸 びをした。
「ん~~~!課長ぉ、ホントにこの海に異喪魑廟の連中が現れ るんですかぁ~?やたらと平和なんで俺もひと泳ぎしてきたい んスけど……」
大は片耳にあてたワイヤレスヘッドセットに間伸びした声で そう話しかけた。もちろん、送信先はエアコンの効いた役所の 特別司令室でアイスティーを飲みながらの岩船課長である。
「大丈夫よ、間違いないわ。奴らも人出を見越して、自分達が いちばん目立つ場所から悪のアピールをするに違いないわ」 「え~~、根拠は?」
「勘よ」
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「はぁぁ!? 何すかそれぇぇ!」
憤然と立ち上がった大は、しかしビーチパラソルの下で悲し そうな顔で子ども達のスイカ割り大会を眺めている男の子を見 つけ、顔色を変えた。
「課長、ちょっと気になる子がいたので行ってきます」
「やあ、どうしたんだい? 君はスイカ割りに参加しないのか い?」
大は、レジャーシートに体育座りをして鼻をすすっている小 学生の男の子に明るい声をかけた。男の子は慌てて目を拭い、 大に寂しそうに答える。
「うん……だってぼく、夏休みに入ったら引っ越ししちゃうか ら、いま思い出作っちゃったら余計にさびしくなるなぁ、っ て」
「なんだぁ、そうだったのか。お父さんの仕事の都合かい?」 「うん。ぼくのお父さん、鮭の孵化施設と漁をして働いてるん だけど、さいきん、育ててる鮭が誰かに盗られる事が多くて、 おまけに脅迫状みたいな手紙も送られてきちゃうもんだから、 危ないと思って仕事変えるんだ。友達と会えなくなるの、寂し いなぁ……」
大は怪訝な表情で男の子の話を聞いた。そこへ、彼の父母が 冷えたラムネを両手に持って売店から帰ってきた。
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「ああ、すみませんウチの子に気をつかっていただいて……。 そうなんです。来月早々に新潟市へ引っ越すんですが、この子、 親にも友達にも遠慮して最近ふさぎ込みがちで……」
「お父さん、俺は新潟県特別観光課の職員、五頭大です。宜し ければその話、詳しく聞かせていただけませんか?」(ワッ ショイワッショイ)
「まあ、警察にも相談したんですが、悪質な嫌がらせだという ことで、事件としては取り扱ってもらったんですけどね……ど うも一向に止む気配が無くて」(ワッショイワッショイ)
男の子は立ち上がって、お父さんの足にキュッとしがみつく。 「私もこの子も、村上の鮭が大好きで誇りを持って仕事してい るんですよ。ですけど、約半年間この状態が続いてしまってい るもので、身の安全が一番と判断して、断腸の思いで転職を決 めたんです。一体どうしてこんなことに……」(ワッショイ ワッショイ)
悔しそうに唇を噛み肩を震わせる父に、母がそっと寄り添い 手をあてる。
「くっ……一体誰(ワッショイワッショイ)がこんな事(ワッ ショイワッショイ)を……ってうるさいぞさっきから!シリア スな場面なんだからちったぁ静かに……」
大はがなりたてる掛け声の方向に向かって叫んだ……と、そ こには黒ずくめの男達に担がれた2台の神輿が接近してきてい
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た。いや……神輿の上に載っているのは、山積みになった鮭の トロ箱と、でっぷり太って軍帽を被った、5Lサイズはあろう かという派手なサーフパンツ姿の男性、豹柄のワンピース水着
に身を包み、羽根付きの扇子を振り回す仮面の女性だった! 「ガーッハッハッハ! 夏だ、祭りだ! ドロス共よ、盛り上 げて行けィィ! 鮭を撒けェェい! 鮭祭りだァァ!」 「おーっホッホッホ! そうよ!ビーチのクイーンはこのノミ スギー様をおいて他にはいないわ! 目立ちなさい、騒ぎな さァ──い!」
黒ずくめの男達がワッショイワッショイと神輿をゆすり、ト ロ箱から鮭を撒いて浜辺を練り歩く姿を見ると、大は眉間の皺 に手を当てて深いため息をついた。
「やっぱり異喪魑廟の連中か……。おい、お前たち!もう悪行 は許さんぞ!そこから降りてこい!」
 ピタっと止まる神輿。そしてゆっくりと旋回しながら、二人 を乗せた神輿が砂浜に降ろされる。
「あーら誰かと思ったら五頭の坊やじゃなーい。アンタもバカ ンスに来てたのね。ウフフ、暇な公務員だこと」 「ガハハ! 全くだな。しかしここで会ったが百年目、アガキ タイオンよ、戦いは鮭られんぞ! 吾輩は鮭の粕汁が大好きだ からな! あれ、冬の寒い日に熱々の粕汁にして食べると酒も 進むんだy」
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 スパァン!と何処からか取り出したスリッパでノミスギーは メタボス司令の頭を引っ叩き、首根っこを掴むと首投げで綺麗 に後ろに投げ飛ばした。
「はいはい! いつものありがとうございます! これが始ま ると尺が足りなくなるから嫌なのよ。さて、アタシ達が何のた めに鮭をばら撒いていたか分かる? 五頭の坊や?」
大は、不吉な予感に額の汗を拭う。一瞬の間を置いて、砂浜 の何処からか悲鳴が上がった!
「う、うわぁ!? シャチが! シャチが砂浜に出たぞぉ!」 砂浜の向こう側から砂煙を上げて何かが近づいてくる。大は 身構えると、「みんな! ここは危険だ! 早く避難しろ!」 と大声で呼びかけた。それを聞いた人達は蜘蛛の子を散らすよ うに砂浜から引いていく。
砂煙が近いてくる。砂浜にばら撒かれた鮭を飲み込みながら、 異様な影が姿を現した。
「シャーッシャッシャ! ノミスギー様、甦らせていただき誠 に恐悦至極!」、シャチの身体に手足の生えた怪人、シャチズ モだ!
「来たわねシャチズモ。鮭を生け贄に貴方を甦らせる儀式、わ りと大変だったんだからね? キッチリ働いてアガキタイオン を倒してしまいなさい!」
 ピシィ!といつのまにか扇子を鞭に変えたノミスギーは、ま 36
だ目を回しているメタボス司令室を引きずって神輿に乗って消 えてしまった。あとに残るのは多数のドロス戦闘員とシャチの 怪人シャチズモだ。
「貴様がアガキタイオンか。ふん、ちっぽけな人間ごときが 我々に楯突きおって! やれい! ドロス共よ!」 シャチズモが手を振りかざし戦闘員に命令を下した!戦闘員 はフー!フー!という奇声を発して大に飛びかかっていく! 「負けるものか!親子の好きは俺が守る! 集着!」 大は両手をクロスさせ掛け声をかけた。一瞬のうちに光が集 まり、県北戦士アガキタイオンがその姿を現した! 「県北!」 戦士が拳を突き上げる!
「戦士!」 突き上げた拳、流れるような構えが決まる! 「アガキタイオン!」 閃光と共に空気が震えた!
【ナレーション】説明しよう。役場の心優しい青年職員五頭大 は、県北の民が救いを求める声に応じ、五頭山からもたらされ た神秘のパワーで県北戦士アガキタイオンへと変身するのだ。 戦え、アガキタイオン! 足掻け、アガキタイオン!
 ドロス戦闘員達は次々にアガキタイオンへ襲い掛かるが、足 場の悪い砂地を物ともしない彼は瞬く間に戦闘員達を薙ぎ倒し ていく。最後の一人を回し蹴りで吹き飛ばしたアガキタイオン
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だったが、戻す蹴り足に素早く影が纏わりついた。 「なっ! 速い!」
「シャーッシャッシャ! アガキタイオン、陸の上では大した 強さだが、海の中ではどうかな?さあ、水中の戦いとしゃれ込 もうではないか!」
シャチズモの大きな口がアガキタイオンの足をがっしりと咥 え、砂浜を猛スピードで引きずっていく! そして波打ち際で 高くジャンプをすると、沖の海中へとダイブした!
「シャーッ!海の中では戦えまい! このまま貴様が窒息する まで海の中を散歩してやる!」
動きを封じられたアガキタイオンは必死でもがくが、シャチ ズモの牙で捕らえられた足は外れそうもない。
「くっ、こうなったらアレしかない! 村上の鮭よ! 俺に力 を貸してくれ!」
 アガキタイオンが手を組み合わせ祈りを捧げると、彼の周り にどこから来たのか鮭の群れが集まり、その身体を覆っていく。 すると突然銀色の光が溢れ出し、鮭の群れは散っていった。光 が収まると、全身を銀色の鱗で覆い、鋭いヒレの刃を両腕に装 着した戦士が出現した!
「アガキタイオン・シャケフォーム!」
鮭の力を借りたアガキタイオンが、腕の刃で足に喰らいつい たシャチズモを切りつける!
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「シャー! な、何だその姿は!」
「これはお前が食い尽くした鮭の怒り、親子の涙が呼び起こし たパワーの化身だ! いくぞシャチズモ!」
 たまらず距離を取ったシャチズモは、怯みながらも水中で体 勢を立て直した。
「小癪な! 貴様もこの口で丸呑みしてやる!」  そう言うと、牙だらけの口をカッと開き、アガキタイオン目 掛けて突進を始めた。アガキタイオンは素早く泳いでそれを躱 すと、合掌させた両手を中心に水中で回転を始めた!
「この身をもって悪を滅する光の矢と成す! いくぞ必殺!  ミオモテ・アロー!」
 高速で回転しながら水中を突き進むアガキタイオンが銀色の 光の矢となり、シャチズモの牙をへし折りその身を貫く! 「ぐあぁぁ……バカなァァァ!!」
 回転と突進の勢いで海面に飛び出したアガキタイオンの後ろ で、爆発と共に大きな水柱が上がる。キラキラと水飛沫を浴び ながら浜辺に着地したアガキタイオンは、残心の型を取りなが ら叫んだ。
「県北の食は俺が守る! 足掻きまくるぜ、アガキタイオ ン!」
翌日。平和を取り戻した海水浴場に子どもたちの歓声が響い 39
ている。特別観光課のはからいで、再びビーチでスイカ割り大 会が開かれることになったのだ。招待した子ども達の中には、 昨日泣いていた男の子の姿も見える。楽しそうに笑いながらス イカ割りに興じるその子を見ると、大と岩船課長は笑顔を浮か べた。
「本当に、ありがとうございました。これで安心してまた鮭の 生育と漁に携わることができます。なんと感謝すればいいのや ら……」
昨日の父母が深々と頭を下げてお礼を述べる。
「大丈夫、お安い御用よ。これでまた立派な鮭を育ててくださ いね。美味しい塩引鮭、待っておりますわ」
岩船課長が笑顔で応える。その時、スイカ割り会場から歓声 が上がった。
「何かあったな! よし、待ってろよ!」
走り出す大。しかし勢いづいたその足が砂に取られ、派手に こけるとスライディングの要領で突っ込む! スイカに激突! 転がるスイカと入れ替わりに、目隠しをした男の子の振り下ろ す棒にヒット! 悶絶し悲鳴を上げる大!
一撃を喰らって頭の周りに星を回した大は言った。 「も、もうスイカ割りはこりごりだぜ~~!」
【ナレーション】子ども達の笑顔を守ったアガキタイオン。だ 40
が闇の組織の魔の手は、まだまだ県北に忍び寄ってくるぞ。 負けるな、アガキタイオン! 戦え、アガキタイオン! 足掻け!アガキタイオン!
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歓声が響き渡る。怪人達の前に現れた一人のヒーロー。司会 のお姉さんが会場の子どもたちに呼びかける。
「さあ、みんなで一緒に応援しよう!」
肩車してくれているお父さんのもじゃもじゃ頭をがっしり掴 んで空気をいっぱい吸う少女。「せーの!」「アガキタイオー ン!」大声で呼びかける。会場の子どもたちの声が一体となっ てステージへ届く。
「おう!足掻きまくるぜ! アガキタイオン!」 ヒーローがポーズを決めたあと、今まで悪行三昧をやって いた怪人たちをバッタバッタと薙ぎ倒していく。 「いたたたた!真希!髪の毛引っ張るなよぉ~!」  お父さんが困った声でそう言った。ごめんねお父さん、私、 すっごいワクワクしてるの。とっても楽しいの。カッコよくっ て諦めないヒーロー。お父さんとどっちが強いんだろう?
「マキナ! 休憩終わりだよ! さあ起きてお給仕!」  先輩メイド、沙耶の声がバックヤードに響く。パイプ椅子に 座って昼休憩していたマキナは、そのひと言で目覚めるとブ ルっと体を震わせた。首を傾けて仮眠していたせいで首筋が痛 む。うーん、と伸びをして首を回すと、マキナはテーブル上に
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置いていたヘッドドレスを引っ掴み、鏡も見ずに頭に装着した。 楽しい夢だったなぁ。マキナは少しにやけると、今はもうい ないお父さんのもじゃもじゃ頭越しに見えたアガキタイオンの 勇姿を思い出した。うん、身体に力が入ってくる。また今日の 夜、頑張って練習しよう。気合いを入れてマキナはホールへ向 かう。
 日曜午後のメイドカフェ『スライムC』は盛況だ。新潟市・ 万代のはずれにあるこのコンカフェでバイトを始めて丸一年に なるマキナは、その明るさと元気を売りにした接客態度で、カ フェ内のトップ3に入る人気を得ていた。男女問わず快活にお 給仕するその姿には、根強い固定ファンも多い。
「マキナちゃん、この前のトピコスの画像、ツイッターにあげ るけど許可大丈夫かな?」
「あ、斉藤さん! 当日はありがとうございました!」 「マキナっちー! 今度イベントで出るのいつー?」 「わ、パグ吉さんお久しぶりですー! 決まったらまたブログ で告知しますねー!」
「あの、こっちのオムライスに闘魂注入してもらっていいです か?」
「闘魂の方ですね! わかりましたお嬢様! いきますよ~、 セイっ! セイっ! 闘!魂!注入!押忍!」
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「ふーん、忙しそうじゃん、マキナ」
「はいお嬢様ー!いまそちらに伺いま……ってミッシー!?」  カフェ内の端にある一人用テーブルに、手をゲントウ組み (注:新紀元エヴアンジェリカに登場する司令官の決まりポー ズ)しながら座っているのは、ここ最近連絡の無かった三島恵 梨……ミッシーだった。
「どしたのミッシー、最近メールの返事も無いし学校でもすれ 違いだし、心配してたんだよ?」
 マキナは学校での昼休みにも姿を消し、放課後になるとダッ シュで帰るミッシーの事を本気で心配していた。 「体調でも崩したんじゃないかって……」
「ごめんね、最近ずっと衣装製作で徹夜っぽい生活だったから。 お昼は図書館で寝てて、放課後は速攻で帰ってた。でもね、ア ガキタイオンのステージ衣装、マキナの分、昨日仕上がった よ」
「うっそ!早っ!すごい、ミッシー!」 口の端をニヤッ、と 上げたミッシーは、テーブルの上の紅茶カップをクイっと持ち 上げると言った。
「だから、今日は息抜き。ついでにこの後、マキナの門下生さ ん達の戦闘員衣装の採寸と、ショーの練習でも見ておこうと 思って。ステージに立たない衣装担当の身だから、そこは義理 を果たしておかないとね」
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「うう~、本当に体調大丈夫なの? 徹夜大変だったんじゃな い?」
 マキナが目をうるうるさせて聞く。ミッシーはフッ、とかす かに笑うと、
「それはマキナもお互い様でしょ。昼休憩、仮眠してたの?  口の下によだれ跡、ついてるよ?」
「へ? え? あ、わわ、マジで!?!?」
ミッシーがコンパクトの鏡を取り出しマキナに見せる。する と、うっすらとよだれ跡のついた顔を真っ赤にして、マキナは バックヤードへ飛び込んでいった。
「あーあー、ホント可愛い奴だなぁ」
 それを見ながら席に近づいてきたメイドの沙耶が呟いた。 「あ、先日はどうもありがとうございました。おかげさまで助 かりました」
ミッシーは少し立ち上がり、スッと頭を下げる。 「いいよいいよ、あーゆー奴はキッチリ痛い目見とかないとね。 それより、聞いたよ。出るんだろ?Nケットのステージ ショー」
ミッシーはこくん、と頷く。
「当日はアタシらメイドも全員応援に行くからね。頑張ってよ、 衣装班!」
ニカっと沙耶は笑うと、ミッシーの背中をパンパン叩いて励 45
ました。少しムセながら、ミッシーはバックヤードから出てく るマキナを見つめて言った。
「ですね。あとはマキナ達がどう仕上がるか……」
夕闇迫る新潟駅の南口から少し離れたけやき通りとの交差点。 ふたりの影が並んで立っている。夏を目の前にした夕方の風は まだぬくもりを少し残して、行き交う人達の間をすり抜けてい た。
「お母様、またあの車で来るの……?」
ミッシーは、マキナの家にお邪魔した時の帰り道を思い出し た。マキナの身体を採寸した後で家探しし、同人誌の薄い本を 発見して読み耽っていた夜、家まで送ってくれたマキナの母の 車……ミッシーは思い出しただけで身震いをした。
「へーきへーき。今日は街中だからあんなに派手にしたりはし ないって。あ、来た来た」
 ブオオブオオ……と小気味のいい排気音が交差点に響き渡る。 矢のように飛んでくる一台の白と黒の塗装の車。「真希~! ミッシーちゃん!待ったー!?」
 急ブレーキをかけてスピンし、ふたりの目の先で停まったA E86の運転席から身を乗り出して、マキナの母が手を振った。
 新潟バイパスから49号線に入っても車のスピードは止まら 46
ない。そこそこの渋滞を縫うように潜り抜け、制限速度ギリギ リで疾走する車の後部座席で右に左に揺さぶられながら、ミッ シーはシートベルトを固く握りしめて冷や汗をかいていた。
「おおおお母様、もう少し安全運転でも構わないんですが… …。」
「大丈夫大丈夫!これくらいは鍛えてあるからこの車は負けや しないわよ?それより、真希は寝ちゃった?」
 いやそういうことでは無いんですけど、という言葉を飲み込 んでミッシーは暗い車内の隣に座るマキナを見る……と、この 揺れにも関わらず彼女はミッシーの肩に頭を預けてすやすやと 眠り込んでいた。
「寝ちゃってますね。すごいな、マキナ」
「この子も連日の稽古で疲れてるからねぇ。空手道場の門下生 の指導に加えて、ショーの練習でしょう?帰ってきたら台本の 修正と暗記で、まったく、いつ勉強してるのやら……。」
ミラー越しにマキナの母、希子がケラケラと笑う。 「これから行くの、ウチの元旦那が在籍してた空手道場なんだ けどね、ちょとノリが特殊だから、ミッシーちゃん楽しんでく れるかもしれないわよ?」
「特殊……?」、ミッシーは呟くように聞き返した。 「アタシも元旦那もいにしえのコスプレイヤーだったんだけど ね、その道場、究極的な目標が『波動拳を出す』だからね~。
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楽しい道場なんだわ」
「は? はどう……け……」
呆気に取られたようにミッシーはあんぐりと口を開ける。 「元旦那は真希が十歳の頃に海難救助中の事故で亡くなっ ちゃったんだけどね。真希の性格、アイツに似てるんだろう なぁ。明るくて、優しくて、元気で、バカでしょ?、この子。 7歳の頃に連れてったヒーローショーでアガキタイオンに憧れ てから、この子の父親はアガキタイオンみたいなもんだったか らね。毎週、録画したDVDを擦り切れるくらい見ちゃってて さ。辛いことや悲しいことがあれば必ず見てたなぁ」  希子は少し遠い目をしてハンドルを切る。シートの左右に弾 かれながら、ミッシーは自分にもたれかかるマキナの頭をそっ と撫でた。
「ミッシーちゃんもアガキタイオン好きなんでしょ?聞かせて よ、どんな思い出があるの?」
「思い出、ですか」
 マキナは車窓に流れる車のライトに目を細めて、昔の事を思 い出した。
小学校の頃、通っていたピアノ教室でも学習塾でも、あたし は周囲に馴染めていませんでした。もともと人付き合いが苦手 だったあたしは、そのどっちでもいじめに遭ってしまい、よく
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泣きながら家まで帰っていたのを覚えています。  そんな日常が変わったのは7歳のときでした。とあるショッ ピングセンターの敷地内にあった学習塾から、親の迎えを待た ずに歩いて家に帰ろうとしていたあたしの目に、ちょうどやっ てたアガキタイオンのヒーローショーが飛び込んできたんです。  あたしは、さっきまで自分がいじめられていた事も忘れて、 夢中でそのショーに魅入っていました。何だったかな、アガキ タイオンが、組織からつまはじきにされた怪人を助けて更生さ せるお話しだったかな。組織にいじめられて泣いている怪人に 優しく声をかけて、悪い方の怪人をやっつけちゃうアガキタイ オンの姿に、あたしは強い憧れを感じていたんだと思います。
ショーが終わって握手会が始まると、あたしは列に並んでア ガキタイオンに会えました。そのとき、今まで堪えてたものが 一気に溢れて、アガキタイオンに抱きついてわんわん泣い ちゃったんですよね。そしたら彼はあたしの頭を撫でてくれて、
「辛いことがあっても俺はいつも君を応援しているぞ。足掻き まくろうぜ。な?」って言ってくれて、それを今でも鮮烈に覚 えています。
 そう語ると、ミッシーは少し滲んで見える車窓の外から視線 を外し、そっと目を伏せた。
「ああ~! ミッシーちゃん~! 大変だったのねぇぇ!」 49
運転席で希子が号泣しながら片手でハンドル、片手でティッ シュを握りしめ、ずびび、と鼻をかんだ。ミッシーはその声を 聞くと苦笑いし、もう一度、マキナの頭を優しく撫でた。
「だからかな、あたしがアガキタイオンみたいなマキナのこと を親友だって思うようになったのも」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、ミッシーはそう囁くと、 再び左右に弾けつつ疾走する車内のシートベルトをぎゅっと 握って
「ですからお母様! もう少し安全運転でお願いします ね!!!」と悲鳴を上げた。
木造平家建てのこぢんまりとした空手道場『龍虎館』の前に は何台も車が停まっており、内部から漏れ聞こえる気合の入っ た声が活気を窺わせる。車から降りたマキナは、入口の木製の 引き戸をガラリと開けると、
「押忍! よろしくお願いします!」
と元気に挨拶して靴を脱ぎ始めた。それに続くミッシーと希子 の二人も挨拶の一礼をして靴を脱ぎ始める……と、ミッシーの 動きがそこで固まる。
「マキナ……この道場って……?」
 目の前の二十畳ほどの畳敷きの広間には、格闘ゲームやバト ル漫画で見たことのあるキャラクターが、空手の型や組手の練
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習を繰り広げていた。
「すご……みんな全員コスプレしてる……あ、アレって『スト リートフィストⅡ』の龍? あ、こっちは『羅刹の門』の睦月 八十八? うわ、『クイーンオブファイターズ』の京子もいる ……っていうか彼女学生服じゃん……なんなの、この道場…
…?」
圧倒されて呟くミッシーに、希子がウインクして答えた。 「言ったでしょ?ミッシーちゃんも楽しんでくれるかもって。 この道場の館長、亡くなった旦那とアタシの親友でね、コスプ レ格闘家なのよ」
呆気に取られて言葉も出ないミッシーを尻目に、「んじゃ ちょっと準備してくるね!」と、マキナは完全に目覚めた表情 でキラキラと笑い、更衣室へと消えていった。
 道場に用意された腰掛け椅子に座り、マキナが門下生に指導 しながら行う準備体操から基礎訓練、型の流れるような練習ま でを見ると、ミッシーは、ほぅ……と嘆息した。素人目から見 ても、彼女の身体能力と体幹の強さ、そして気合の入り方が伝 わってくる……ただし、その身を包んでいるのは女子プロレス の衣装ではあったが……。
「ほう、今日の関川は『ランブル・リリィ』の日ノ本陽菜か。 また粋なチョイスだな……」
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背後から渋い男性の声が聞こえる。すると道場の練習生たち が一斉に「押忍!」と叫んでミッシーの方を向いた。びっくり したミッシーは慌てて後ろを振り返る。
「初めましてお嬢さん。私はここ『龍虎館』の館長、月岡豪一 郎だ。関川がお世話になっているみたいだね、私からもお礼を 言うよ」
 そこには格闘ゲーム『剛拳』の主人公のひとり、光井カズヤ の道着に身を包んだ壮年の男性が立っていた。
「あっ、あたし、三島恵梨です。こちらこそ、お世話になって おります……って、カズヤの衣装の再現度高いですね。特に手 のプロテクターの材質とか質感とか……」
「えっマジ?分かってくれる!?っていうか君がミッシーか! うわぁ、関川が話してた通りのコスプレ好きか! いやぁ、お じさん嬉しくなっちゃうなぁぁぁ!」
 急に厳格な表情を崩してニコニコした月岡に若干怯みつつ、 ミッシーは苦笑いして彼が差し出した手を握り返した。「よっ しゃ関川、いっちょイイとこ見せてやれ! 例の約束組手やっ てみようか! 野日、豪田、穂根川、皆本、キース、練習の成 果を見せてやれ!」
 月岡はそう叫ぶと、柔軟体操をしていた五人の門下生たちに 指示を出し始めた。
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 マキナの周りを取り囲む五人の男女がじりじりと間合いを詰 めていく。中央のマキナはどの方向からの動きにも対応できる ように素早く目線を動かしながら、小刻みに揺れる構えで待ち 構えていた。 不意に、その五人のうちひとりが気合いを発し
てマキナに襲い掛かった。正拳二段付きからの上段回し蹴り。 その鋭さはかなりのもので、離れた位置にいるミッシーにも空 を切り裂く音が聞こえてくるようだった……が、その拳も蹴り も寸前のところで、後屈立ちに構えたマキナの受けに捌かれて いく。一人目を捌いたマキナは、次に襲い掛かる二人目に対し ては技の出鼻をくじくように踏み込んで、目にも止まらぬ中段 突きを叩き込んだ。
「え、あれ当たってませんか?」
ミッシーが心配そうに声を漏らす。月岡はふふん、と鼻を鳴 らしながら、
「大丈夫。ぜんぶ寸止めの約束組手だから、当たってるようで 当たってないんだなぁ。ほら、次は掴まれてからの逆転だぞ」 背後から素早く羽交締めで掴みかかった三人目だったが、マ
キナが後ろに放った股間蹴りで悶絶したように見せかけて倒れ、 次いで四人目は鼻先に繰り出されたマキナの右足二段蹴りに膝 を付いた。 残る五人目とマキナが相対する。間合いを取って 立つ五人目が気合いの咆哮を上げると、マキナは即座に駆け出 し飛び上がった。それに呼応するかのように五人目も駆け出し
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飛び上がる。二人の飛び蹴りが交差するその瞬間、 「アガキック!」
 マキナが叫んだ。そして互いに着地。膝を突き、次いで前に 倒れ込む五人目。残心の構えを取りつつ口上を叫ぶマキナ。 「足掻きまくるぜ! アガキタイオン!」
ミッシーは思わず立ち上がって拳を握りしめた。すごい、こ こまで身体が動くんだ。これでアガキタイオンのスーツを着た らどんなステージになるんだろう。ミッシーは自分の胸が熱く なり、鼓動が早まるのを感じるのだった。
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 ステージの左右に据え付けられたスピーカーから、アガキタ イオンのバトルシーンのBGMが鳴っている。マキナは吹き出 す汗を拭うことも出来ず、パニック状態の頭を落ち着かせるた め荒い呼吸を整えようと試みた。けど、駄目だ。次の動きが思 い出せない。構えを解けないまま、空白の時間が過ぎていく。 ステージ上に腹を押さえてうずくまっている戦闘員コスチュー ムの門下生は、(構わないで続けてください!)という意思を ハンドサインで伝えようともがいている。その周りには困惑し た動きの他の戦闘員たち。ステージの端には、さっきのアク
ションで接着が取れてしまった右肩のプロテクターが転がって いる。
「おいおい大丈夫かよー!」
「棒立ちでどうしたんだー?」
「事故か? セリフ忘れたか? おもしれ~!」
「学芸会のお芝居じゃねーんだぞ~!」
不思議だ。こんなに会場は騒がしいのに、野次の声はこんな にクリアに聞こえるなんて。こんなにステージの上は暑いのに、 かいている汗は冷や汗だなんて。観客席には不思議そうな顔で 私を見つめている観客ばかり。前列には泣きながら何かを叫ん でいるメイドカフェの同僚達がいる。堪らずマキナはマスクに
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覆われた顔をステージ袖に向ける。きつく目を瞑り、祈るよう に手を前に組み合わせるミッシーがいる。動け、動けと口を動 かしながら、身振り手振りで指示を出す月岡館長がいる。どう したら……私はどうしたらいい……?
「足掻け!アガキタイオン!」
 会場のどこからか力強い声が聞こえたような気がした。その あとを追うように、持ち時間終了のブザーが鳴り、イベントの 司会がステージに入ってきた。
「はい!途中アクシデントもありましたけど素晴らしいアガキ タイオンショーでした~!チーム県北さん、ありがとうござい ました~!」
 そのMCが終わった直後、マキナ……いや、アガキタイオン は、ゆっくりと膝を着くと、ステージ上にバタン、と倒れ込ん だ。
 その数時間前。 七月最終週の日曜日は、朝から快晴の猛暑 日だった。蝉の声も騒がしい鳥屋野潟に面した産業振興セン ター、そこで開催されている新潟最大の同人誌・コスプレイベ ント「NIIGATAコミックマーケット」。その会場入口に、 マキナとミッシーは立っていた。
「ミッシーはNケット久しぶりなの?」
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 キャリーバックをゴロゴロと引いて歩きながら、マキナはT シャツの襟元をパタパタとさせて扇いだ。ミッシーはノース リーブのサマーワンピースに大きめのマリンキャップを被り、 汗ひとつかいていないような表情でそれに続く。
「Nケットはね。中学の頃お兄ちゃんに連れてきてもらって以 来かな。しかも夏に来るのは初めて。暑いね」
 その割には涼しげな顔を変えずに、マキナの物よりひと回り 大きいキャリーバックを引いて歩き、ミッシーは答えた。「お、 コスプレ登録とステージショーの参加登録所だ。んじゃミッ シー、登録行ってくるね!」
エントランスの前に設られた折り畳み机でスタッフがあわた だしく準備を始めている。早めの会場入りをしたマキナ達は、 登録と参加料の支払いを済ませると、後から来る門下生の五人 を待ちながら、更衣スペースで衣装の調整と台本の再確認に
入った。
「家でさんざん着てみたんだけど、やっぱイイね。フィット感 が凄い。ウレタンボードで作った装甲部分の質感もそっくりだ し、それ以外のソフトエナメル生地の部分も再現度高いよね」  まだ混み始めていない更衣スペースで、アガキタイオンのマ スク以外を装着したマキナは、自分の身体のあちこちを確認し つつ軽く動いてみる。
「キッチリ採寸したからね。身体にはピッタリだと思う。そし 57
てこのために何回DVDを再生したことか……」 ニヤリ、と口の端で笑みを漏らしてミッシーはマキナの背中 にあるジッパーを上げた。
「そしてこのマスク。やっぱりヒーローの魂はマスクに宿るよ ねー。二代目アガキタイオンのマスク、心して付けさせて貰い ます!」
頭を覆うインナーをすっぽり被り、アガキタイオンのマスク を手に取ると、慎重な手つきでマキナはマスクに頭を収め、固 定用のバンドを締めて留めた。マキナの目の前の視界は、マス クに据え付けられたアクリル素材のバイザー部分に穿たれた穴 から見える範囲だけだ。多少息苦しくはあるが、過不足なく顔 にフィットするように縫製されたマスクの形状に、改めてマキ ナはミッシーの造形技術の高さを思い知るのだった。
ミッシーが首部分をマフラーで覆っていると、女性の門下生、 皆本が更衣スペースに入ってきた。
「押忍。ミッシーとマキナちゃん?だよね?一瞬本物のアガキ タイオンが居ると思ってびっくりしちゃった。今日は宜しく。 頑張ろうね」
成人部唯一の女性、皆本はそう言って微笑むと、キャリー バッグから取り出した戦闘員の衣装を広げる。
「ミッシーちゃんが作ってくれたこの衣装、他のみんなにも好 評だよ。ドロス戦闘員ってベースは同じだけど個別に細部が違
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うから、アレンジするの大変じゃなかった?」
「いえ、既製の黒いボディタイツををベースに、サバゲー用の タクティカルベストやボディアーマーを塗装して縫い付けたの で、実際の製作はマスクだけだったようなものです。マスク、 きつくありませんでしたか?」
ミッシーは皆本が衣装を装着し始めるのを手伝いながら言っ た。
「マスクどころかこっちもピッタリだよ。すごいね、私たちの こともガッツリ時間使って採寸してくれてたのはこのこだわり があったんだね。私も次のコスプレで見習わなきゃ。」
皆本はウインクしてミッシーを褒めた。その言葉にミッシー は一瞬恥ずかしい表情になりながらも、真剣な表情に戻って皆 本が履くブーツの留め金をとめていく。
「さ、これで大丈夫です。皆本さんもマスクを着けたら更衣ス ペースを出て、皆さんと合流しましょ」
産業振興センターの広い駐車場に設えられた野外ステージ。 本番前のわずかな時間で出演者達がそれぞれにリハーサルの順 番をこなしている。マキナと五人の門下生達も、本番の五分間 をいかに有効に使うか動線の最終調整を終えると、次の出演者 にステージを譲り、ミッシーと合流してPA(舞台音響)とB GMの打ち合わせに入った。
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ミッシーが用意したBGM素材データをPAスタッフが確認 調整している間、マスクを外したマキナは他の出演者達の様子 を見回す。
「ふんふん。あっちの男性グループは、『ウマ男子』のライブ ステージの再現か。んで、こっちの女子グループは……おおっ、 『刀姫乱舞』の殺陣やるのかぁ……メチャ楽しみ!」 「今やってるステージリハは『早松さん』のキャラでコントや るみたいね。あのアニメ面白かったな。ねえ、マキナ、あたし 達の出番は何番目?」
 マキナは貰った進行表をめくって出番を確かめた。「うん、 真ん中の三番目だね」
「なかなか良い位置ね。場も盛り上がってくれてる頃だし。上 手くいくといいね。」
 マキナは笑顔でサムズアップすると、PAスタッフの呼び出 しに答えて門下生達と一緒に機材ブースへ向かった。 「おー。やってるねー。おはよ、ミッシー!」
 ステージ下の観客席に、マキナのバイト先のメイドカフェメ ンバーが訪れた。メイド長の沙耶はミッシーに挨拶すると、 「今日はウチら最前列で応援するからね。頑張って最高のス テージにするんだよ?」
とミッシーを励まし、ビニール袋に入ったスポーツドリンクを 差し出した。
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「はいこれ。差し入れ。今日は暑いから水分補給キチンとする んだよ?」
「うわ、ありがとうございます。なんだか申し訳無いです… …」
ミッシーは袋を受け取ると深々とお辞儀をした。 「良いのよ。こう暑い日はコスプレ衣装の中も蒸し風呂だから ね。思い出すわぁ、夏コミで全身レザーのコスをやってた頃の こと……アレは動きづらくて大変だったわぁ……」  メイドカフェのオーナー、紫雲寺麗華が懐かしい目をして出 演者の面々を見つめる。沙耶は、
「まーた始まったよ、往年のオーナーの苦労話が」 と苦笑いしながら、もっと語りたさそうなオーナーとメイドた ちを引き連れて、
「んじゃ、出番待ってるからなー!ファイト!」
と手を振って去っていった。
ミッシーも笑顔で手を振り返し、改めてステージを見据える。  みんなが応援してくれてる。最高のヒーローショーにしな きゃ。
ミッシーはそう心の中で呟くと、マキナ達の方へ向かって歩 き出した。
「なんでやねん! もうええわ! 失礼しましたー!」 61
観客席からの拍手に頭を下げる早松さんコスプレの六人は喜 びのガッツポーズをとりながら向こう側のステージ袖へと引っ 込んでいく。ステージパフォーマンスが始まって二番目、予想 以上にコントがウケた事で、会場の盛り上がりは最高潮に達し ていた。
「面白かったな。さあ、次はお前たちの出番だぞ?」  応援に駆けつけてくれた月岡館長が門下生たちの背中をバン バンと叩いていく。汗だくの顔でスポーツドリンクの最後の一 滴を飲み干したマキナは、マスクを被りベルトを締めると気合 いを入れ直した。
「マキナ、衣装の具合と体調は大丈夫?」
ミッシーが心配そうな顔でアガキタイオンのマスク越しのマ キナに話しかける。日陰があるステージ袖とはいえ、正午近い ステージの上はかなりの気温だ。
「だーいじょぶ! 任せて!」
 マスク越しのくぐもった声とピースサインでそう応えると、 マキナはステージへと向き直った。スピーカーが一瞬ハウリン グを起こし、収まるとMCの明るい声が会場に響く。「さあ次 は、『チーム県北』による、『県北戦士アガキタイオン』の
ヒーローショーパフォーマンスです! 一世を風靡したヒー ローが繰り広げる熱いバトルをお楽しみください! では張り 切ってどうぞ!」
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(タイトルコールの後、オープニングテーマ曲無しで、一本だ け提供で入るCMが終わり本編がスタート)
「第10話 武者の力で立ち上がれ! アガキタイオン!(後 編)」
「ぐあああああああ!」
【ナレーション】異喪魑廟四天王最後の刺客、アシュラキラー の剣技に倒れたアガキタイオン。瀕死の状態で新発田城の三階 櫓から堀に落ちていった彼を助けたのは、地元新発田市のラー メン店の店主だった。変身の解けたアガキタイオン……いや、 もはや変身する力も残っていない青年、五頭大は、年季の入っ たラーメン屋の二階で目覚めるのだった。
「お、ようやく起きたかい、兄さん」
自らがアシュラキラーの凶刃に貫かれる悪夢で目覚めた五頭大 は、とたとたと階段を上がってきた初老の店主、宮町の声の方 を向いた。六畳一間の小さな寝室に敷かれた布団の上で汗だく で目覚めた彼は、胸の周囲が包帯でぐるぐる巻きにされている のに気づく。
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「大変だったんだよ。異喪魑廟の連中に支配されちまった新発 田市じゃ、満足な医療品も手に入りゃしない。仕方ないから、 強い酒で消毒したあと、裏庭のどくだみをすり潰して傷に当て させてもらったよ。包帯はまだ取っちゃダメだ。刀傷は、そう 簡単には治らないからね」
宮町はそう言うと、桶に張った水にタオルを浸し、固く絞っ たそれを丁寧に畳んで、再び寝かせた大のおでこに置いた。 「おやっさん、ここは……?」
「新発田市のしがないラーメン屋さ。あんた、アガキタイオン の人だろ? 新発田城のお堀の近くにずぶ濡れで倒れてたんだ。 ウチのかあちゃんが見つけて知らせてくれなきゃ、あんた今頃、 異喪魑廟の連中にとっ捕まってたろうよ」
「そうですか……俺は……負けたのか……」
大は濡れタオルに手を当て、額のそれを少しずり下げると目 を覆った。無言で後ろを振り向き階段を降りる宮町。その後ろ から鼻をすする音が聞こえる。
「なあに。若いうちは負けることばっかりさ。すこし寝たら腹 も減るだろうから降りてきな。美味いラーメン作ってやるよ」 大にそんな言葉をかけると、宮町はトントンと階段を降りて いく。
大の目を覆うタオルの隙間から、ひとすじの涙がつたい落ち ていった。
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夕暮れ時の県道21号線を、一台のリヤカーがトボトボ南に 下っていく。リヤカーを引くでっぷり太った人影は、辺りを キョロキョロ気にしながら汗だくの軍服の前ボタンを全開にし て、息も切れ切れにリヤカーを引き続ける。その荷台には、ふ て腐れたような姿勢で座る仮面を付けたボンテージ衣装の女性 の姿が。
「ノミスギーくん、キミは少しはダイエットしたらどうなんだ ね。やけにリヤカーが重いんだが?」
「はいアウトー。メタボス元司令、それってセクハラよ? … …まあ、セクハラを訴えようにも、アシュラキラーの奴に組織 を追い出されたアタシ達には訴える窓口も無いんだけどね… …。」
寂しそうにそう愚痴を吐く幹部……いや元幹部ノミスギーは、 大きなため息をつくと、ぐでっとリヤカーの縁に顎を載せた。 「しかし、我々よりもはるかに過激に県北の食を手に入れよう とするとはなぁ。普通、食い物の流通を支配するのに新発田市 の自衛隊基地丸ごと洗脳して市内封鎖する??? やりすぎ じゃないアシュラキラー? 異喪魑廟四天王最後のひとりだか らって首領にえこひいきされてない???」
 メタボスはゼエゼエ言いながらリヤカーの持ち手部分にもた れかかると、汗を拭き拭き道路に尻もちをついて座り込んだ。
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