5月14日(木) 新世界

早く目覚めて潤沢な時間が発生したため、交響アクティブNEETsの動画視聴に全て注ぎ込んだ。
愛する「東方project」のゲーム楽曲をオーケストラ編成でスタジオ収録する様子を映した、同人CDの販促動画である。昨日はザ(在宅ワーク)の傍らで一日中聴いた上、睡眠を削ってまで夜もずっと観ていた。異様なハマり様だった。

彼らを観ていると、個として演奏するのではなく一つの必須ピースとして曲に従事することの歓びが、全体風景からではなく一人一人の姿から直に伝わってくるような感覚になる。これは、本格的な演奏環境のわりに各々が私服であることが大きいと思う。
正装で揃えた一つの演奏体、ではなく強キャラの合同決戦のように見える。オタクっぽい人はきちんとオタクっぽいのも見ていて楽しい。

その魅力をブーストさせているのが撮影・編集のずば抜けたセンスだ。
一人一人が音を鳴らしている表情を臨場感たっぷりに映していくカメラワーク、パートに合わせた気持ち良いスイッチング。
アイドルやバンドを撮るアプローチに近いながらも、多様な楽器を生き生きと映していくのはオーケストラ動画ならではのこだわりという気がして非常に良い。
こんな動画はあまり見たことがなかったし、こういう風に見せて貰えればオーケストラって物凄く魅力的なんだなと気付かされた。

正直オーケストラへの関心を持ったことはあまりなくて、そういう機会があってもスルーしてしまっていた。それは申し訳ないけれど学校で金管バンドや吹奏楽部の発表を見せられていた時間がルーツだと思う。
ああいう場で選ばれる演奏曲やJ-POPは面白くないのに皆頑張っているから面白い素ぶりで聴いていなければならないという義務感が管楽器系の音色そのものに悪いイメージを付けたと思う。(そこに弦楽器が含まれていなかったことは救いだ。)

子供のうちにそういう刷り込みがあると改めて興味を持つのが本当に難しい。演劇や歌舞伎もそうだったなと思う。古典や数学や物理学や美術や調理実習、極め付けは体育、全部そうだった。人生とは学校で植え付けられた価値観を一つ一つ塗り替えていく営みなのだった。それは確かに楽しくはあるから結果オーライなのだが。

音楽に関しては一度もプレイヤーになったことがないから憧れの領域ではあったし今になって巨大なコンプレックスと化してもいるのだが、やっぱりこうして良さに触れると悲しいほどに羨ましく、鑑賞するにしても何の教養もないことに改めて絶望してしまう。そういう全てに手をつけていくことは出来るのだろうか、この短い人命で。

それはそうとしてこれは朝の日記なのだった。
上記の思案の他にはこの記事を読んだ。夜神月の判断基準をトレースして受験に成功した方の話。キャラになりきるために徹底的に研究するような漫画の読み方があるとは想像していなかった。こういう方向性の狂気に憧れる。

ザの始業前に外で日光を浴びていると、ここでザをすれば良いじゃないかという気になった。画期的な閃きだった。
キャンプチェアーとテーブルを出し、家の中からPCの電源を引き、巨峰カルピスを調合して準備完了。人生最高の仕事場が誕生した。

大音量でオーケストラを流しながらザをする。涼やかな風、暖かな日差し、大きな世界。
早くこうしていれば良かった。ザのストレスなんてものはこの程度の工夫で無効化出来たのだ。

そうやって意気揚々と過ごした人生最高の仕事時間は、気持ち悪い虫の登場によりあっけなく終焉を迎えた。
部屋に引き返すとやはりやる気がなくなったため日記を書く。オーケストラの話を昼休みに渡り長々と書いてしまう。

昼食を食べていると、何かを咥えている鳥の姿が窓の向こうにあった。外を見に行くとさっきの虫が見当たらなかったためあの鳥が食べてくれたのかと喜んだが、約10分後虫を再確認した。午後も部屋でザをする。
日記を書いてオーケストラを観て、友達にLINEしてベッドに寝転がり、たまにごちうさのキャラソンを聴きながらPCをいじる。これで給料が貰えるのだからザというのはやっぱり最高だ。と、精神状態の良い今日は思える。

PMSに伴う精神の変動を観測しながら認知行動療法的に抑鬱を和らげる目的で日記を続けてきた面も少なからずあったが、多分日記の成果もあってここ一ヶ月は比較的楽だったし、今日は一ヶ月で一番調子が良いゾーンだから筆も過剰に走る。顕著だ。まとめて読めば医学的資料になるだろうか。

夜は餃子。腹痛により頭痛薬イン。PassCodeを聴きながら皿洗い。生理が来た途端に世界がリセットされ、これから1〜2週間はクリアな精神で過ごしていける。ここはもう新世界なのだ。毎月新世界に突入していく。そう思ってみるとこの症候も悪くはなかった。

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