6月1日(月) 見えない花火

強烈なだるさに打ちのめされながらそれでも足は動く。2000年前に通っていた場所(会社の隠語)を目指し時の列車に乗り込む。
霧雨に煙る街が流れる。オーケストラを聴く。

2000年前に通っていた場所で2000年前と同じように銭を稼ぐ。労働が死語でなかった時代、人々はどうでもいい仕組みを作っては大真面目に回し続けている。

昼刻になり昼食を済ますと街へ繰り出した。
先週撮り終えたフィルムを写真屋に託す。
今日から再開したお店などを覗くと変な気分になった。懐かしさを期待して来たはずがそんなに懐かしくない。

2000年前の午後も忙しなく過ぎていく。全てがどうでもよく面倒臭い。
朝から頭痛の波を感じていたが無水カフェイン入り頭痛薬の摂取を自重しているため飲まずにいたがいよいよやばくなってきたため共用の薬箱に入っていたカフェイン控えめらしきものを試しに飲む。すると頭痛はぼんやり消えた。

ぼんやり作業をしながらあの人もそういうとこ素早い行動だったりするよな、などとぼんやり人のことを評価していて、やっぱり微量のカフェインが効いていると気付いた。隣人を素直に見直すような心を私が持てるのは無水カフェインがキマった時だけだ。

2000年前の日が暮れて時の列車に乗り込む。労働が死語になった世界へ帰る。
その前に昼の写真屋へ寄り、2000円払って自分の写真がプリントされた紙たちを買い取る。

「8時から花火が上がる可能性がある」と、去年一緒に花火を撮った同志から連絡が来ていた。こういう肝心な時に限ってTwitterをチェックしていなかったから助かった。

望遠レンズを付けた一眼レフとオールドレンズを付けたミラーレス一眼を待機させておく。8時まであと5分、3分、1分、来るか。

来なかった。

お風呂に入ってから現像した写真をゆっくり見て寝るとする。
今年も花火を撮れることを願う。

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