大人は誰でもはじめは子どもだった。
サン=テグジュペリは、『星の王子さま』の物語を、大切な友人レオン=ヴェルトに捧げています。その献辞の中にこの言葉があります。
この世のすべての大人は、はじめは子どもだったのですね。この人も、あの人も。そして自分も。
その人が子どもだった時のことを想像すると、なんだか、いつもと違う人のように思えてきます。
もし、今この瞬間に、世界中のありとあらゆる大人が、自分がかつて子どもだった時のことをいっせいに思い出したら、世界が一変してしまうのではないか。そんな気さえしてきますね。
1 原文を、英語訳と日本語訳を頼りに読んでみる
読書とは、時空を超えて、作品の世界の中で、読者が作者と内なる対話をすることと言われます。
それならば、通訳を介さず作者と対話をしてみたい。ほんの片言でも。どんなにたどたどしくても。対話の大部分は通訳に頼るとしても、肝心なところは直に作者から聴き取りたい。
そこで、英語訳と日本語訳を二段の足場にして、フランス語の壁を登ることにします。高さゼロから登るのは大変ですが、足場があるなら、そこから先に進んでいけばいい。
冒頭の文章を、サン=テグジュペリは、フランス語でこう書いています。
フランス語だけでは意味不明。しかし、英語訳と日本語訳を参照すると意味がわかってきます。今ここでの目的は、フランス語の勉強ではなく、翻訳で読んで感じ入った箇所を原文で再読し、新たな読書体験をすること。冠詞や活用などの文法は、とりあえず脇に置いておきます。
Toutes les grandes personnes ont d'abord été des enfants.
All grown-ups were first children
すべての 大人 最初は〜 だった 子ども
(Mais peu d'entre elles s'en souviennent.)
But few of them remember it
でも 彼らのうちのわずかだけが それを憶えている
これを再び日本語に戻してみます。
① まず、逐語的に
すべての大人は、最初は子どもだった。(でも、彼らのうち、わずかしか、そのことを憶えていない。)
②より自然な言い方に
大人はみんな、最初は子どもだった。(でも、そのことを憶えている大人はほとんどいない。
日本語の翻訳〜フランス語の原文〜英語訳〜日本語訳へと一回りしてみると、日本語でも、より確かなものとして理解することができました。
また、翻訳者がどんな工夫をして訳したのか、なんとなく察しがつくようになってきました。
2 フランス語で聴いてみる
これで原文の意味はわかりました。しかし、それでもなおアルファベットのかたまりに見えてしまう。詩的な物語という実感が湧きにくいです。
そこで、原文と照らし合わせながらフランス語で聴いてみました。すると、原作の美しさが身をもって感じられるようになってきました。
最初は無機的な文字列に見えても、朗読を聴くことで、だんだんと言葉の響きを感じ始めます。フランス語のリズムやイントネーションが安らかで心地よいです。
音楽にたとえるなら、それまで歌詞しかなかったところへ、実際に原語で歌を聴いた時のようです。
外国語の歌を聴く時、歌詞のすみずみまでは分からなくても、およその意味がわかると歌の感動が高まります。それと同じように、朗読を聴くことで、言葉の意味と声の響きが重なり合い、歌を聴くような読書体験ができました。
”Le Petit Prince”+"French"でネット検索すると、朗読の動画がいろいろ見つかります。ありがたいです。
数ある動画の中で、私がとりわけ好きなのは、French Your WayというYouTubeチャンネルです。このチャンネルの中で、フランス語教師のジェシカ(Jessica)さんが、コロナ禍で隔離された人のために、星の王子さまを毎日2章ずつ朗読してくれています。(コロナ禍のさなかに撮られています。)
身振りを交えて読む様子は、まるで、優しいおかあさんが家で子どもたちに読み聞かせをしているかのようです。実際、途中で赤ちゃんの泣き声が遠くから聴こえてきたりします。21章・22章の回では、なんと、赤ちゃんを背中におんぶしたまま朗読しています!
☆ YouTubeで、"French your way" + "Le Petit Prince" で検索できます。(フランス語原文へのリンクも貼られています。)
また、第三書房からは、『朗読CD フランス語で聴こう 星の王子さま』が2006年に出ています。朗読は、フランスの名優ベルナール・ジロドー。このCDには、サン=テグジュペリの貴重な肉声も収録されています。
なお、このCDには、今回取り上げた献辞は収録されていません。
3 自分だけの日本語訳をつくってみる
ひとたび元の意味がつかめれば、日本語訳をいろいろ作れます。自分にしっくりくる言葉を探せますね。日本語の表現を自由に飛び立たせてみるのも面白いです。
試しにこんな訳を考えてみました。(あまり自由になってないですが・・・)
日本語訳をあれこれ考えていると、頭の中の「日本語脳」が活性化される気がしますね。
① 打ち明けるように
大人だって、みんな、もとは子どもだったんだよ。(だけど、そんなこと覚えてる大人なんて、まずいないけどね。)
②丁寧な口調で
どんな大人の人でも、はじめは子どもでした。(それなのに、たいていの人は、そのことを忘れてしまっています。)
③独白的に
大人は誰だって、もともとは子供だった。(だが、それを、ほとんど誰も憶えていないんだ。)
④怒り気味に
大人ってな、どいつもこいつも、最初は子供だったんだろう。(でもな、たいがいの奴らは、それ憶えてねんだよ。)
まだまだ、いろいろな訳が考えられますね。
4 ついでに英語の勉強もしてみる
英語訳がたくさん出版されているので、比較すると英語表現の勉強になります。
☆いろいろな訳がネット書店で入手できます。
(1)Katherine Woods(キャサリン・ウッズ)の訳
1943年に出た最初の英語訳です。
英語圏では、長年にわたって、このWoods訳が読み継がれ、親しまれてきました。Woodsは作家で、彼女の英語訳には古風な言い回しが見られ、物語の叙情的な雰囲気をよく伝えているとの評判です。その一方で、訳し方が原文からやや離れ、自己流の表現に引きつけ気味だと言う人もいます。
ともあれ、英語圏では、Woods訳が長らく「王子さま」のイメージを作り上げてきました。
(2)Richard Howard(リチャード・ハワード)の訳
Woods訳に代わる現代訳となることを意図して、2000年に出ています。
Howardは、詩人、文芸批評家、随筆家、翻訳者、大学教授。フランスの文学作品を多数翻訳しています。自身の詩作がピュリッツァー賞の詩部門で受賞しており、文学者として多彩な経歴の持ち主です。
日本では、講談社英語文庫からHoward訳が出ています。(この本は、巻末に語注がついていて、英語学習に便利です。)
Howardの新訳が出たとき、Woods訳に慣れ親しんできた人の中には、違和感を覚え、なじめなかった人が少なからずいたようです。一方、最初から新訳を読んだ人は、そういうことはあまりなかったようです。
(3)David Wilkinsonの訳
フランス語・英語の対訳版のための訳です。2011年に出ています。「Woods訳から恥ずかしげもなく盗んだ」と潔く認めていて、Woods訳に似たところがあります。
この対訳版は、フランス語と英語の学習者向けになっていて、表から裏まで徹底して対訳になっています。しかも、行を揃え、下線を使うなどして、突き合わせがしやすくなっています。巻頭には、対訳版を使った外国語学習法の解説があるうえ、英語とフランス語の朗読CDもついており、学習に便利です。
(4)Gregory Normintonの訳
2015年に、古典シリーズの一冊として出版されています。この本には若者向けの解説が載せてあり、サン=テグジュペリや作品内容について簡明な説明があるほか、内容理解を問う8問の小テストまでついています。ちなみに、4〜6問正答だと「いつの日か自分のバラに出会うかもしれない」、7問以上正答だと「君こそ王子だ」とのこと。
(5)T.V.F. Cuffeの翻訳。
ペーパーバックでおなじみのペンギン・ブックスのモダン・クラシックス・シリーズの一冊として、1995年に出ています。
訳者によれば、原作は子どもたちに語りかけるように書かれているので、それが反映される英語訳となるよう努めたとのこと。
この本には、詳しめの解説がついているほか、『ある人質への手紙』も併せて収録されています。『星の王子さま』が戦争の最中に書かれたことを意識したとのことです。
(6)Irene Testot-Ferryの訳
名作を安価で提供することを使命としている出版社から、1995年に出ています。この記事を書いている現在、アマゾンで541円で販売中。ただし、中のイラストはすべて白黒です。
訳者は、無条件の愛をくれた夫に愛をもって(この翻訳書を)捧げる、としています。情熱的ですね。
以上のほかにも、英語訳はいろいろ出ています。アマゾンのKindle版でかなり安く買えるものもあります。
英語圏でこんなにたくさん翻訳されるのは珍しいのではないでしょうか。
どうも『星の王子さま』には、「自分が訳したい!」と思わせる不思議な魅力があるようです。
(6)まとめ
「はじめは〜だった、もともとは〜だった」と英語で言いたい場合、大きく分けると2通り、細かく分けると4通りの言い方ができることがわかりました。
① were 〜 first / were 〜 once
② started off as〜 / started out as 〜
5 さらに、英語の朗読も聴いてみる
英語訳についても、"The Little Prince"で検索すると朗読の動画がたくさん見つかります。これまた、ありがたいです。
聴き比べると、聴き取り能力の幅を広げるのに役立ちます。
私が好きなのは、イギリスの名優Kenneth Branagh(ケネス・ブラナー)が飛行士役、12歳の少年Owen Evansが王子さま役として朗読しているものです。Howard訳が使われています。
これは朗読劇仕立てになっていて、登場人物はみんな適役という感があります。みんないい味出してますね。アニメーションもよくできていて、サン=テグジュペリの挿絵を活かした作りになっています。音の効果もほどよいため、観て楽しく、聴いて感じ入ります。
構成がうまくできているので、英語が苦手な人でも、すでに日本語訳を読んで内容がわかっているなら、日本語訳を脇目で見つつ朗読を楽しめると思います。洋画を日本語字幕付きで観るのと似た感じですね。
なお、献辞の部分は朗読されていません。
6 世界のどこかにいる日本語学習者のために
この記事は、日本の片隅でひっそりと書いているのですが、ひょっとして、いつの日か世界のどこかで、これを読んでくれる日本語学習者が現れるかもしれません。そこで、日本語学習の参考になることを書いておきます。
(なるべく日本語能力試験(JLPT)のレベルに対応させてみました。)
N5レベル
Otona-wa minna hajime-wa kodomo deshita
おとなは みんな はじめは こども でした
grown-up(s) all first child(ren) were/was
(All grown-ups were first children)
N4レベル
・漢字を使ってみましょう。(かんじを つかって みましょう。)
大人は みんな 初めは 子供/子ども でした。
N3レベル
・別の言葉で書き換えてみましょう。(べつの ことばで かきかえて みましょう。)
大人は みんな 初めは 子どもでした。
みんな : 誰でも(だれでも)、誰だって(だれだって)
初めは : 最初は(さいしょは)
N2レベル
・「〜のです」を使うと、説明するような言い方になります。
大人は みんな 最初は 子供だったのです。
・話し言葉では、「〜んです」がよく使われます。
大人は みんな 最初は 子供だったんです。
N1レベル
・堅苦しい言い方
大人というのは、誰しも最初は子供であったのです。
・くどくどしい言い方
大人というのはですね、誰も彼もみんな最初は子供だったのですよ。
・くだけた会話ふうの言い方
おとなって、みんなはじめは子どもだったんだよね。
最後に:次回から、各章で印象的なところを取り上げていく予定です。