祖母の話

祖母が亡くなった。

そのことを聞いたのも実際亡くなった日から少し時間が経過していたり、親族のいろんなことがあって、亡くなった祖母を目にしたのは数日経過してからだった。

悲しいという思いはあるが、悲しみに打ちひしがれるほどではなかった。
近所に住んでいたから、幼い頃から高校生ぐらいまでは、お盆や正月にはよく顔を合わせていた。
おはぎを作るのが上手くて、美しいおはぎではないけど、餡子も餅米もたっぷりのおはぎはボリュームがあって、いつ食べても満足していた。
みんなが、祖母のおはぎが好きと言うから、お正月でも忙しい中、作る人だった。

踊りが好きで、派手で、若作りで、お酒が好きで、腰が曲がってて、 とても不器用すぎて、祖母が気にかけてした行動に対して、父や叔母、叔父からいつも「(やらなくて)いいよ。」と言われていた。

そんな祖母だからか、祖父が肝硬変で入院して亡くなる時期も、なぜか10万ぐらいするバッグを買ったと病院に持ってきたり、派手でアクセサリーを買ったと言っていたり、私にとってはこの人おかしいのではないかと感じていた。
今の状況をちゃんと把握できてないのではないかと。

祖母の出棺をする前に、棺の中に花を入れる場面で、叔父と叔母が声をあげて泣いていた。父は冷静にその様子を見ているように見えた。
その時の空気に触れて、私は今回初めて涙が出た。
祖母とのお別れというよりも、叔父と叔母の泣いてる思いにつられてしまったのだと思う。
どこかで、私は、祖父が入院した時に10万のバッグを買った女という思いがあった。

葬儀を終えて、実家でお酒とご飯を食べた。家族で祖母の話をして時間を過ごし、私は自宅に帰ることにした。

帰りのバスは、ディズニー帰りからの直行のバスで、クリスマスということもあって混み合っていた。

1人になった安堵からか、涙が止まらなく流れてきた。
周りはクリスマスを楽しんでいる人たち。
しかし、祖母のことを考えると、あの時泣けなかったからか止まらなく泣けてくる。

私は祖父が好きだったのもあって、許せなかった。
お酒飲んで病院に来たり、そんな時に高価なものを買っていたり。

でも、もしかしたら、そのぐらい自分を狂わしたり麻痺させないと辛いことなのかもしれないと、この帰り道に思った。
配偶者が死に向かっていることを正気に保てなかったのかもしれない。
軽蔑した目で見てしまっていたが、祖母は祖母なりに大変だったのだろう。

不器用で、みんなに色々言われて、自分の思いを潰して、そういることでみんなの輪が保てるなら良いと思っていたのだろう。

ばーちゃん、おはぎ美味しかったよ。
でかくて美しいとは言えないけど、この世で1番美味しいおはぎだった。
ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?