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〝宗教〟って何? 〜起源編〜

代表の白川ことニモ🐠です。

海外に出るようになって、大きく常識が壊されたものの1つに宗教への理解があります。
ニモ自身は、儀式的仏教の家庭なので、〝宗教〟というものへの信仰心は、正直薄いです。

私の中で、宗教のイメージを大きく下げてしまった原因として、
オウム真理教があり、子供心ながらになかなか衝撃的な出来事でした。

それ以降、あまり興味を持てずに生きていましたが、様々な海外に行くようになり、
〝宗教〟とは、人にとって、どういうものなのか、感じられるようになってきたのです。
(ちなみに、今も私は特定の信仰はありません。周りには「ニモは、白川教だよね」と言われますが。。。)

宗教はなぜこの世に生まれたのか?

世界の色々な国に行くと、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教など、様々な人に出会います。

海外の方は、「一緒に信じましょう」というプレッシャー無しに、自身の宗教を解説してくれるので、日本では聞けなかったことを丁寧に教えてくれました。

各宗教の詳細は、別に書くとして、
どの宗教にも共通して感じたことは、昔々まだ世の中に小学校も無く、多くの民衆がなんとなく生きていた頃、
学も力も無い迷える子羊達を正しい方向に導き、平和な秩序を形成しよう〟
という目的意識です。

どうやって導き、秩序を作るのかと考えた当時の頭良き人は、
良き行いをすれば、神が生きている間も、死後も、安らぎを与えてくださる。良き行いとは、こういう行為や思考のことです……教典につづく…

といった行動規範です。
どの宗教の教典(経典)にも、「こういうことをしてはなりません。こういうことをしなさい。」と事細かに記されております。

特にイスラム教は、元々商人が教祖だったそうで、実に細かな教えが書かれていると聞きます。

例えば、
「お酒を飲むな!」も
実際は、「飲みすぎると良くないから、ほどほどにしなさい」と書かれているし、

「金利を取ってはいけない!」も
実際は、「楽して稼ごうと思ってはいけないよ」という意味だそうです。

イスラム教で有名なラマダン(断食)も、
実際は、健康のために始まったもので、実は元祖キリスト教に近いエチオピア正教にも全く同じ習慣があるし、仏教にも精進料理や断食の教えがあります。

こうして、道徳の教科書とおばあちゃんの知恵袋的な役割を持つ行動規範として生まれた宗教ですが、
いつの間にかその真意が失われ、
人間の不安や恐怖を和らげる心の拠り所としての存在に変化していったのです。(たぶん)

ここにさらに政治的な利用が混じり合い、派閥が分かれ始め、こんにちに至るように、様々な教えが生まれたのです。

以上のように、宗教とは、ただただ神がかった理解できないものではないのです。

宗教と聞いて、嫌厭したり、タブー視したりするのではなく、
どんな教えなのか、信仰者は何を信じているのか、何を守っているのか、
各宗教について興味を持ってほしいと思います!


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