8月14日
本日、Amazonプライムでシンエヴァンゲリオンを視聴しながら、わたしは映画とは無関係の色々な思索をしていた。 これは映画に集中していないというわけではなく、むしろその反対で、 わたしが作品に没入している証拠である。
シンエヴァンゲリオンの視聴は、本日が二回目。
わたしはいつも、なにかの作品に真剣に見入っていると、自分の精神世界にいつのまにか入っている。作品の鑑賞を通して得られるエネルギーが、わたしの脳に刺激を与えるようだ。鑑賞する作品の精度(清度)が高ければ高いほど、思考がより深いところまで行き着くような気がする。
今回のシンエヴァンゲリオン鑑賞中には、①自分自身の作品の向かう先について②過去の自分の作品について(良くない点が洗い出されていった) 、考えが 駆け巡った。
劇中の音楽(主に、合唱曲、オーケストラ曲の時)が鳴るたび、斬新なのに既視感を覚えるアニメーション(実写映画のようなアングル、手持ちビデオ越しに街を映す、シンジの巨大な顔が横たわる、シンジが衝突した拍子に空や部屋がドラマのセットのように崩れる、下書きのままのコマ、等など)が映るたび、わたしの脳は刺激され、わたしは精神そのものになった。
一度目の視聴時は、映画館で観た為か、ただただ圧倒されて、進行について行くのに必死だった。途中で幾度も理由のわからない涙を流しながら観ていた。
今回の視聴で、シンエヴァンゲリオンがやっとわたしの中でストンと腑に落ち、話の片がついた。
わたしにとってのエヴァンゲリオンは、本日にして全て終わった。