ラマダンの月の思い出
今年は3月10日からラマダンの月が始まっているようだ。
ラマダンとはヒジュラ暦の第9番目の月の名前。
ヒジュラ暦とは西暦622年に預言者ムハンマドがメッカからメディナへhijrah(移住、聖遷)した年を基準にした暦のこと。(もし間違っていたらごめんなさい)
イスラーム教徒はこのラマダンの月に断食を行う。
日の出から日の入りまでの間、一切の飲食(唾を飲み込むことさえも)が禁止される。(そのほかにも禁止事項はあるが割愛する)
私は特定の宗教への信仰心を持っていないが、マリのバマコ に滞在した時、ラマダンの月に断食を試みた。
「イスラーム教徒でもないのになぜ?」
当時現地の人に「私も断食している」と言うと、「イスラーム教徒なのか」と問われ、違うと答えると必ずこの質問をされた。
まあ、それはそうだろう。変だよね。
30日間の断食とはどういうものなのか、したらどうなるのか、自分にできるものなのか、という、単純な疑問というか探究心が、理由といえば理由だった。
教徒の方々には失礼かもしれない。
失礼だったかもしれないが、30日間の断食を私は全うした。
急にそんな慣れないことをして、それでも大丈夫だったのは、当時の私は働いていなかったからだと思う。何にもしなくてよかったから。
この期間は経済活動も停滞し、街全体がなんとなく静かになる。
ストリートの宴もぐっと減り、ミュージシャンやグリオの仕事が激減する。
活動が停滞するからなのか、モノの値段は高くなる。
断食のことをバンバラ語でスンといい、一日の断食の終わりをスンティゲという。
スンティゲにはケンケリバを飲み、デーツ(ナツメヤシ)を食べる。(ああ、デーツをバンバラ語でなんというか忘れてしまった…)
デーツはとても甘いので普段はほとんど食べていなかったが、スンティゲのデーツの甘味は身体にしみるものがあった。
私はとにかく水分が欲しくて、しかも冷たいのが欲しくて、毎日氷を手に入れるのに奔走した。ケンケリバも、一応身体が驚かないように温かいものから始めるが、そのあとは氷に入れて(氷を入れて、でなく)冷たくして飲んだ。
冷蔵庫を持っていなかったから、毎日氷を買いに出るのだが、どこへ行ってもない、ということもあり、ああもうそのためならなんでもする!とまで思うほど冷たい水分に飢えていた。結構遠いところの知らない家の台所まで行ったこともある。
ちなみに、冷蔵庫は食品保管のためでなく、売るための氷や水(これも凍っているのだが氷〜水の状態で売る)、ダビリニ(ハイビスカスジュース)、ジンジンベレ(ジンジャージュース)、トミジ(タマリンドジュース)などを入れるものとしてのみ使われていることが結構ある。
断食の最中も、スンティゲの時も、食べ物については、あれが食べたいこれが食べたいとは全然ならなかった。
マリにいても特に日本の食べ物が恋しくなったりもしない方だったので、食べ物にはあまり執着がないのかもしれない。
古い写真を見ていたら懐かしさがこみ上げてきてしまった。
隔年にブルキナファソのワガドゥグで開催されているアフリカ映画祭「FESPACO」の、次回開催は2025年。この映画祭には前々から行きたいと思っていていまだに叶っていないのだが、その開催に合わせてワガドゥグとバマコ に行けたらいいなあと思っている。まったく目処は立っていないのだけれども。
ミネコ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?