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これからのジャズにはアフリカン・アメリカン由来のロジックから解放するデザインが必要というシオ・クローカーの意見は重要だ

「ローリング・ストーン・ジャパン」の柳樂光隆氏によるトランペット奏者のシオ・クローカー氏へのインタヴュー記事。

シオ・クローカー氏が2019年にリリースした『Star People Nation』はグラミー賞にノミネートされている。

そんなシオ・クローカー氏がジャズへの距離感を語っている続編となっていて、興味深い発言がいろいろあった。

まず、執筆者の柳樂光隆氏はシオ・クローカー氏の発言について「70年代のレジェンドたちのような発言も少なくない」と指摘しているところがそうだ。

シオ・クローカー氏はまた、アメリカでジャズが軽んじられていること、音楽という文化が総じて軽んじられている、と。

だから「『ジャズ』って言葉を使いたくないんだよ」と吐露している。

そして、使いたくない気持ちを変えるためにウィントン・マルサリスは“教育”という手法を選んだとしているが、アメリカではそもそもがhearするものでlistenではないジャズに対して、その手法の効果が疑問であり、だけれども「ジャズはじっくり聴くべき部分もある音楽だと僕は思っている」と、逡巡する心の内を明かしている。

2010年にシオ・クローカー氏を“発見”して導いたディー・ディー・ブリッジウォーター氏(ジャズ・ヴォーカルのレジェンド)は、彼のアルバムをプロデュースする際に「ストレートアヘッド・ジャズにはしない」との取り決めだけをしたのだそうだ。

これは、アメリカでジャズを前面に出すことの(マーケティング的な)デメリットを端的に表していると言えるだろう。

彼女の言葉は、シオ・クローカー氏が漠然と抱えていた方向性への不安を明確にし、それをきっかけにハイブリッドな音楽性を発揮していくことになる。

そして、アフリカン・アメリカンのコミュニティとジャズの関係を“問題”ととらえるのではなく“デザイン”と捉えるという発言はとても重要だと感じた。

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