8magic

「美意識主導型」の視点で発見した洞察により社会課題の解決を目指しています。文学、言語学…

8magic

「美意識主導型」の視点で発見した洞察により社会課題の解決を目指しています。文学、言語学、歴史学、哲学、心理学、倫理学、宗教学などをベースとしています。Bloggerでも書いています。(英語) https://8-magic.blogspot.com

最近の記事

種まく人。

「草花」と「雑草」には生物学的に明確な区別があるわけではなく、非常に相対的なものです。同じ植物でも、文化的背景や個人の価値観によって、有用な草花とみなされたり雑草と判断されたりします。例えば春の七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)は農家からすれば畑の雑草と見なされがちな植物です。しかし、高級デパートで「春の七草セット」 として販売されているところもありますし、一部の農家ではデパートに出荷するため栽培しているところもあります。つまり、扱い方や考

    • 正射必中。

      弓道には正射必中という言葉があります。「正しい射法であれば必ず中る。」という意味です。私は弓道をやったことはありませんが、呼吸に合わせて、正しい体の使い方ができていれば、的にあてようと頑張らなくても、自然と的にあたるそうです。確かにすらっとした女性の弓道家もいますし、年老いた達人もいます。逆に強引に引こうとすると、ムキムキマッチョでも苦労するそうです。 アリストテレスのニコマコス倫理学によれば、徳(アレテー)というのは、中庸(メソテース)の状態の時に現れると言われています。

      • ムンクの叫びは届かない。

        AIが最後まで人間に取って代われない事はなんだろうか?という問いについて、探究を続けています。思索を重ねて行くうちに、いくつかの答えが見えて来た気がしています。次のステップとして、私の考えを他人に説明し、議論を深めていくことが大切だと思ってるのですが、ここにまたハードルがあります。抽象的で概念的、そして不確定要素が多いテーマのために言語化が難しく、言語化できたとしても回りくどくて難解な表現になってしまうからです。そんな試行錯誤を繰り返す中で、こんなストーリーが浮かびました。

        • 自由在不自由中

          私達は、金、時間、法律、人間関係等々、ひどく鬱陶しい制約の中で生きている。これらは多くの場合、人から自由を奪い、新たな発想を失わせる。一方、福沢諭吉は「自由在不自由中」という言葉を残している。つまり、制約があるからこそ創造性が発揮されるということである。 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、短命の中に凝縮した濃厚な感性で、後世に名を残す偉大な作品を残した。苦しい精神的な制約があったからこそ、普遍的な美を生み出すことができたと言える。 産業界おいても、ヒト・モノ・カネの厳しい制

        種まく人。

          VAR離婚

          今夜のイラン戦、残念ながら負けた。イランの方がチャンスを多く作っていたし、潔ぎのよい結果だったと思う。 サッカーにVARが導入されて誤審が少なくなった。ジャッジの透明性や公平性が増し、プレー自体もクリーンになってきたと思う。悪質で危険なファールが減り、大怪我のリスクが低下したと思う。審判の目を誤魔化そうと、大げさに転げ回る醜いパフォーマンスも少なくなった。 良いことずくめな一方で、一抹の違和感というか、興ざめというか、そんな場面がある。審判が指でボックスを描き、選手達が神

          ゆきちの泪。

          「権理(けんり)」という言葉をご存知だろうか。明治時代、欧米から多くの新しい概念が日本に持ち込まれたが、その中に"Right"という言葉があった。 Rightは「権利」と和訳され、現代でも広く知られている概念だが、これに異を唱えたのが福沢諭吉である。彼はRightを権利ではなく、権理と訳すべきと主張した。 いったい権利と権理、この二つの言葉にはどのような違いがあるのか。 福沢諭吉はRightの概念を「権利」ではなく「権理」あるいは「権理通義」などと訳し、用いている。 通義と

          ゆきちの泪。

          有限の幽玄。

          物事の本質を考えれば考えるほど、発想は高次になり、抽象性が増していく。 私は仕事柄、自分の考えを英語でも伝えなければならないのだが、深く複雑な思考から生み出した日本語の文章を英語に変換する作業にはなかなか苦心している。気取るつもりはないのだが、日常的に使われるような英単語やフレーズを使った場合、言葉に重みがなく、安っぽくなってしまうからである。特に強く主張したり、批判したい場合、無用に角を立て過ぎないためには、それなりに格調高い文章が求められる。それには剛と柔、硬と軟、動と

          有限の幽玄。

          ものさし。

          「世界一高い山は?」と聞かれたら、小学生でも「エベレスト」と即答するだろう。標高8,848m、正確に言えば8,848.86mを誇る、言わずと知れた世界一の高峰である。しかし、これは正しくもあり、誤りとも言える。 「標高」とは一般的に「海抜」を指す。つまり海面からの距離である。しかし海抜が高さを測る唯一の基準なのだろうか。下の図を見て欲しい。エベレストは海抜8848.86mだが、「麓」から測った場合、5,200mに留まり、5,600mのキリマンジャロに及ばない。そしてキリマン

          ものさし。

          絶対はある。

          世の中に絶対という事はないと言うが、実は絶対はある。特にビジネスにおいては、「絶対」という断定的な言葉には相応のリスクが伴うため、敬遠されがちである。しかし、躊躇なく「絶対」を使うべき場面がある。 一つは、自分の価値観や感性を一方的に否定された場合である。それらを否定することは人格や存在を否定することに等しい。そんな場面では冷静沈着さを保つ必要などない。例え相手が誰であれ、大いに怒り、「あなたは絶対に間違っている。」と断言しなければならない。1ミリの余地も残さない絶対否定の

          絶対はある。

          太陽のレシピ。

          この世界には80億人が暮らしていて、80億通りの考え方や価値観がある。その事実を分かっていながらも、自分の考え方や価値観こそが正しいと考えてしまいがちである。これを戒めるために、「相手の立場に立って考える」ということがよく言われる。言うが易し、一筋縄に到達できる境地ではない。なぜなら、真に相手の立場に立った場合、自己が否定される場合があるからである。従って、自分の考えが否定されることを恐れず、受容するエネルギーが必要となる。このエネルギーをどう産み出すのか? エネルギー生産

          太陽のレシピ。

          In-Ei-Lai-San

          日本人の美意識を語る上で、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を外すことはできないだろう。私がまだ二十歳の頃、本屋で暇を潰していた時に、ふと、この『陰翳礼讃』を手に取った。なぜ手に取ったかといえば、「谷崎潤一郎→春琴抄、細雪」と、高校時代に機械的に覚えさせられた記憶と、「陰翳礼讃」というタイトルに何とも言えぬ艷やかさを覚えたからである。冒頭は次のように始まる。 当時は美術などには全く興味がなく、こと日本の伝統美などというものは、古臭くてつまらないものという認識しかなかった。そんな美的セ

          In-Ei-Lai-San

          草書を読む。

          私は半年くらい前から書道を始めました。これまではずっと楷書の訓練をしていましたが、本日ようやく行書や草書の訓練が始まりました。先ず筆の種類が変わりました。長くて柔らかい筆を使います。筆圧を変化させやすく、太さを自在に変化させることができます。また、緩急をつけやすく、連続的な曲線を描くのに向いています。コントロールは難しくなりますが、自由度が増します。楷書、行書、草書、それぞれの特徴と美しさがあります。この違いを組織に当て嵌めて考えてみました。 楷書はしっかりと正しく字を写す

          草書を読む。

          自由、死の床にて。

          内面を見つめる機会が失われていくように感じる。SNSの投稿や検索履歴から自分の性格や嗜好を推測してくれるアルゴリズムに慣れすぎ、自力で心の奥底を掘り下げるアルゴリズムがうまく機能しなくなっている。自己探求のプログラムコードに、「この場合は他人と比較して判断せよ」というIF文が大量に書き込まれ、無限ループを引き起こしている。この種の不具合はリベラルアーツが修正してくれる。 アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』を読んでみる。「人生には本質的な意味がない」という実存主義を説

          自由、死の床にて。

          ネガティブ・ケイパビリティ

          19世紀初頭のイギリスに「ジョン・キーツ」という詩人がいた。キーツは自然へのあこがれや、美しいものへの憧れをテーマに、旋律的で音楽的な詩を書いた。「美は真実、真実は美なり」という言葉が示すように、キーツは美の追求を信条としていた。 しかし一方で、キーツは若くして病気がちで、25歳の若さでこの世を去った。その短い生涯で残した詩は後世に大きな影響を与え、ロマン主義文学を代表する詩人の一人となった。では、キーツ本人は自分をどう観ていたのだろうか。 詩人は職業と見做されにくい存在だ

          ネガティブ・ケイパビリティ

          行動テック

          行動科学は、人々がどのように考え、感じ、行動するかについての洞察を与えてくれる。この学問は、社会問題に対処するためのより効果的なプロダクトやサービスの設計に役立ち、多くの場合、テクノロジーとの相性が良い。 パーソナライゼーション 個人やグループに関するデータを分析し、その人特有のニーズ、動機、偏見に合わせた行動改善を提案することができる。 スケーラビリティ 費用対効果の高い方法で大規模なグループに対しての行動介入を可能にする。これにより、集団の行動変容を目的とするよう

          行動テック

          歴史が紡ぐ糸

          5〜6世紀の中国、南北朝時代。南朝の首都建康を中心に流行した「子夜歌」という五言絶句があります。 中島みゆきの「糸」を連想しませんか?すれ違う恋を縦の糸と横の糸に喩えた美しい表現に、現代の私たち日本人は心動かされます。遥か昔の異国の人々にも同じ心の情景があった。美的感性は時空を超える。なんとも言えぬエモさを感じます。 もしかして中島みゆきはこの「子夜歌」を参考にしたのではないか。子夜歌がなければ「糸」は生まれなかった。映画『糸』での共演が縁となった菅田将暉と小松菜奈が結婚

          歴史が紡ぐ糸