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対談屋さんと対談してみた。

こんにちは、けんたです。

今回は、対談屋のだらくまんさんと対談してみたので、ちょっと色々とまとめてみたいと思います。

1時間で3,000円だったので、8時間で24,000円は高え!って感じでしたけど、なかなか面白い体験ができました。

それではどうぞ。



できれば話したくはなかった

最初から、は?なんで?って感じですが、個人的にはあんまり話したくないなぁみたいなことを思ってたんです。

Twitterとかnoteとか見てて、文章や言葉の節々から高圧的な感じがするし、メンタルが不安定そうな気がするし。

なんかちょっと怖いなって感じがしてました。

でもちょっと気になった

それでも、ずーっと気にかかってはいたんです。

いろんな人の話を聞いていて、それでお金ももらっているらしいと。

そんな人ってなかなかいないですし、自分もたまに人の話を聞くのがうまいねと言われることがあるので、上位互換やんって思ってました。

決め手になったのは、僕の知り合いで、継続的にお金を払って話を聞いてもらっている子がいたからです。

話を聞いてる感じ、そんなにやばい雰囲気はしなかったのと、一回体感してみたいなと思ったので依頼してみようと思いました。

社会科見学みたいな感じです。

自己紹介書いてみた

依頼する上で、自己紹介を送らないといけないみたいなので書きました。

結局6時間くらいかけて、自己紹介を書いてました。

本当はそんなに書く必要はないのですが、
自分の過去や苦悩をできるだけ詳細に書いて、だらくまんさんが何に興味を持って、どういうところを聞いていくのかを見てみたくて熱量かけて書きました。

大体、自分がもしお話しするとしたらここ聞くだろうなっていうところは、ほとんど書いてみたので、そこの差分はだらくまんさん独自のスタイルがでそうだなって思って、実験してみた感じです。

沈黙から始まった

そして迎えた対談当日。

どういう人なのか、どういう声なのか、どういうテンションなのかもよくわかっていないので、恐る恐る通話を開始しました。

挨拶して笑いながらよろしくお願いしますを言ってから、少しの間沈黙が訪れました。

何か話始めようかと思いましたが、一旦相手の出方を伺ってみようかと思って黙ってみてました。

3、4秒くらい経ったあと、

だらくまんさんが「ふふっ」と笑い、

僕が恐る恐る、話してみるかみたいな感じで話始めました。

だらくまんさんは、僕の声色を聞いて「自分から話し出すタイプの声じゃないな」と思ったので、様子を伺ってみたらしいです。

なんか格闘技でお互いが見合ってるような感じでした。

この辺から、普通じゃない感じが漂ってきて面白くなってきましたね。

意外と喋ってみると明るい感じで、話しやすそうだなって思いました。

プロおごみたいな感じで、ちょい重ためなおごそかな感じかなと勝手に思っっていたので、なんかいいギャップでした。

ぼくの苦悩について

まずは、自己紹介の中で、だらくまんさんが気になってるところから話が始まりました。

話題は僕の苦悩からです。

彼女いるけどいまだにモテたいこととか、お金稼げるようになりたいとかそういうことを語っていました。

そして、そういう経験はどこからきて、もしかしたら母親かもとか、小さい頃に博物館行ってて周りの人と合わなかったからかもとかそんな話へどんどん発展していきましたね。

何を苦悩に感じているのか、その苦悩はどこからきているのか、なんでその苦悩を感じているのか、ということをだらくまんさんは聞いていたように思います。

結構その部分に関しては自分自身と話したり、他の人に話したりしてある程度固まっていた部分があったのでそれを披露するような感じでした。

その中でも、なかなか人に言えないようなことだったり、誰かに言ったら引かれてしまいそうなことだったりを話せたのが良かったですね。

これは、だらくまんさんがそういう他の人がドン引きそうな話に対しておもしろそうな反応があったり、変な反応をせずに自然に受け入れてくれるような反応や相槌があったりするからなんだろうなと思いました。

対談しに来る人は何に価値を感じてるんだろう

そこそこ、僕の苦悩の話とか過去の話をしたところで、一旦話が区切れたようなタイミングがありました。

そこで、ちょっと僕が気になっていたことを聞いてみました。

対談にお金を払っている人がいることや、定期的に話す人がいるってことは、何かに価値を感じているんだろうと。

それは何なんでしょうかとかどういう方針でやっているのかみたいなことを聞いた気がします。

まだ完全に定まっているわけではないようですが、今現在の指針としては「チルってる状態」を目指すことらしいです。

言語化するのちょっと難しいのですが、次の章で試してみます。

自分が気持ちよくなる状態を大切にしている

意外だったのは、だらくまんさん自身が心地よくなる感覚だったり、面白いと思う感覚を大事にしているということでした。

この文章だけをみると、一見自分勝手に見えて、話したい人にとってはメリットないんじゃねと思った方もいるかもしれません。

でも、その感覚を持って話を聞くことこそが、相手にとっての価値を生み出しているんだなということもなんとなくわかってきました。

どういうことかというと、プロ奢のツイートにこれと似たようなことを感じました。

「勝手に楽しむこと」。

それはつまり、相手を楽しませようとか、こういうこと思ってないかな、大丈夫かなとか思うんじゃなくて、シンプルに自分が楽しいと思うことで楽しむことなのかなと思います。

だらくまんさんの例に置き換えると、
自分が聞いてて面白い、と思うところを聞いていくということになるのかなと思います。

そうすると一体何が起きるのか。

話す方からしたら、自分が話したことに対しておもしろがってくれてる、楽しんでくれてるという風に思います。

自分に興味を持ってくれてる!話しててなんか楽しい!ってなってきます。

質問されるとなんか、嬉しいですよね。僕は改めて、興味を持って質問されることの高揚感を体感しました。


それに加えて、だらくまんさんは「自身の心地よさ」を求めることで、相手に安心感をより与えることをしているのかなとも思いました。

先ほどの「チルってる状態」というワードでも出てきましたが、これはおそらく心地よい状態なんだろうと思います。

どういう心地よさかというと、相手と溶け合っているような感覚とか、ある程度相手のことがわかっていて、自分と接続しているような感覚があるとかそういうものみたいです。

「居るのはつらいよ」という本に出てくる「本当の自己」というものに近づいていっているような感覚らしいです。

「本当の自己」についての詳細はちょっと言語化しづらいのですが、母親に愛されるみたいな感じだったり、根本にある無条件の承認みたいな感じだったりするようですね。

そういう「チルってる状態」ってちょっとずつ言葉数が減ってきたり、話のペースがゆったりしてきたりするらしいです。

沈黙の時間とかもあるけど、気まずくなくてむしろより心地いいみたいになるみたいです。

そして、そういう時間があると話す側の人の反応がとてもいいというのが面白いなと思いました。

対談みたいな形で話しにきているのに、あんまり話さない時間がむしろ効果的になっていくという現象があるんですね。

話をしたい、聞いてもらいたいというのは、
ありのままのよくわからない良いとも悪いとも言えないような自分を見てもらいたい、受け入れて欲しい、ただただ横に居て欲しいみたいな、
無償の愛的な欲求の表れなんだろうなと思いました。

その重要なところを満たそうとしているからこそ、だらくまんさんに依頼がくるんだろうなとも思いました。

どうして、だらくまんさんは今「ここ」にいるのか

話を聞いてて、だらくまんさんはどのようにして対談屋になったのかということも気になってきました。

結構個人情報っぽくなるので詳細は伏せますが、一番驚いたのは元々話を聞くのが上手いというわけじゃなかったということです。

10何年くらいはあんまり誰ともうまくいかなくて、人とも話さなくて寂しかった時期があったみたいです。

その後、三つ星スラムに入ってちょっとずつ人と話し始めて、2、3年前くらいから通話アプリを始めたらしいです。

通話アプリを始めた当初は、自分の話ばかりをしてしまって切られることも多かったと言ってました。めちゃ意外。

その中で、話すときって相手の話を聞かないといけないんだ!と気づいてそこからちょっとずつ修正していったみたいです。

ちょっと余計なことをいって反感を買ってみたり、反応をミスって傷ついたり。

そういう地道なことをたくさんやって、結果的に人から依頼を受けて話を聞いてる状態になっているのはすごいなと思いました。

だらくまんさんを一言で表すと

心地よさを求めて、体当たりで生きてる人。


いろいろと経緯を聞いて、だらくまんさんを一言で表すと、

心地よさを求めて、体当たりで生きている人

なんだろうなと思いました。

まず大事な方針として、心地よさや気持ちよさを求めているということがあると思います。

それは「不快」に対して敏感であるというところがあるようにも見えました。

「SNSなどで目にする言葉に対してよく不快を感じていた」と言っていたことなどから考えても、「不快」に関する感度の高さが伺えます。

「不快」な思いをできるだけ避けるために動くという側面と、「心地よい」状態を目指して他人の話から全体像を探ったり、自分と相手が溶け合っているような状態を目指したりする側面が組み合わさっているようです。


しかし、だらくまんさんはそれほど器用にこなせるタイプではないらしく、いろんなところにぶつかっているような感じでした。

それは、ぶつかりたいからぶつかっているのではなく、できればぶつかりたくないけど、ぶつかってしまうみたいです。

上司との衝突や、対談している中で感情的になってあまり良くないことになる場面などさまざまな失敗をしてきているようでした。

それでも、体当たりでちゃんとぶつかっていくということをやるということで、ここは避けた方がいいんだなというのがわかるのもありますし、

ここは意外とぶつかっても問題ないんだなということにも気づけるのかもなとも思いました。

変に器用だと、ぶつかる前に回避しようとしすぎて、実はとったほうが結果的には良くなるリスクが取れなくなることもあるので、ぶつかることも大事なんだろうなと思います。

ぶつかる分、大変なことはたくさんあるのだと思いますが、それを経て今もなお対談を続けているのはシンプルにすごいなと思いました。


「天才をちゃんとラーニングしたい」

だらくまんさんの経緯を聞いていると、話を聞くスタイルでも僕とはスタイルがぜんぜん違うなと思いました。

すごくざっくりいうと、だらくまんさんは感覚を重視していて、僕は言語化を重視しているなと思います。

少しだけ僕の話をすると、最近はMatcherというアプリで就活の自己分析を受けていて、なるべく相手が気づいていないところとかなんとなく表現しにくいところを言語化しています。

そこでは、どれだけ相手の感覚に合いつつ、よりいろんな人に伝わりやすいような言葉にする作業が大事で、評判もいいなっていう感覚があるんですよね。

なんとなくモヤモヤして表現しづらいものを言語化したり、その人が当然だと思っていることを改めて言葉にしたりすると結構気づきがあるみたいです。

「チルってる状態」とはぜんぜん違うなって思いましたね。

そうして、言語化に関する話やそれに付随して、こんなふうに情報を処理したり整理したりしていると、だらくまんさんに

「天才をちゃんとラーニングしたい」

という風に興味を示してもらいました。


そこから、新たに僕の謎の能力が暴かれていきます。

常に賢者モード

僕が言語化能力がある程度高くなったのは、小さい頃からずっと永遠に考え続けてきたからというのがあります。

よくみんなの言葉から「子供の頃は何も考えてなくて楽しかった」みたいなことを聞きますが、
そんな時期は僕には1秒もなかったです。

これを話したときに、だらくまんさんから
「常に賢者モード」
なんじゃないかというワードが出てきて、まじでそれだなと思いました。

この状態を説明すると、理性が感情を超えてしまっている状態で、楽しい、嬉しい、悲しい、つらいみたいな感覚よりも、これはどういうことなのか、どういう意味なのかを考えたりする割合が多くなっているような状態ですね。

そんなこともあるんだという感じですが、僕自身にはない言葉をもらってしっくりきたので面白かったです。

加速していく僕

言語化するってどういうことしてるの?とか考えるってどういうこと?とか色々聞かれて、答えているうちにどんどん僕の脳みそが加速していきました。

これは理解したいという興味と、僕のペースにできるだけ合わせて速い回転にしようという姿勢をもらったので、いつもは相手に合わせて速度を変えているところを、自分の思考速度に合わせて話しました。

速い速度で話しても大丈夫な友達と話すときと、同じくらいの速度で話せたので能力が引き出された感はありましたね。

あまり疲れなかったような8時間

実際に8時間話してみて、あんまり疲れてなかったのが驚きでしたね。
かなり脳の回転速度を上げた話をしたので、結構疲れるんじゃないかと思ったのですが、いつもよりも体感的な負荷が小さかったように思います。

自分がいつも考えていたようなことなので、それほど負荷がかからなかったというのもあると思いますが、
ペースを合わせてもらうことで、自分のリズムが低コストで出せるのかなとも思いました。

結構リズムやペースって大事なんだろうなと感じました。

そういえばランニングしているときも、1人で走っているときは速いペースでもそんなに疲れなくて、2人とかで走っていてペースを合わせているときは遅いペースでもやや疲れていたと思います。

運動と喋りは違うようですが、同じ体を使っているという意味では通ずるところがあるのかもしれません。

心地よさを取り入れたい

対談を通して感じたことは、「心地よさ」って想像以上に大事なのかもなっていうことです。

元々僕は、言語で理解して、理解できるとめちゃめちゃ心地いいんじゃん!っていうのを感じてずっとそれにしたがって話を聞いたりフィードバックしたりしていました。

もちろんそれも相手にとっては新鮮で良いものだったのだとも思いますが、相手が言語に対してそれほど労力を割いてない場合は効果が小さかったんだろうなと思います。

それは、「言語」や「論理」で心地よくなるということに主眼をおいていたからなのかなと思いました。

ですが、「心地よさ」を重視すると「言語」や「論理」は手段の一つとなり、リズムやテンポ、スピード、話す内容の密度やテンション、声の大きさを調節するという方針も考えられます。

そうして改善を積み重ねていけば、今よりももっと話を聞くことの威力が上がっていくだろうなと思いました。

この辺は言語化の限界でもあるので、あとは経験で積み重ねていくしかないです。

少しずつできる範囲でやってみたいですね。


そんなリズムやテンポなど、言語化しきれない「心地よさ」を体感してみたい方はぜひ、だらくまんさんと対談してみてください。
きっと何かヒントが見つかるはずです。


それでは、また。


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