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だから、言葉に官能する

共用の辞書、という表現をたまに使います。

は?なーに言ってんだおまえって、質問されるために。もしくは、そう言う表現が好きな人なんだなって、思って貰うために。
親密になりたい、なれそうな相手に、自己紹介をするために。

言葉のことが好き
と、思っていました。長らく。だから、文系を選ぶのに躊躇いはなかったし、国語を試験の得点源にできることが、昔から誇らしかった。言葉を扱うのが好きでした。感情の言葉を自分は操れると思っていたし、理屈の言葉を重ねるのは、数学みたいで楽しかった。学生時代の、はなしです。

ここ最近のことですが、私は、人に触れて、辞書が変わり、対応し、着色され、脚色されることが、その移ろい様が好きなんだと、思い直しています。

言葉は、ただの記号。そんな風に思わされることが、ここのところ少し、多かったからでしょうか。

言葉は、それ自体、単なる記号で。
ある程度の頻度で登場する言葉には、社会的な意味がぶら下がって、概形が与えられている。だから「日本語話者」同士は、当たり障りのない内容なら、日本語でコミュニケーションを取れる。
でも、大きなくくりの社会から離れてしまえば、言葉は個人や、組織や、文化のものになる。

あなたは、メールの文頭に、
表題の件について、と書きますか?
首題の件について、と書きますか?

同じことを伝えたいのに、当たり前の言葉が変わるし、

エモいって言葉にまつわる議論に俺は興味をもちません。言葉の変化なんて、もし起きたところで止めるものでは無いと思うから。

言葉に対する、比重が、環境で変わるのでしょう。

だから、辞書は、私にとってとても大切。
私の辞書は、誰にも奪われないけれど、
誰もが加筆修正してくれる。私とは全てが違う他者と、言葉でコミュニケーションを取らなければいけない時。辞書があった方が、豊かに思える。

あなたにとっての言葉の意味を書き足せば、あなたに配慮した言葉遣いができる。
あなたの使う言葉が、分からなければ、あなたの使った言葉の意味を、あなたからも聞いて。Googleでも調べる。Googleには載らないあなたの背景は、あなたの言葉にだけ載る。彼我の差こそ、あなたの要素。エッセンス。意味だけなら、意味がない。

あなたと会話をする時には、Googleで調べた意味なんて記号に纏わりつくモヤモヤでしかない。あなたの使う意味でしか、あなたは言葉を使わない。

だから、共用の辞書を持つことが、その過程が好き。
そして、歩み寄ったり、追いかけたりしながら、ある程度の共用が出来上がった時、食い違いが現れるのも、好き。

その違いこそが、あなたと私の本質。
捉えたくて、捉えたくて、本当は、同じなんじゃないかと願っていて。同質なんじゃないかと思いたいのに、どうしてもズレるイメージが拭いきれなくて。どうしてだよ、同じだと思ったのにって、子供のように甘えて。
違っても、それでもいいから、教えてほしい。

って、思った先を、俺は愛しています。

相手の使う、記号に載せた意味の、その積み重ねを背景を、知りたい。その過程も、ゾクゾクと愛おしい。
そのために表現を使って、少しずつ、日常に紛らすように自己紹介をします。そんな表現を愛しています。私はこういう人間です、と。そこにはわたしがいるはずだから。

さあ、このフックに、食いついてくれ。そしたら、あなたのことを知る。そんなイメージで。

またしても、ヘッダーはアサコイワヤナギさんのパフェ。必ずいく!!予約戦争負けないぞ

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